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巨大な城内の一階のど真ん中に、立派な玉座を据えた広大な空間がある。
いかにも王の謁見の間らしい造りだが、そもそも実力主義で個人主義なこの地底世界で魔王に謁見を求めてわざわざやってくるような魔物はおらず、基本的に執務室として使われている。
そうはいっても、書き物をする用事はそう多くないため小さな事務机が一つあるだけだ。
そもそもが、わざわざ手をかけて政治などしなくてもそんなに複雑な社会体制があるわけでもない世界だ。
やりかけの仕事があったためにそれをベルゼブブに託した程度で、それが一通り片付けば仕事をする義務は他の誰にも存在しなくなる。
もっとも、ベルゼブブは至って真面目で仕事の鬼という評価にふさわしい性格をしているため、今の仕事が終わっても他から何かしらの仕事を見つけてくるだろう、とルーファウスは苦笑しながら和磨に告げた。
アスタロトからも笑顔が貴重だと評された人物だ。その性格は想像に難くない。
そのベルゼブブが忙しなく出入りするその執務室で、玉座に座るルーファウスの足元に腰を下ろし、和磨は画板のように固い材質のボードを体育座りした膝に乗せてペンを走らせる。
その完成を待っていていささか手持ち無沙汰気味な魔王に目敏く気付いて、ベルゼブブが決済して欲しい事案の書類を束にして押し付けてきた。
それらを一枚一枚簡単に説明しながらも足元で熱心にペンを走らせている和磨を見下ろし、ベルゼブブは一通りの説明が終わった後で不思議そうに問いかけた。
「ところで、彼は何をしているのです?」
「見ての通りだ。絵を描いている」
その事実は見ればわかる。
したがって、ベルゼブブは少し呆れた表情でルーファウスを見返した。
深く溜息を一つ。
「そんなことは見ればわかります」
「じゃあ聞くなよ」
「何のために、とお尋ねしたのです。
わざわざこんな場所でそんな辛そうな体勢で絵を描くには、それなりに理由がおありでしょう?」
口調こそ相手を敬うように丁寧だが、言っている内容は遠慮がない。
魔王をせっついて仕事をさせる立場のベルゼブブであるから、遠慮などしていられないのだろうが。
はっきり尋ねられればそれ以上誤魔化すつもりもないようで、ルーファウスは何故か嬉しそうに笑った。
「次に創造する生き物の素案を描いてもらっているのだ」
「それは、カズマ様がいらした世界の生き物ですか?」
見下ろしたそこに描かれているのは、こちらの世界でも地上世界に一般的に見られる馬だった。
ずんぐりどっしりした地上世界の馬よりも随分と腰周りや脛あたりが華奢な印象だが、腿にはしっかりとした肉付きがあるのでそれなりに足回りもしっかりしているのだろう。
人間のようにさらりとした髪のようなたてがみも綺麗に整えられており、農耕用というよりは観賞用のように見受けられる。
ただし、普通の馬と違い背に天使のような翼が生えているのだが。
馬の胴体はほぼ完成で翼の羽根を描き込んでいる和磨は、ふと頭上で交わされていた会話が途切れたのに気付いて顔を上げた。
そばにいたルーファウスとベルゼブブが揃ってボードを見下ろしているので、急に恥ずかしくなって和磨はそれを自分の胸に伏せる。
「そんなに注目されると描きにくいです」
ルーファウスが相手ならばタメ口の和磨が敬語なのは、相手がベルゼブブを含んでいるからだろう。
訴えられて、ベルゼブブは一歩足を引いて恭しく頭を垂れた。
「これは失礼いたしました。
随分と絵画の腕が達者なので感心していただけなのです」
「モデルだったと聞いたが、絵描きもしていたのか?」
ルーファウスもまた、ここまでの腕前とは思っていなかった、というような口ぶりだった。
まさか、と和磨は大慌てで手を振って否定するのだが。
「ただの趣味だよ。俺なんてまだまだ下手くそだし。もっと上手な人は周りにたくさんいたし」
その環境は実に特殊で、世間一般から見れば絵を描くのが上手い部類に分類される自覚は一応ある。
だが、本職とするほどの腕はなく、あくまで趣味の範疇だ。そこまで誉められると面映い。
これでもまだ下手な方だと聞いて、普段から無表情のベルゼブブが珍しくあからさまに驚きの表情を見せた。
随分と個々の芸術レベルの高い世界だと判断したらしい。
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