18




 コンコン。

 自室のドアに、ノックの音がして、哲夫は文字通り、びくっと肩を震わせた。次いで聞こえてきた恋人の声に、ほっと息を吐き出す。

「俺。良い?」

「うん」

 階下で父が憤慨の声を上げるのを、何となく聞いていた哲夫である。客が帰ったんだな、とはわかっていたらしい。ゆっくり扉を開けると、自分の心の病で哲夫がぼろぼろになっていた時期に、宏春が誕生日のプレゼントとして贈ったクマの大きなぬいぐるみを、大事そうに抱えて、頼るように抱きしめていた。その視線は、幾分落ち着いて見えた。

「大丈夫?」

「案外落ち着いてるよ。自分でも驚いてるくらい」

 近づいてきて差し出す手に、哲夫はすがるように手を伸ばす。哲夫の膝の上からクマのぬいぐるみが転げ落ちて、床に横倒しになった。

 ぬいぐるみは、贈った頃に比べるとずいぶんくたびれてしまっていた。その疲労の様子は、そのまま哲夫の心を支えてきた証拠だ。ずっとは側にいてあげられない恋人の変わりを、ぬいぐるみはこれまで務め上げてきたのだ。
 
「なぁ、テツ」

「ん?」

 哲夫の、ここ数日で心配になってしまうほど痩せた身体を抱き寄せ、宏春はそのベッドに腰を下ろす。

「辛い時は、俺に寄りかかっていて良いんだよ?」

 途端、意外な事を言われたように、哲夫は顔を上げて恋人を見つめてしまった。宏春の目は、想像以上に真剣で、慈しむような優しさに満ちていた。

 その視線に、自分の存在が包み込まれている。宏春の腕が、そのすべてで、哲夫の心を覆っているのだ。襲い来る外敵から、守るように。

「寄りかかってるよ?」

「嘘ばっかり。すがってくれてるのはわかるけど、でも、自分の足で立ってるでしょ?」

 それは、寄りかかるって言わないよ。そう言って、恋人をその存在すべてを、自分の元へ引き寄せた。髪にキスを落とす。

「言ったこと、無かったよね。俺が、テツに惚れた理由」

「理由?」

 そう、と宏春が頷く。それは、今まではずっと、好きになるのに理由なんて要らない、と言って誤魔化され続けてきたものだった。

 宏春と哲夫が付き合い始めたのは、中学生の頃だったが、出会いはもっと古く、小学校の三年生だった。付き合ったきっかけは、宏春からの告白で、哲夫は最初、宏春のその熱心な言葉にほだされたに過ぎない。

 その口説き文句ででも、宏春は一度も、哲夫にその理由を話したことは無かった。必要の無いことだと言って。
 それが、今になって、自分から打ち明けてくれるなんて。

「……どういう風の吹き回し?」

「うわ。ひどいな、テツってば。それじゃ、俺が意地悪して話してなかったみたいじゃない」

 そんな風にからかって見せて、それから、宏春がその口元に苦笑を刻む。

「小学校の三年の時だよ。もう、覚えてないだろ? 自分の言葉」

「俺の? 俺、何か言った?」

 小学校の三年生といえば、十歳そこそこの年齢だ。その歳の子が言う言葉である。大抵は無意識のセリフだろう。だが、だからこそ、宏春の心には大きく響いたのだ。

「あの頃の俺は、まぁ、簡単に言えばごく普通の虚弱体質児童でさ。他の子と昼休みに外でサッカーも出来ないことで、疎外感を感じてた。その俺に、だよ。テツはね、『見に来いよ。太陽に当たってるだけでも違うだろ』って言ったのさ。一緒に遊ぼう、じゃなくて、同じところにおいで、って、俺の手を引いてくれた。それが、嬉しかったんだよ。誰のどんな慰めより、俺の気持ちを癒してくれたんだ。覚えてる?」

 もう、20年も前の話だ。哲夫は少し考え、それから首を振った。それに、そうだよね、と頷いて、宏春も笑った。哲夫を抱き寄せ、強く抱きしめる。

「テツにとっては、ただ、同い年で病気を持ってる子に、同情しただけなんだと思う。でも、俺はね、そうやって手を引いてくれたテツに、自分に出来ることで恩返しできないかな、ってずっと考えてた。それは、大きくなるにつれて、本当なら女の子に向くはずの恋愛感情にまで発展してて」

「それで、俺が女性恐怖症ってわかった時、だったら付き合おうか、って……」

「テツを助けてあげたかったんだ。それに、ほんとに、好きだったんだよ。今でもずっと」

「ずっと、きっかけは俺の病気に同情してくれたせいだって思ってた」

「ひどいな。ずっと好きだったんだ、って言ったじゃない」

「……そうだけどさ。信じ切れてなかった。ごめん」

 良いよ。そう言って、宏春は実に幸せそうに笑った。今更だが、宏春の本当の気持ちを、今までだってちゃんと話してきたつもりのそれを、ようやくわかってもらえたことが、それだけで嬉しくて。

 抱いてくれる宏春を、哲夫もまたそっと抱きしめ返した。幼い頃の自分が、この愛しい人を闇から救い上げていた。それが、自分は忘れてしまっていたのに、助けられた本人は恩義に感じていて、その気持ちが反対に哲夫を助けてくれている。

 きっと、お互いにそれぞれが病を抱えていなければ、こんな関係は認めていなかった。それは、両親が二人の関係を認めた直接の原因であったけれど、本人たちにとってもやはり、この関係を自分が認めてやれる理由であり、こんな関係に落ち着いた原因でもあったのだ。

「ねぇ、テツ」

「ん」

 話しかけられて、頷いて、先を促す。感動で潤んだ瞳で、哲夫は宏春をじっと見返した。その哲夫に、宏春は出来る限りの愛情を込めて、笑いかける。

「一緒に暮らそう。俺たちは、こんなにもお互いを必要としているんだから。片時も離れず、一生一緒にいよう」

「うん」

「お嫁さんに、なってくれる?」

「ウエディングドレスは着ないよ?」

「似合うとも思ってないよ」

 顔を見合わせ、笑いあう。さすがは20年来の相棒だ。息もピッタリ合う。彼以上の相手なんて、きっとお互いに、ありえないのだ。きっと、出会う前から。

 そっと近づいてくる宏春の唇を待って、哲夫は嬉しそうに微笑を浮かべ、目を閉じた。





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