12
水曜日。
宏春にも試練の日が訪れる。
週に一度、市民病院へ出張する日であり、先週話を持ちかけられた、見合いの相手と顔を合わせる日だ。
結局、電話で直接断ったものの、水曜日にまた話をしよう、と言われていた。また、ねじ込んでくるのだろう、とは想像がつくわけだ。
最初に反応したのは、予想通り、ナースセンターの看護師たちだった。というのも、医者が控え室に行くには、必ずそこを通って出勤の挨拶をするのが決まりになっていたからだ。そして、この病院も多聞に漏れず、看護師のほとんどが女性であり、未婚女性の割合が多かったので、それだけその指輪に対しても目敏いわけである。
おそらく、その中には、宏春に好意を寄せていた者もいたのだろう。宏春が顔を見せた途端に、ナースセンターに動揺が走った。
次に、それを見つけたのは、控え室で書類の整理をしていた、唯一の女医であった。内科部長の一人娘、吉川小夜子だ。
「高井先生。それ……」
そう、声を掛けたまま、彼女はそこに固まってしまった。それから、目に涙を浮かべてうつむいてしまう。
彼女が指摘したことで、そこにいた医師たちが全員、それに注目した。左の薬指といえば、その意味はただ一つだ。が、結婚もせずにそれは出現する理由がない。
彼女が反応しなくなって、遠慮がちに近づいてきたのは、宏春とは一番歳の近い、中川医師である。
「高井先生って、結婚、してましたっけ?」
「いえ、まだ籍は入れていないのですが。式も挙げる予定はないですし、相手の方がこれが必要になってしまったので、ついでに作ったんですよ」
それは、嘘ではない。事実の全てでもないが、これだけの情報があれば、相手が勝手に想像してくれるだろう。それを、期待しているのだ。
「なんだ、いるのか。そうだろうなぁ。こんな色男で、しかも医者じゃあ、女が放っておくわけがないよな」
中川の、一般的な男の反応に、宏春は軽く苦笑して返す。
その中川の声が、大きかったらしい。騒ぎを聞きつけて、部長室から内科部長が出てくる。
「一体何事だね」
「お父様っ」
出てきた途端、娘に泣きつかれた。体当たりする娘を抱きとめて、父親は怪訝な表情でそこにいる医師たちを眺め回した。そして、宏春の左手に気づく。
「高井君っ。君という人はっ」
「申し上げたはずです。すでに約束している人がいます、と。人の話を聞こうともせずに話を押し切ったのは部長でしょう? 咎められるいわれはありませんが」
それは、自分の立場がそれで悪くなることは承知での言葉だ。事前に両親の許可は得ているし、これで立場がこじれにこじれて仕事にならなくなったら、市民病院から撤退しても良い、と父からの言質も取っている。その上での言葉である。
そんな双方の言動に、周りの人間は一瞬何事かと驚いていたのだが、すぐに事情を理解したらしい。われ関せずとばかりに、それぞれに自分に与えられた席に戻っていく。丁度、診察開始時間を告げるチャイムが鳴った。
「診察の時間ですので。失礼します」
ぺこり、と頭を下げて、宏春が一番に控え室を出た。
出たところで、看護師たちも聞き耳を立てていたことに気づき、苦笑を見せる。
「お仕事しましょう。俺の患者さんは?」
言われて、今日の担当看護師が、勢い良く立ち上がる。
「精神科から助っ人要請が来ています。お願いします」
「はい」
答えて、宏春はまるで逃げるようにナースセンターを後にした。哲夫のような病気ではないが、宏春も女性は基本的に苦手だったりするのだ。
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