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 いつまでも居座っては和磨の邪魔になるだろうとベルゼブブがそこを離れ、ルーファウスもベルゼブブが置いていった仕事に手をつけるのを待って絵描きを再開した和磨は、丁度ベルゼブブがルーファウスに預けた書類を引き取りに来た時にようやく顔を上げた。

「できたよ」

 それは、描きかけていた有翼馬が空を舞う姿で、背景である空や白い雲、眼下に広がる町並みも含めてきちんと彩色された、一枚の絵だった。

 同時に見下ろしたルーファウスとベルゼブブは、揃って顔を見合わせた。
 下手だという自己申告はどうやら謙遜だったらしいと思い至ったからだ。
 まさに風を受けて自由に空を舞う天馬の姿そのものなのだ。

「この生き物は、カズマ様がいらした世界の生き物ですか?」

 先ほどルーファウスから明確な回答が得られなかった質問を再度すれば、和磨は少し驚いたように目を見開き、それから否定を示して首を振った。

「神話に語られる生き物ですよ。ペガサスといいます。
 現実には進化論の観点から見て不可能でしょ、翼の生えた馬なんて」

「そうなのか?
 その姿ならば筋組織も不自然なく創れるし、それだけ大きな翼があれば馬の巨体も飛べると思うが」

 早速創ろうか、と席を立ったルーファウスの隣で、反対にベルゼブブはそこにしゃがんで和磨と視線を合わせる。

「戻るまで、その絵を消さないでください」

「え?
 ……それは良いですけど……?」

 その意味するところがわからず首を傾げる和磨を置いて、了解を得た途端にベルゼブブは大急ぎで部屋を出て行った。
 その珍しい行動に驚いたものの、何をしに行ったのかはわかっているらしいルーファウスはその後姿を呼び止めもせずに見送っていた。

 それから、座ったままの和磨を振り返り、にやりと笑みを見せた。

「いくつか創ってやる。気に入ったのを乗馬にすると良い」

 前方に手を差し出すと、柱も随分少ないホール内に十数個の光の玉が現れた。
 その光の玉は鈍い闇色をマーブル状に含んで少しずつ暗くなっていくが、反対に存在感は反比例するようにはっきりしていき、それぞれにむくむくと大きくなっていく。
 やがて、丸い玉だった形も和磨が描いたとおりの型に輪郭が象られ、光の玉だった表面はまるで膜のようにベロッとめくれた。

 中から現れたのは、和磨が描いた絵をそのまま立体にしたような、淡い闇色の天馬だった。
 人間が乗馬にしやすい標準的な馬の大きさで、柔らかな羽毛と羽根に覆われた翼は背に折り畳まれているが広げればかなりの大きさだとわかる。

 生まれたての天馬たちは足踏みをしたり身体を振ったり翼を広げたりと自分の身体の感触を確かめていたが、突然一斉に和磨に視線を向けるとわらわらと集まってきた。
 馬本来のつぶらな瞳が熱心に和磨を見つめる。警戒しているわけではなく、むしろ甘えたがっているようだ。

「魔物は基本的に言葉を持たないからな、カズマには聞こえないか。
 母様に甘えたがっているぞ」

 苦笑を共にしたルーファウスの説明に和磨はきょとんと目を丸くして、それから首を傾げる。

「……いや、母ではないと思うけど」

 和磨はただ絵を描いただけだ。
 細胞を分けたわけでも腹を痛めたわけでもない。

 だが、甘えたがっているのは事実のようで、和磨はボードとペンを床に置くと、集まった天馬たちに近づいていった。

 和磨が甘えて擦り寄ってくる天馬たちを一頭ずつ丁寧に撫でて、もみくちゃにされて楽しそうに笑っているのをしばらく見守って、ルーファウスは自らの玉座に戻っていった。
 足元に無造作に置かれたボードを手に取り、裏の保存ボタンを押す。
 せっかくここまで描いた絵だ。何か事故があって消されてしまってはもったいないというものだ。

 しばらく待っていると、何やら箱のようなものを抱えてベルゼブブが戻ってきた。
 どこかで偶然会ったようで、アスタロトも一緒だ。
 初日と同じように、珍しく大急ぎのベルゼブブに興味を引かれたのだろう。

 広いホールの真ん中で見たことのない翼の生えた馬と和磨が戯れているのを目にして、アスタロトの表情はさらに興味深々だ。

「また新しい生き物を創られたのだの」

「考案したのはカズマだ。
 彼の世界にある神話上の生き物であるらしい」

 これがそうだ、と絵を見せられて、アスタロトは感心した声を上げた。
 それから首を傾げるのだが。

「神話とは何であろうか」

 実際、この世界では創造主という存在がはっきりしているおかげで、神という存在の概念がない。
 生き物や山、川、大地などのあらゆる事物は、天と地の創造主によって生み出されたものだと信じられているせいだ。
 地上世界の人間にとっての神は天上世界の創造主を指すのが一般的だった。

 当然、最上位の魔族にもなればそれを否定する材料はいくらでも知っている。
 だがその一方で、ではそもそも神という存在は実在するのかという命題にまでは踏み込まないのだ。
 魔族にとっては魔王が地底世界の創造主として君臨している事実さえあれば良く、そのさらに上位の存在など必要としていない。

 当の魔王も、この世界が誰かもっと上位の存在が作り出した箱庭ではないかという観点すら、和磨に促されてつい数刻前に気付いたようなもので、神という概念をよく知らないというのが本音だ。

「後で昼飯時にでもカズマに訊いてみよう」

「今ではなく?」

「あんなに楽しそうにされたら呼び戻せないだろう?」

「ほほ。確かにの」

 根底に隠された、和磨がいる場所では絶対に口にしない真意に当然気付いているアスタロトは、微笑ましげに笑って頷いた。
 気に入った餌と表向き公言しているが、その心の内がまったくわかっていないのは和磨本人だけだ。
 愛しく思う相手の笑顔はいつまでも見ていたいものなのだ。





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