14
結局、和磨はその日、ルーファウスの寝室から外に出ようとはしなかった。
テラスに椅子を出して座り込み、心配して来てくれた天馬や有翼獅子らとじゃれながら、ぼんやりと半日を過ごした。
心配してくれたアモンが野菜を練りこんだパンとスープを差し入れてくれたので、本当に閉じこもりっぱなしでいられたのだ。
その間に気持ちの整理はともかく落ち着くことはできたので、夜になって戻ってきたルーファウスにも特に警戒せずに近寄れた。
どう決着をつけるべきか判断がつかず寝室に戻ったルーファウスは、近づいてきてくれた和磨を抱き寄せてベッドに腰を下ろした。
膝の間に抱きこまれて和磨は体勢の収まりが悪くしばらくもぞもぞと身動きしていたが、ようやくルーファウスの膝に座ることで落ち着いたようだ。
「最初にこのベッドで眠るカズマを見つけた時は、アウルが戻って来てくれたのだと喜んだんだがな」
突然話し始めたそれは、和磨がこの世界に放り出されて目を覚ます直前のことらしい。
反語で止まった言葉の先が気になりつつも、どうやら人の名らしいそれをひとまず問いただす。
「……アウル?」
「アウルアンティウス。戦天使の真名だな」
「リュシフェルではないの?」
「それも名の一部ではあるが、アウル個人を示す名ではない。
天上世界は組織がしっかりしている分、複雑な取り決めが多くてな。
名の仕組みもその一つだ。
最上位天使を指す二つ名が戦天使、役職に従って定まった名をリュシフェルといい、役職に拘らずその人個人を示す名をアウルアンティウスという。
アウルの存在が万が一にも消滅した場合、聖王は新たに戦天使を生み出すが、それは戦天使たるリュシフェルではあってもアウルアンティウスという名ではない。
そういうことだ」
確かに複雑だ。なんとなく理解してふぅんと相槌を打つものの、本当に理解できたのかは実に怪しい。
和磨の理解度はこの際気にしないことにして、ルーファウスは話を続ける。
「目を覚ましたカズマが俺に気付かないことで、記憶がないことはわかった。
だが、相手に記憶があろうとなかろうと俺がアウルを愛しているのは変わらない事実だし、本人が自覚する名が違っているだけで本人であることも間違いない。
だったら俺は、お前を愛しく思う心をそのまま持ち続けるだけだ」
「でも、記憶がないだけじゃなくて、身体も声も性格もまったく違うのに」
「本来天使も魔物も物理的な制約がない生き物だ。
バエルなんぞ、あの甲冑の中身は空っぽだぞ。
天使の翼なんか最たるもので、基本的に精神エネルギーの集積体であって物理的な存在ではないから、表すも隠すも本人の自由だ」
だから、肉体という殻など大した問題ではない、というわけだ。
そんな考え方そのものは物語の作り方として大して珍しいものではなくて、納得するしかないのだが、それにしてもバエルのその事実には驚いた。
「それに、カズマもアウルとはまた違った美人だからな。惚れないわけにはいかないだろ」
「まぁ、美人なのは認めるけどさ。それなりの努力もしてるし」
「モデルとして、か?」
「そう。モデルとして」
それなりの、と簡単に言うが、その努力は並大抵のレベルではなかったと自覚している。
朝晩の肌の手入れはもちろんのこと、髪も男のくせにと言われないように念入りに整え、肌の張りを保つために食事にも気をつけた。
定期的にジムやエステにも通っていて、この身体には結構な金額がかかっているのだ。
モデルとしては当然のことだが、同年代の女性に比べても明らかに手のかかり方が違う。
この世界に来てからはほとんど何もできていないのが、微妙に落ち着かないくらいだった。
「でも、俺にとってはやっぱりその人は他人なんだよ」
「わかっているさ。
カズマはカズマとして赤ん坊から今まで年齢を重ねてきている。今更さらに過去の話をされても理解できないだろう。
だから、アウルのことはお前の耳に入れずに改めて口説こうと思っていたんだがな。
バエルめ、余計なことを言いやがって」
どうやら他の最上位魔族の面々はルーファウスの思惑を汲んで知らない振りをしていてくれたらしい。
種明かしをされれば随分と際どいところまで暴露されていたようだが、その時の和磨はまったく気付かなかったのだ。
ふいに抱きしめる手に力が加わって、和磨は驚いてルーファウスを見上げた。思いのほか真剣な表情に気付いて思わずたじろぐ。
「……何?」
「カズマ。愛している」
呼んだ名は確かに和磨の名なのだが。それを聞いて、和磨は途端に眉間に皺を寄せた。
「貴方が愛してるのはアウルさんでしょ?
それを聞いてしまったら、俺はその言葉を素直に受け入れることはできないよ」
「確かにその線引きは難しい。
だが、俺がお前という個体に愛情を向けている事実もまた変わらないんだ。
俺がお前を呼ぶ名は、今はカズマだけだ。
それが嫌なら、自分の意思で翼を広げてみせろ。わかりやすいだろう?」
引く気はないかわりに、和磨という人間を口説くと宣言したに等しい言葉で、和磨は一瞬きょとんとした後、苦笑を返した。
「諦める気はないんだね」
「執念深いのもまた、魔の特徴だな」
「やけに優しいのも?」
「それは、人を愛せば誰でもそうなるだろ」
そこに聖も魔も関係ない、とそういうことらしい。
優しいのはルーファウスに限らず出会った最上位魔族のほぼ全員なのだが。
「バエルも誰かに恋でもすりゃあ、少しは丸くなるだろうにな」
「……あぁ」
一瞬押し黙って、和磨は納得するしかなかったらしい。確かに、バエル以外は全員が誰かに恋をしているのだから。
「アスタロトとベルゼブブは一緒になる気配はないの?」
「あれもまた、あの状態がだいぶ長いな。
あれだけあからさまに両想いなんだが、どちらも後一歩が出ないらしい。
何ならちょっと行って背中を押してやってくれ」
「そうだね。無関係だからできることってあるよね」
無関係も何も現在板挟み状態な自分の状況は理解していながら、あっさりと言ってのけて頷く和磨の大物ぶりに、ルーファウスは頼もしく感じて目を細める。
「何にせよ、異邦人としてやって来た以上、この世界からは逃げられないんだ。ゆっくり考えると良い。もちろん、逃がすつもりもないんだがな」
「せっかく捕まえた美味しそうな餌だもんね?」
「お前以外に食欲は湧かないからな。代わりはいないんだ、諦めてくれ」
「良いよ、別に。気持ち良いし」
「……それも何気に傷つくな」
気持ち良いし、ということは、それだけ上手だと誉められているのだが、反対に言えば気持ち良くしてくれるならルーファウスでなくても良いとも取れる台詞だ。
恋しい相手に言われる台詞としては実に複雑な心境になる言葉だろう。
わかっていてそれを選んだようで、和磨は困った風なルーファウスにくすくすと笑うだけだった。
[ 30/81 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る