19
引越しには、友也と雅の夫婦も手伝いに来てくれた。何しろ、お互いの両親はもう歳も歳だし、宏春は身体に負担をかけられないしで、力仕事が出来る人材が、哲夫しかいないのである。それを、雅が手伝いに来てくれたのだ。友也も、左手だけだが宏春よりは十分な戦力になる。
人の観察眼は、精神科医である宏春よりも鋭く正確な友也は、どうやら二人の間により強固に繋がった絆に気づいたらしい。力持ちたちの仕事の邪魔をしないようにこまごまとした荷物の片づけを手伝いながら、へぇ、と意味深な反応をしてみせる友也に、宏春はさすがに恥ずかしくなってしまった。なんだよ、と憎まれ口を叩く。
「雨降って、地固まった?」
「あぁ、まぁ。そんなとこか」
見事に的確に表現して見せて、友也はからかうように笑う。そんな指摘を、否定する必要もなく、宏春は適当にあしらう。
確かに、哲夫の心を乱すとんでもない嵐だった。だが、おかげで二人の仲も、より強く結び付けられたわけで。まさに、雨降って地固まる、だ。
「そっかぁ。良いなぁ。やっぱり、お前さんたちには適わないよ」
「何言ってんだ。雅と幸せにやってるくせに」
「難しいんだよ。こっちはね。まだまだ綱渡り状態だから」
そんな風に自分たちの関係の危うさを表現した友也に、一瞬驚いた宏春だったが、それから、くすりと笑った。二人の視線の端には、子供の頃から使っていていい加減ガタの来ていたベッドを外に運び出していく、お互いの恋人の姿が映っている。
「気にしてるのか? 手が動かないことを」
「そりゃ、ね。これのおかげで、雅にいらない負担を背負わせちゃってるから。申し訳なくて……」
「でもさ。じゃあ、それ。ただの女避け?」
え? それ、と左の薬指を指差されて、友也はびっくりした顔をする。その表情を満足そうに見て、宏春は普段どおりの不敵な笑みを浮かべた。
「その指輪が、雅の想いの結晶だよ。雅が、友也は俺のものだって所有宣言をしてくれた証でしょ? それに、どこにも行かないで欲しいっていう、雅の願いそのものでしょ? 何か不安? 雅は、友也が負担だなんて思ってないよ」
それは、宏春が哲夫の心の病を自然にサポートすることと、哲夫が宏春の身体を自然に気遣ってくれることと、何ら変わらない。雅にとっては、友也の傷は自分のことと同じなのだ。気になっていないし、自然にサポートする姿勢になる。自然だから、意識もしていないのだ。もうとっくに。
それは、雅が友也と離れたところで友也の身体の心配をして見せる時にこそ、顕著に現れる。宏春や哲夫が友也の身体を心配しても、大丈夫だよ、と心強く請け負ってみせる姿こそ、雅の正直な想いの表れだ。そんな姿が、宏春には羨ましい。
「そうかな?」
「そうだよ。あいつ、全然心配してないんだ。友也が免許取った時もさ、俺たちは友也の身体を心配したけど、雅は、大丈夫だ、って笑ってた。俺たちの前で強がる理由が無いからな、本気で心配してないってことだろ?
雅にとっては、友也の身体を気にかけるのは、自分の身体を気にするのと同じくらい普通のことでさ、自分が気にかけてるんだから心配する必要はない、って考えてるのさ。それは、負担、とは言わないよ。
雅は、ただただ、そうやって遠慮してしまう友也を、普通のごく一般的な恋人として、愛してるからどこにも行かないで、ずっと側にいて欲しい、って思ってる。その気持ちの表れなんだよ、その指輪」
左の薬指に光る、世界にたった二つしかない、オリジナルのペアリング。恋人たちを繋ぎ続ける、想いの力の結晶体。こんな細い金色の線一本が、愛する人の思いの集積体なのだ。
「雅を本当に想っているなら、寄りかかってあげなよ。愛してるなら、守り守られるのも想いの形だよ?
友也が一人で立てるのは、雅だってわかってる。それでも、そんな恋人を、雅は自分のすべてをかけても守りたいんだ。友也が雅を、すべてをかけて守りたいと思うのと、同じ気持ちだよ。
だから、たまには相手に守らせてあげることも覚えなくちゃ。肩肘張って虚勢張って頑張るのも良いけど、守ってくれる人を頼るのも、愛の形じゃないのかな?」
それは、雅にも言っておかなければならないことだ。最近、自分だけで仕事を背負って潰れかけているようだし。友也に言い諭すように話をしながら、宏春は彼の恋人を思いやる。
二人とも頑張りやさんだから、自分が頑張らなきゃ、と思い込んでしまっているのだ。それが、傍目には痛いほどにわかってしまう。だから、他人である自分が、医者の立場で荷を取り除いてやることが、多分必要だ。
「って、雅にも言ってやってよ。もう、昨日だってホントは3時間しか寝てないんだから。身体壊しちゃうよ」
「ホントに? こないだ言ったばかりなのに。まったくもう、雅の奴。自分が身体壊したら、友也どうやって守るつもりだよ、あいつは」
「いや、俺のことはどうでも良いんだけど……」
「良くない。雅が、どうせ後悔するに決まってるんだ。わかった。後でちゃんと叱っておくよ」
何しろ、一応宏春はみんなの主治医だから。叱っておく、と言われて、友也は思わずというようにほっとした表情をして、それから嬉しそうに笑った。ありがとう、と小さな声で礼を言う。はっとして顔を上げかけた宏春だったが、それをぐっと堪えると、面と向かって答えはせず、ただ目元だけで微笑んだ。
階下から、引越し蕎麦ができた、と呼ぶ、宏春の母の声が廊下に響く。
ちょうど1階に降りていた哲夫が、その声を受けて、階下から二人を呼んだ。
『ヒロぉ。友也ぁ。昼飯にしようぜぇ』
呼ばれて、二人はそれぞれ、ゆっくり立ち上がる。
それぞれの左手薬指では、金と銀の想いの結晶が、お互いの気持ちを反映しているように、鮮やかに光を放っていた。
おしまい
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