進路




 あいつと、そういう意味で付き合うようになって、四年が経った。我ながら、よく続いていると思う。

 俺もあいつも、案外淡白な方らしくて、最近は週一のエッチも最後までしなかったりしている。それは、でも、俺に飽きたとか、そういうことではないらしくて、別に不安に思ってはいなかった。

 それも、今までは、と注釈が入る。




 高校二年生の冬、二月。

 一年後、受験で忙しくなっているはずのこの時期、二年生は進路決定を迫られていた。クラス替えのためである。文系と理系に分けよう、というわけだ。
 それは、俺もあいつも理系の頭をしているから、多分来年も同じクラスだろうと思う。理系は絶対数が少ないから、同クラスの確率は非常に高い。その上、クラス分けを成績順でしている学校で、俺もあいつも同じような成績だから、まず離れることはないだろう。

 別に、そんなことを気にしているわけではない。気になっているのはもっと先のこと。

(俺は、将来どうしよう……)

 あいつの将来は、もう決まっている。医者の息子だし、本人も心療内科を希望していて、医学部に進学できるだけの頭もある。実際そのつもりで、今から予習しているくらいだからだ。医学部に行け、と背中を押してやった手前、離れたくない、なんて駄々をこねられる立場ではない。

 そう。離れたくないんだ。あいつを、自分の目の届かないところへはやりたくない。

 俺が言うのもなんだけど、男の俺がベタベタに惚れるだけのことはあって、あいつはとにかくイイ男だ。恋人の欲目では全然なくて、俺達共有の親友である友也がそう認めた。『氷の女神』なんて称号を、嫌味も欲目もなくさらっと受け入れた、実際、他人に対しては氷のような冷たい心と即効性の毒の舌を持つ、その友也が認めたのだから、疑う余地はない。

 浮気されない、という保証がない。あいつは元々ノーマルだから、俺と違って女の子も普通に好きな人だから。
 それに、俺もきっと本当は、あいつには普通の幸せを手に入れてほしい、と思っているんだ。だって、「女の子が好きになるかもしれない」と思っても、自分は確かにさみしいし嫌だけど、仕方ないってどこかで思ってる。男が男を好きになることよりも、男が女を好きになることの方が自然だから。当たり前のことだから。そう、思ってしまえるから。

 本当は、悔しいんだ。あいつを、誰かに盗られるなんて、我慢できない。絶対に嫌だと思う。思うけど、でも……。

 そうして、俺の頭は堂々巡りを繰り返す。何度も何度も。




「でもさぁ。宏春の隣に女の子立たせても、何か違和感ないか?」

 そう言ったのは、雅だった。友也の彼氏。何と、友也に対して10年も片思いをしていて、やっと実らせたという、根性の人だ。
 去年の春は友也のことでいろいろあって大変だったけれど、今では俺たちよりもラブラブで、しかも校内の二大アイドルだったりするから、二人の周りは実に華やかだ。

 その雅に、今の俺の不安を打ち明けてみたところ、返ってきた答えがこれだった。それはきっと、俺が横にいてしっくりいくからいいんじゃないか、といって慰めたいのだろう。
 そう言ってもらえるのは嬉しいのだけれど、今はちょっと、その言葉では慰められないのだ。

 まだ暗い顔をしている俺に、雅はでも、軽く笑ってみせた。

「哲夫は、まだ将来の予定とか、ないの? 家を継ぐとかさ」

 場所は美術室。部活を終えて、宏春と友也がここに迎えに来るまで待っているところだった。前は宏春が所属しているメディア研の部室が待ち合わせ場所になっていたが、いつのまにかこっちになった。
 向こうは人が多くて、行くのに結構勇気が要る。雅のいる美術部は絶対数が少ないし、そもそも顧問の町田先生は自分がそうだから否定ができない俺達同性愛者の良き理解者だ。そして、先生という職業柄、相談にも親身になってくれる。

「夢とか、ない? 俺はね、弁護士になること。これが俺の夢」

 友也にもまだ言ってないんだけどねぇ。そう言って、雅が苦笑する。きっと、それは、友也には将来を考えるための選択肢が狭いから。恋人に気を遣っているのだろう。あまり未来を考えて暗くなったりしないように。優しい奴だ。こんな奴だから、友也を支えてやれるのだろうけれど。

