15
土曜日は、午前中いっぱい、患者次第では午後三時くらいまで診察があることを、どうやら彼らは知らなかったらしい。
確かに、週末に来るとは言っていたが、それにしても、何も土曜の午前中という、一週間で一番忙しい時間に来ることは無いだろうに。
そのように父親が憤慨して見せるのに、宏春は苦笑して返した。
客とは、言わずもがな、吉川親子である。食事をしながら話をしようというつもりだったのだろう。午前11時頃に、やってきて、そのまま待合室で待たされている。
12時を過ぎて整形外科の患者が一段落し、まず隆春が客の応対に出向いた。
客人を、母屋へ続く病院の非常口へ案内する途中で、宏春の診察室に顔を出す。
「宏春。哲夫君は今日は来るのかい?」
そこに診察を受けているのが、高井家のご近所に住んでいるトミおばあちゃんなのを確認して、声をかける。
「その予定だけど。何で?」
「今日は早めにあがって、ちょっと一緒に話をしよう」
「わかった」
本当なら、こちらから行ってあげたかったが、客が来てしまっては仕方が無い。答えて、頷いた。院長先生が父と娘らしい二人連れの客を連れているのに、患者としてそこに居合わせたトミおばあちゃんが、若先生をからかうように笑って見せる。
「若先生のお嫁さんかい?」
「まさか。自分から押しかけてくるようなデリカシーの無い女性は、却下ですよ。俺の好みは、おとなしい箱入り娘タイプのグラマラス美女だもん。おばあちゃん、知ってるでしょ?」
「あんれまあ。嫌われたもんだ」
そんなふうにおどけて見せて、トミおばあちゃんはほっほっと楽しげに笑う。宏春もまた苦笑して返すと、首にかけた聴診器を耳に戻した。
残りを母に任せられるだけまで手伝って母屋に戻った宏春は、客間の前で立ち止まった。部屋の中に人の気配はするものの、話し声が聞こえてこないのだから、宏春でなくとも警戒するというものだ。
深く深呼吸をして、ようやくその戸を叩く。
「宏春です」
『入りなさい』
声を聞くだけでも、父が不機嫌なのが伝わってくる。戸を開くと、想像通りの険悪ムードだった。
「宏春。確認するが、ちゃんと断ったはずだな?」
「お父さんもそばにいたじゃないですか」
そんな肯定の仕方をする。それは、父もその答え方を望んでいたのだろう。満足そうに頷いて、客人に向き直る。
「先ほども申し上げましたとおり、うちの息子にはすでに将来を誓い合った相手がおりますし、すでに家族ぐるみのお付き合いをさせていただいております。素敵な娘さんをお持ちなのはわかりますが、お話をお受けすることはできません」
そう、何度も言っているはずなのだ。父も、これだけ時間があれば何回か口にしていておかしくはないし、宏春もずっとそう主張し続けている。一体何が気に入らないのか、理解に苦しむのだ。
と、ここに来る前に部屋によって持ってきた携帯電話が、突然震えだした。
携帯電話の番号は、友人と市民病院の関係者くらいにしか教えていないはずで、今は普段であればまだ診察中の時間である。この時間にかかってくる電話は、緊急事態と心得ていたので、宏春は迷うことなく二つ折りのそれを開いた。
相手は、恋人だった。
「もしもし?」
客に頭を下げて部屋を出ながら、受話ボタンを押す。向こうから聞こえてきたのは、半泣き声だった。
『ヒロぉ。ごめん、助けてぇ』
普段、宏春に対しては特に、泣き言を言わない哲夫である。その彼の必死のSOSに、宏春は事情を聞かずに了解した。事情は後で聞けば良い。
「すぐ行く。もう少し、頑張って」
今はもちろん、客の対応中だ。しかし、押しかけ女房立候補者と愛しい恋人では、恋人優先になってしまうのも、道理だろう。
一度閉めた客間の戸を開き、中に顔だけ突っ込む。
「父さん。ごめん、未来の嫁さんからSOS入った」
宏春の恋人が、最近特に心の病をこじらせているのは、隆春も知っている話だ。医者としてはすでに一人前と認めている息子の言う一大事なのだから、咎める必要がなかった。医者という職業柄、何をおいても急患が最優先なのだ。
「行っといで。無理して急いで身体こじらすなよ」
「わかってる。往診バイク借りてくよ?」
「あぁ」
父に認められて、宏春はあっけに取られている客人たちにとりあえず頭を下げ、慌ただしく出て行った。
息子を見送って、客を振りかえった父、隆春は、それから大きなため息をついた。
「そういったわけで、このお話はなかったことにしていただきたい。あの子には先天性の障害もありますし、見た目以上に表裏ある性格ですから、お嬢さんには扱いきれませんよ」
そんな断りの台詞には、実の親だからこそ言える真実が語られているのだが、それが果たして相手に伝わっているのか。反応を見る限り、微妙なところだった。
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