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 それは、真っ白な世界だった。

 青い空、白い雲、眩しい日差し。
 遠くに見える雲のようなふわふわした印象を与える山々に、淡い緑色の草原。
 点在する白い家々と、中心にそびえる白く輝く塔。

 踏み込むとかすかな弾力を持つ地面も真っ白で、淡い色でしかない緑が妙にはっきり見える。

 草原越しに街を眺めて、彼は少し寂しそうに溜息をついた。
 長い銀の髪を背中で緩く結い纏め、戦着にも見えるかっちりした白い軍服に身を包んだ、六枚の翼を持つ天使だ。

 最上位を示す六翼にふさわしく整った顔立ちは同位の間でも群を抜いており、天上世界の創造主である聖王に最も愛された天使だ。
 本人はともかく、他の誰もが羨望の眼差しを彼に向ける。

 それが嫉妬にならないのは、天上世界にその悪感情が許されていないせいだろう。
 建前上、悪い感情は存在しないことになっており、実際多くの天使たちはその存在を知らずに育つ。

 再び大きな溜息をついた彼は、突然現れた背後の人影に驚くこともなく、その草原のような淡い緑の視線を背後に向けた。

 そこにいたのは、ふわふわとカールした派手な金髪に金の瞳を持つ彼の同僚だった。

「……ミカエル」

「憂い顔も美人だな、お前は」

 透き通るような白い肌は同じなのに、ミカエルは彼に比べると随分生気に満ちた明るい表情だ。
 赤くほんのり染まった頬が血色良さそうに見える。
 並び立てば彼の方を誰もが支えになりたいと思うだろう。
 比べてしまうと、吹けば倒れそうな儚さを感じさせる。

 その実、この天上世界で彼以上に武力と生命力の強い者は存在していない。
 六翼の戦天使。
 六枚の翼をはためかせて空を飛ぶ姿はすべての天使たちの憧れの的だ。

「遠征前は必ずここにいるのだな、リュシフェル」

 触れればシャラリと音を立てそうな銀そのものにすら見える長いストレートの髪を、ミカエルは手に取り恭しく口付ける。
 それが親愛の情を示す行為だとわかっていても、彼はその形の良い眉を寄せた。

「よせ」

「何故? 天の愛し子に口付ける権利が私にはないと?」

「それもやめろ。面白がるのは構わんが、下位の天使たちが誤解する」

「誤解も何も、私がお前を愛しいと思っているのは事実なのに」

「愛しい? 気に入っているの間違いだろう? おもちゃ扱いのくせに」

 憮然としたその言葉を否定もせず、ミカエルは楽しそうに笑って肩を竦めた。

「それで? 何故そのように憂えている?」

 彼の扱いにそれ以上言及したくないように始めに戻って問いかけるので、彼はそのミカエルを見返して三度目の溜息をついた。

「もしやお前のその軽口が聞けなくなるのでは、と思ってな」

「嬉しいが無駄なことを悩んでいるのだな。お前が彼の地から戻らぬことなどあり得ないだろうに」

「言い切ったな」

「あぁ、言い切るさ。それが天と地の理だ」

 確かに、と答える彼には、その理が何を指しているものかわかっているのだろう。
 問い返そうというそぶりすら見せず、苦笑を見せて諳んじる。

「天上と地底は常に同等。
 一方が生むのなら他方も同じだけ生み出し、一方が失うなら他方も同じだけ失う。
 均衡を破れば世界はバランスを失い共に倒れる」

「そうさ。
 となれば、お前を天上から奪うことは地底にもリスクになる。
 いくら魔の性状といえど、自らを危険に晒すほど愚かではあるまいよ」

「ならば遠征隊こそ愚かな行為であろう」

「それもまた理だな。
 地は天を忌み、天は地を憎む。
 聖なる者の性状として、魔なる者を打ち滅ぼさずにはいられない」

「因果なことだ」

 その聖なる者たちを導いて地底へ降り、少しでも多くの天使たちを連れ帰る事が、最上位に列する戦天使の役目だ。
 彼は気が重いという感情を隠しもせずに肩を落とした。

 その彼の肩をぽんぽんと軽く叩いて、ミカエルは天上世界に知らぬ者のない慈愛の笑みを見せた。

「そう悩むな。
 我ら天使は創造主の手となり足となり、その意志をただ実現するために生み出された者。
 自らの使命を疑う権利はそもそも許されておらぬだろう?」

「確かに、我ら天使は所詮創造主の操り人形。逆らうことなどありえないな」

「またそんな風に言う」

 最上位として口にしてはならない言葉を互いに同列の気安さで自然に言い合って、苦笑した。

 永遠に続くと信じられている天上世界の平和の中で、最上位天使でも上位の二人が不穏な会話を交わしていることを、おそらく他の天使たちは誰も知らない。





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