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 結局俺が訳してやったところぎりぎりでやっと終わったリーダーの授業に生気を吸い取られて、三限目の現国はさらりと終わってしまった。四限目は空腹もピークに達しようかという時刻から、体育である。

 この体育教師がまた、必要以上に元気がいい。一学期最初の体育は陸上競技と相場が決まっているもので、ご多分にもれずこの授業も五十メートル走測定会から始まることになった。散らばってそれぞれ準備体操をしている生徒たちに、声をかけるその声、もう少し小さくてもいいと思うのだが。

「各自準備体操を終えたら、スターティングブロックの設置を手伝ってくれ。手の空いたものは整列するように」

 先生の言葉にしたがって、散っていた生徒たちが体育用具倉庫に流れていく。隣のクラスと合同のため、動く人数も倍になる。

 二人一組の準備体操をするため、転入生氏は俺に付き合ってくれた。二人一組といっても、柔軟体操で背中を押すくらいのものだが。そのまま俺たちの側にいた彼は、群衆に紛れてサボっている俺たちに疑わしげな目を向けた。案外真面目なタイプだったらしい。

「手伝わないのか?」

「あれだけ人数がいるんだよ。邪魔なだけさ」

 胸の前で腕を組んで、宏春は偉そうにそう言う。哲夫はまともにその理由を言うのもどうかと考えたらしく、あいまいに笑っていた。俺もその考えは賛成。
 去年もこの調子でサボりまくった俺たちだ。今年もそのつもりだった。ただでさえ、俺たちにとって体育という授業はうっとうしいだけなのである。適当にやっていればいい。出席さえしていれば、とりあえず単位はくれるのだ。いい成績をもらいたいのなら別だが。

「こら、高井、下山田、長峰っ! お前ら、またサボってるなっ! 転校生まで巻き込んでっ」

「だあって、先生ー。こんだけ人がいりゃ、役立たずの俺たちはいらないっしょお?」

「参加しようという姿勢が大事なんだっ。あんまりサボってると、成績やらんぞっ」

「えーっ。松下さん、横暴ーっ」

 ぶーぶーと宏春が代表で口答えしている。哲夫は軽く肩をすくめると、宏春のジャージの袖をひっぱってようやく人のばらけた体育倉庫に入っていった。これがないとスターティングブロックは固定できないはずの木槌をつかんで、俺と隣にいた転入生氏に手招きする。

「先生っ。ブロック打ちつけちゃっていいんだろ?」

「軽くな、軽く」

 体育教師というのは、どうしてこうタメ口をききたくなる相手なのだろう。不思議だ。

「よーし、集合。出席番号順に整列しろ。出席を取るぞ」

 木槌を返しに体育倉庫に行ってしまう宏春と哲夫をそのままにして、先生はさっさと始めてしまう。つまりは、あの二人を信頼しているということだった。この先生、そういえばサッカー部顧問だ。サッカー部員の哲夫のことはよく知っているからかもしれない。

 戻ってきているのを知っていて宏春と哲夫を急がせなかったのを不思議に感じたのか、五十メートル走のスタート地点に移動する途中、転入生氏は隣の人にそのことについて尋ねていた。片山は、困ったように一度俺と宏春の方を振り返り、それから口を開く。

「高井はな、適度以上の運動ができないんだとさ。病気で、ドクターストップがかかってるから」

 血中の赤血球の数が、普通の人の三分の二しかないのだそうだ。おかげでヘモグロビンの数もそれに比例して少なく、酸素の供給量が総じて少ないため、派手に動くとすぐ息が上がって、呼吸困難になってしまう。始終高い山の上にいるようなものだろう。
 だから、体育はほとんど無理。医師の診断書が遅れたために、去年の陸上競技会では四百メートルも走らされ、途中でやっぱり倒れた。そのことがあって以来、全校生徒が宏春の身体についてはよく知っているのだ。片山は俺のことも言いたそうだったが、もう一度俺を見て、聞かれていないことには答えないことにしたらしい。いい判断だ。

「それ、みんな知ってんのか?」

「知らないのは今年入ってきた奴らだけさ。でも、もったいないんだよな。足速いのに」

 ああ、それは同感。本当、もったいない。昨年測った五十メートル走のタイムは学年一位だったのだ。哲夫の元気を分けてあげられたらどんなにいいかとも思うが、それはきっと哲夫自身が一番思っていることだろうから、絶対口にはしない。一番悔しいのは本人じゃなくて、元気のいい哲夫の方なのだ。

 その足の速さはすぐに証明された。五十メートル走るくらいなら大丈夫、と自分で勝手に太鼓判を押した宏春は、去年の記録をさらに塗り替えて一緒に走った奴に大差をつけて勝ってしまったのだ。まったく、さすがというか何というか。本当に、もったいない。

「長峰、走れるか?」

 はい? 宏春の足の速さに舌を巻いていた俺は、先生に声をかけられてふと顔をあげ、自分の番になっていたことに気がついた。まあ、確かに、宏春と俺の出席番号は三つしか違わないから、当然なのだが。別に俺がぼんやりしていたから言ったわけではないらしい。だから、軽口で返してやる。

「先生、それ、すごい皮肉ー」

「ああ、すまん。……って、じゃないだろう」

 五十メートル先で先生が記録用紙を振って大声を張り上げる。くすくすと笑って、俺はスタートラインに立った。前の人のブロックに足をかけて、間隔がちょうどいいことをチェック。良かった。直すの大変だから嫌だったのだ。一緒に走る永野がブロックを直すのを待って、スタート係になった隣のクラスの三井が旗を振った。

「位置について」

 もう一度ブロックに足をかけて、まず右手を地面について、左手もつく。

「用意」

 腰を上げる。左手、頼むからあと三秒だけ保って!

「ドンッ」

 タッ。半分以上左手で身体を跳ねあげて、俺は走りだした。ああ、やっぱりスタートダッシュが遅れた。でも、足はどっこいどっこいのはず。あれからまともに走るのは初めてだけど、足の傷は完治してる。五十メートルの間で追いついて追い抜いて、走りきる。

「長峰六秒ジャスト、永野六秒五八」

 あら、やっぱりタイム落ちた。





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