13
話をしながら庭の中を移動していたので屋敷からは随分離れていたのだが、少年姿のベリアルが現れたのはそう時間が経たないうちだった。
屋敷からの距離を考えれば、迷うことなくまっすぐにこの場所にやって来たのだろう。
背の高い木々にも遮られて見通しは悪いはずだが、場所があらかじめわかっていたとしか思えない。
少しびっくりした表情の和磨に、ベリアルは得意げに鼻の下を擦った。
「探していたようだからな、来てやったぞ」
「偉そうじゃのぅ、ベリアル。逃げた者の台詞と思えん」
「逃げてねぇよっ!」
どうにも苦手な年長者に叱られるイタズラっ子のイメージが拭えない会話で、和磨も笑わされてしまう。
その隣で遠慮なく笑っていたルーファウスが、むんずとベリアルの首根っこを捕まえて上に持ち上げた。
小さな身体でぷらんとぶら下げられて、一瞬抵抗することも忘れてベリアルの目が丸くなる。
「喧嘩の前に頼みがあるんだがな、ベリアル」
「ナンデゴザイマショーカ」
わざわざ物理的に力の差を見せ付けられてさすがに大人しくなって言い慣れない様子の敬語を返す。
少しふざけた印象もあるそれは無視して、ルーファウスはベリアルの顔を覗き込んでいた視線を促すように和磨に向けた。
「カズマの目を治してくれ」
「目? どっか悪いのか?」
促されて、ぶら下げられたまま和磨に注目する。
ベリアルの現状と急に真面目になった言動のギャップが面白くて、和磨は表情を緩めたまま見返した。
その目を見ただけでベリアルには症状がわかったようで、少し興味深そうな顔つきに変わった。
やはりぶら下げられたまま、顎に手を当て、ほぅ、と納得げに頷く。
「ピントがずれてるな。近視に乱視、遠近感も明暗順応もボケボケだ。
よくそれで物が見られるな。
その目に物がどう見えているのか研究したいところだが……」
「治せるのなら早く治してやってくれ。足元も危ないようでは気軽に連れ歩けない」
この世界でいう薬師とは医者のような者であるらしい。
命に関わる病気ではないこともあって興味深そうに診断を下すベリアルに、ルーファウスは自分本位なツッコミを入れた。
すぐに、さもありなん、と理解を示すところを見ると、ベリアルもルーファウスが和磨を気に入っている事実には特に反対意見もないらしい。
「俺もせっかくわざわざ急いで手を入れた庭を存分に楽しんでもらえないのは悔しいからな。
すぐに治してやろう」
それはつまり、本当に、逃げたわけではなくこの庭の手入れをしに急いで戻って来ていたらしいことを示していた。
嫌われたのかと思っていた和磨は、そうではなかった事実に素直に喜んだ。
相手が誰であろうと、嫌われるよりは好かれていた方が良い。
ようやくルーファウスに下ろしてもらえて和磨の前に立ったベリアルは、身長に比例して小さな手を宙にひらめかせた。
上向けた手の平に、どこから現れたのか、小さな瓶とスポイトが載っている。
「ここにしゃがんで顔を上に向けてくれるか?」
近視と乱視とその他諸々のため、眼科医院には行き慣れていた和磨は、命じられて素直にその通りの行動を取る。
背の低いベリアルの手元に顔を近づけるにはそこに正座するくらいしか方法はなく、和磨の行動に躊躇はない。
スポイトで吸い上げたその薬は綺麗な蜜色をしていた。
庭園を照らすこの庭専用の小さな擬似太陽に煌々と照らされてキラキラ輝き、スポイトの口から溢れかけているその薬はとろりと粘度が濃い。
「少し痛むぞ」
目に挿す直前に忠告されても心構えする余裕もなく。
刺激の強い目薬に近い強烈さで、和磨はぐっと目を閉じた。
粘度の高い目薬は涙と一緒に流れ落ちることもなく、目にじんわり浸透していくのがわかる。
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