 夢、か。……ないわけではないんだけどね。

「え? 何?」

 そう。夢なら、ある。でも、あいつにはあまり聞かせたくない。この夢は。あまりにもあいつとはかけ離れた夢だから。なんだか、自分から離れていってしまうようで、嫌だから。

『弁理士』。これが、俺の夢。難しいけれど、このくらいの地位がないとあいつと肩を並べられない。自分が、お荷物になっているようで辛いから。それに、そういう仕事、結構性に合ってると思う。

「すごいじゃん。頑張れよ。なれるよ、哲夫なら」

 言った途端、大騒ぎされてしまった。どうやら聞いていたらしくて、この場で堂々とテストの採点をしていた町田先生まで近づいてくる。

 でも……。

 それは、社会的には医者や弁護士に並ぶ地位だけれど、俺はその夢を追いかけるのに二の足を踏んでいる。それは、自分に自信がないせい。あいつと違う道に進んで、それでもそばにずっといられるだけの、自信がない。

 あいつは、きっと医者になれるだろう。それだけの資質と教養がある。情熱もある。俺は、彼に見合うだけの人間に、なれるだろうか。あいつに見放されないだけの、そんな人間に。

「何言ってんだよ、下山田。そんなこと言ってると、高井の奴、怒るぞ。そんなことで恋人手放すようなカワイイ奴かよ。お前らに別れの時が来るようなら、この世の恋人たちは一組として幸せになれんぞ」

 つまり、町田先生ってば、俺達の仲に嫉妬してる? 何て言ったら、拳骨をもらってしまった。少しは手加減しろよ。痛いから。

「哲夫のは自業自得。せっかく町田先生が珍しく慰めてくれてるのに。ねぇ」

「桂。お前な。珍しく、は余計だろ」

「実際珍しいよ」

 突然、明後日の方から声がして、さすがに俺もびっくりした。その声は、昨年までの全校生徒の羨望と憧れの対象だった、かの有名人のもの。そして、ここに現れることに何の不思議もない人。『太陽の女神』榊原先輩だ。

 この人が、町田先生の恋人だと知ったのは、榊原先輩が卒業してからだった。ずっと、ひた隠しに隠し通していたのだ。美術部の部長と顧問。そこに疑いの目をむける人はいない。
 この二人も、二人の立場が特殊だったせいもあって、悩んだらしい。らしい、というのは、それが伝え聞いた話だからだ。本人たちは、卒業してしまった開放感からか、美術室内では堂々とイチャついているので、その頃の苦悩など知るべくもない。

 そうか。榊原先輩に相談してみるのも手かもしれない。

「ふぅん。進路ねぇ。ボクの場合は、元々立場が全然違ったから、特に意識しなかったけど。ずっと一緒だもんね、不安にもなるかぁ」

 事実を事実として受け止め、かみ砕いてみせた先輩の台詞に、俺は縋るように頷く。そう。理由は分かっている。いつもそばにいるから、そのせいだ。それは分かっている。分かっていても、不安なものは不安なのだ。あいつのことは、信じている。信じたい。でも。また、堂々巡りを始める。

「だったらさ、生活の一部を共有しちゃったら? ボクたちは逆に、ボクに自由が利くようになったから、だったけど。まったくバラバラになると不安でしょ? どこかで、毎日そばにいるって実感が欲しいじゃない。大学生になれば、大学の近くに同居、ってアリでしょう? 家族ぐるみの仲良しなんだから」

 あ。

 そうだよな。そんな簡単なこと、なんで気づかなかったんだろう。そうだよ。一緒に住んでしまえば、浮気の心配だってないし、一緒にいて、支えてあげられる。そばにいてもらえる。そうだよね。そうだよ。

 なんだか、その一言で、心が落ち着いた。すごい。『太陽の女神』の魔力か?

「後輩『女神』は役に立たなかったみたいだけどなぁ」

 それを言う時の雅の目は、それでも嬉しそうだった。ごめん。ありがとう。




 俺を抱く時のあいつの目は、いつでもとても嬉しそうで、それが俺の欲情を誘う。肌を滑っていく指先の感覚とか、俺の身体を嬲っていく手の温もりとか、キスの雨を降らせてくれる柔らかい唇とか。俺の身体の奥深くを、快感のツボを刺激する。

 気持ち良い。

 素直にそう告げると、こいつはふふっと嬉しそうに笑った。

「雅、けっこうおしゃべりだよ。相談する時はちゃんと口止めしておきな?」

 え? 感じなれた優しい雰囲気に包まれながら、うとうとと眠りに落ちかけていた俺の耳に、そう語り掛けられる。

「榊原先輩に、嫉妬しちゃうかもなぁ」

 あ、今日のことか?

