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 宏春の部屋で、哲夫は読みかけの漫画雑誌を手に取った。

 まだ、宏春の仕事が少し残っていたのだ。が、休憩をしに居間に下りていったところ、両親と恋人がとんでもない話をしていたので思わず首を突っ込み、哲夫の表情が気になって連れてきてしまった。といったところだ。

 その漫画は、完全な哲夫の趣味である。宏春は、好んでそれを買うほどのものではない。何しろ、女性向けである。本屋でレジに出すのにも勇気がいる。

 そういう趣味があるところが、哲夫って女脳なのか、真性ホモなのか、わからないよなぁ、という宏春の感想を生むわけだ。それは、男同士の恋愛を描いた少女漫画なのである。

 もともと、宏春がそういった世界を知ったのは、哲夫の影響が大きい。友人である友也にしても、哲夫の趣味からその世界を知って、さらにその世界でイラストレーターとして名を上げた人間だ。

 それも元をたどれば姉の影響だったようなのだが。

「ごめんな。今日はめちゃくちゃお客さんが多くてさ」

「その指輪のせいだって、真紀子先生が言ってた」

 答えて、哲夫はくすくすと笑って見せる。どうやら、宏春がもてる分には、さっぱり気にしていないらしい。確かに対象は還暦を迎えたかどうかというお年寄りばかりなので、気にならないと言えばそうなのだが、それにしても少しは気にして欲しい宏春である。

「テツも?」

「問題の彼女がね。絶対に振り向かせて見せる、ってさ」

「あら、まぁ。自信たっぷり」

 そりゃ、天地がひっくり返っても無理だろう。そう、宏春は軽口を返す。哲夫もそれには賛同した。女性恐怖症の人間に対して、女性を前面に押し出して迫ってみたところで、勝算はゼロに等しい。その事実を、是非とも伝えてあげたいと思う。それが、哲夫の心の平安にも繋がるのだ。

「俺、会おうか? もう俺の婚約者に近づくな、って」

「駄目だよ。あの人、社内でも指折りのマドンナで、独身男たちの高嶺の花で、ついでに噂好きで、交友関係も社内で一、二を争う広さなんだから」

 俺の仕事がなくなっちゃう。そう、訴えられては、それ以上宏春が提案を発展させるわけにもいかない。そっかぁ、とため息をついた。

「せっかく良いところに転職したのに、そんなことで職失いたくないもんな」

「うん」

 まだ仕事は途中なのだろう。パソコンの電源は入れっぱなしで、宏春は哲夫の近くにやってきた。隣に腰を下ろし、抱きしめる。

「また、事務所に戻った方が良いのかな? 前の事務所の所長さんも、逃げてきて良いって言ってくれただろ?」

「でも、逃げてたらいつまで経っても治らないでしょ?」

 それはそうなんだけど。そう、言葉を濁す。なにしろ、リハビリのため、女性のいるところに移ったらどうだ、とは、宏春が最初に提案したことだったのだ。
 その事情は、主治医である宏春も一緒に前の事務所に訪ねて行って、説明していた。その所長のご好意で、数年経ったら戻ってくる、という条件付で一時的に転職したのだ。だから、逃げ場として使わせてもらうことは可能だった。その事務所は、それ自体は偶然なのだが、事務員から何から、関係者は全員男性なのだ。

 問題は、周りに女性がいることではなく、哲夫に目をつけたその女性が、哲夫にとって厄介な人物である、ということだった。
 仕事自体は、哲夫自身が能力のある人間であることもあり、すっかり職場に溶け込み、バリバリこなしている。上司にも力があると認められていて、本格的に忙しくなり始めたところだ。これを放棄する理由として、彼女一人というのは、精神的な問題はともかく、職業人としての意地としては認められるものではない。

 だから、哲夫としても、こんな感想になるのだ。

「なんか、悔しいなぁ」

「何とかならないものかねぇ、その人」

 一緒になって、悩んでくれる恋人に、哲夫はそれが嬉しくて寄りかかる。それから、深いため息をついた。

 せめて、女性恐怖症であることくらいは、説明したい。が、それを本人から直接説明したところで、理解してくれるとは思えないのだ。
 何しろ、その時たった今、その恐怖の対象となっているのは自分なのであって、説明できるということはそれが事実であるという根拠を自ら潰すことに他ならない。馬鹿にしてるの、と怒られるのが落ちだ。

 とはいえ、その説明のために、主治医がわざわざ仕事先まで出向いて説明するのも、それはそれでどうだろう、と首をひねるところである。
 普通、主治医とはいえ、所詮は患者の一人であるわけで、そこまでのことはしないだろうからだ。宏春も、相手が哲夫でなければ、そこまでの行動には出ない。立場上、出られるはずもないのだが。

 とにかく、八方塞で、二人は同時に、深い深いため息をつくのだった。





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