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 遠くからやってくるスクーターのエンジン音が来客用の駐車場で止まったのを聞きつけて、哲夫は部屋を飛び出した。階段を駆け下り、チャイムが鳴ると同時に玄関を勢いよく開ける。

 向こうにいたのは、予想通り、宏春だった。

 相手の確認もそこそこに、哲夫がその彼氏に体当たりする。少しよろめいて受け止め、宏春が苦笑したのが、耳元に聞こえた。

「ヒロぉ。ごめんねぇ」

 口では謝って見せながらも、哲夫はすがりついた手を緩めようともせずに、泣き出してしまった。ポンポンと優しく背を叩かれて、ようやく安心したらしく、泣き声が落ち着いていく。

「落ち着いたか?」

「ん。さすが、精神安定剤」

「そりゃ、良かった」

 薬呼ばわりに否定もせず、宏春は優しく微笑んで返した。

 階段を駆け下りる音を聞きつけたのだろう。客間から母が顔を出した。そこに宏春の姿を認めて、安心したらしい。にっこり笑って、部屋を出てくる。

 ぺこ、と宏春が頭を下げたので、哲夫も気づいた。宏春の首に手をかけたまま、後ろを振り返る。

「いらっしゃい、宏春君。とにかく、二人とも中に入りなさい。宏春君、コーヒーで良い?」

 聞きながら、母は先に台所へ入っていく。動けない哲夫を促して、宏春も家の中に入ると、母を追いかけた。
 客間からは良くない雰囲気が伝わってきていて、そういえば、玄関前に男物の靴と小さなヒールが並んでいた。嫌な予感が的中なのであれば、自分の家の訪問客と同じなのだろう。下山田家では姉夫婦という可能性もあるので断定はできないが。

 ダイニングテーブルに、とにかく哲夫を落ち着かせて、宏春は手渡ししてくれる二人分のコーヒーカップを受け取った。母も、そのまま椅子に腰を下ろす。

「それで?」

 改めて尋ねられて、哲夫はまた、心細そうな表情を見せる。

「青山さんが来てるんだ。父親同伴で。見合いさせて欲しいってことだろ、きっと」

「青山? ……ああ、問題の受付嬢」

 聞き返して、頭の端に残っていたはた迷惑な女の苗字と一致させる。納得して、頷いて、困ったように肩をすくめた。それから、哲夫の肩に手を伸ばす。

「安心しろ。俺が守ってやるから」

「ごめんね。診察中だっただろ?」

 慰めてくれる彼氏を見返し、哲夫はそう気遣って見せた。それだけの余裕は戻ってきたらしい。落ち着いたのであれば、良いことだ。

「気にするな。今日はちょうど診察も終わってたしな」

 優しい声をかけてやって、肩を抱いたまま、幾分髪の薄くなった頭を撫でる。本当なのか慰めなのか判断が付かないまま、哲夫はそんな彼氏の気遣いにうなづいた。

 哲夫の精神状態が落ち着いたのを確認して、母は二人の気を散らさないように、そっと席を立った。また、客間に戻っていく。

「部屋に行こうか。お客さんにはちあわせしないように」

「うん」

 促されて、哲夫も席を立つ。

 連れ立って居間を出ると、ちょうど客間のドアが開く。途端にびくっと身体を震わせ、哲夫は慌てて宏春の背後に隠れた。

 その戸を開けたのは父だった。戸口から見える客人たちの表情はいぶかしげだ。

 そもそも、宏春側の問題といい、哲夫側の問題といい、何故彼らは婚約者がいるという話で納得してくれないのか。不思議で仕方が無い。

 それは、世間一般の常識から見れば、気が早すぎるマリッジリングのせいなのだが、さすがの宏春もこの件に関しては客観的な見方が出来ていなかった。

 客人たちが帰る状態でないことから、戸を開けた理由は父の用事だと判断ができる。進路をふさいでしまっているのに気付いて、そこから一歩下がりかけた宏春に、父は口を開いた。

「あぁ、宏春君。ちょうど良かった」

「俺、ですか?」

 思わぬ話しかけられ方に、柄にもなく、宏春が聞き返してしまう。父は、そう、と頷いた。

「息子の見合い立候補相手が来ているんだがね。婚約者として、挨拶してもらえないかね」

「それは、俺は構いませんけど……」

 答えて、続きの言葉を濁す。

 自分は構わない。なんと言われても屈することは無いだけの覚悟もついている。だが、下山田家として、それで良いのかどうかは、宏春の判断できる範囲を超えている。

 この家の家業は会計士だ。醜聞が立てば、たちまち家計が成り立たなくなってしまう。本人たちの間では折り合いの付いていることだとしても、世間の目はそんな家庭の事情にはおかまいなしだ。会計士の長男が同性愛者だと知れれば、それだけで信用問題になってしまう世の中なのだ。

「良いんですか」

「構わんよ。哲夫の病気をこれ以上悪化させることに比べれば、どんな試練も大した問題ではない」

 最近の急激な症状の悪化には、父も心を痛めていたらしい。それも、一番酷かった大学時代と比べて、当時は無かった宏春のカウンセリングを受けても、匹敵するほどに悪化しているのだから、深刻な事態なのである。他人の目など、気にしている場合ではない。

「わかりました。テツ、一緒においで」

「……俺も?」

「二人一緒の方が説得力あるだろ? 手を握っててあげるから。な?」

 な?と言われて拒否できる哲夫ではない。しぶしぶ頷く。それを、まるで幼い子を相手にするように誉めてやって、宏春は恋人の手を引いた。





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