「ごめんね。テツが悩んでるの、気づかなかった」

 俺の部屋で俺を抱きしめて、額に優しいキスを落とす。結局、俺だけイカされて、裸のままベッドの上で抱き合っていた。体温が温かくて安心する。
 俺だけ、なのにはそれなりの理由があって、仕方がないことだからもう気にしていない。確かに、俺一人だけ煽られて意識を飛ばしてしまうくらいの快感をもらうより、一緒に気持ち良くなった方がもっと嬉しいけれど。
 でも、そのために無理はさせたくない。一晩で、二回が限度だし、それも週に一回がせいぜいなのは、百も承知だ。そして、俺がそれでは物足りないのも、ちゃんとわかってる。
 だから、一緒じゃなきゃ嫌だ、なんて無理は言わない。俺には、こいつのカラダの事情までは推し量れないし、そんなのは本人にしかわからないから。

 俺とこいつは、それぞれが心も体も傷だらけで、それをお互い補いながら一緒に生きていくんだろう。俺は、女性恐怖症。こいつは、ナントカっていう赤血球異常の病気を抱えている。それでもやっぱり、生きていくしかないんだから、支えられる、支えてくれる、相手がいるのはきっと、運命だった。

 しばらく黙って俺の頭をくしゃくしゃと撫でていた彼が、ふと言った。

「俺は、やっぱり、医学部に行くと思う。医者になりたい。心の病気を持っている人を、治してあげたい。だから、テツと四六時中一緒にいるのは無理だと思う。でもさ、だからこそ、一緒にいられるときは一緒にいたいと思うよ。俺は、一生テツの隣で生きていきたいと思ってる。本当だよ?」

 そんな風に、考えてくれてたんだ。俺なんかより、ちゃんと、考えてたんだ。俺なんて、榊原先輩に言われなかったらきっと気づかなかったのに。

「ねぇ、テツ。今から、予約を入れてもいいかな?」

 予約? 何の?

「大学を出て、就職して、身の回りが落ち着いたら……」

 え〜と。医学部は六年間で、さらにインターンがあって……落ち着くまで最低九年はあるけど。

「もう。茶化さないでちゃんと聞いて。テツだって、弁理士になるなら、その位かかるかもしれないでしょ? ただ待たせたりはしないよ。ね。落ち着いたらさ。結婚、しよ?」

 そんなの、男同士の俺たちには実際無理なのに、こいつは簡単に言ってのけた。できるとかできないとかじゃない。その気があれば、法律上がどうであれ、結婚はできる。そう言いたいんだろう。
 そして、俺はそれに、大人しく従うことにする。だってそれは、俺にとって歓喜を呼ぶ言葉である以外の何物でもなかったから。

 頷く俺に、深い深いキスをくれる。抱きしめる腕が、愛撫に変わる。舐めて、つねって、くすぐって、俺の中の快感の種を、一つずつ呼び覚ましていく。確実に、着実に。

「たまには、最後までしようか」

 だから、無理はしなくていいのに。俺はお前を愛してるんだから。それは、シテもシナクても、変わらないんだから。

「いつも、我慢させてばかりだから。今日は、テツのこと、いっぱいいっぱい愛してあげたい気分なんだ。いいでしょ?」

 ホントに? 大丈夫なの?

「うん。いつもシテあげられなくて、ごめんね。愛してるよ、テツ」

 ちゅうっ。いつもは気を使ってそんなことしないくせに、俺の、それもかなり目立つ首筋に、濃いキスマークをつける。カチリとスイッチが入るように、俺の体が歓喜で震えた。もう、欲望が、抑えられない。欲しいんだ。こいつが。全部。

「ねぇ。テツも、言って。愛してる?」

 甘える口調が、いつものこいつらしくなくて、そんな姿は俺にしか見せない。だから、俺はもっともっと甘えさせてやりたくなる。
 俺のすべてを、あげるから。貴方のすべてを、俺にちょうだい。

「愛してるよ。ヒロ」



おしまい





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