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結局、傷は七針も縫う大怪我で、全治一ヵ月。怪我してからもかなり動かしたのを、先生に怒られてしまった。動かさなかったら五針で済んだのだという。でも、あそこで安静にしているわけにもいかないから、仕方がない。
この傷の原因は、やっぱりというか、後ろから襲ってきた寿士さんのナイフだったそうだ。それにだけ、たっぷり血が付いていたのだという。
その寿士さん、父が三年前の強姦について訴えてくれたため、本当に俺が言ったとおりの罪で今取り調べを受けている。
プラス、この怪我のおかげで傷害罪だ。
救急車で運ばれた病院で手当てを受けた俺は、かかりつけの病院でもある高井医院に移送されて一日入院した。温泉旅行にはどうしても行きたかったから、ならば入院して絶対安静にして入浴許可を得ていきなさい、と宏春の父上に言われたからだ。
したがって、俺は言われたとおりに一日入院し、入浴許可をもぎとった。
俺たちは今、西伊豆の海岸線を走るバスの中にいた。肩はギプスで固められ、絶対に濡らさないと誓わされた。その上での入浴許可である。
雅はあの後、俺と友達でいることを禁止されたそうだが、雅の懸命な説得のおかげでとりあえず父親の方が味方につき、この旅行も家長権限で許可が出たものだった。
どうやらあのお父さんは、俺の身の上に同情してくれたらしい。一方奥さんは、俺とは犬猿の仲になりそうな気配である。困ったものだ。
バスは延々と海岸線を走っていく。海に反射する太陽の光が少し眩しく見えた。
「髪、もったいなかったね」
気に入ってたのに。今ではおかっぱといえるくらいの長さになってしまっている。それでも男としては十分長髪だけど。
「またのばそうか?」
「うーん。でも、今の髪型もこれはこれでカッコイイから許す」
ありがと、と笑って、雅は自分の髪を掻き上げた。長くてきれいだった髪は、短くてもきれいだ。
俺と雅の位置関係は、いつのまにか決まってしまっていた。かならず雅は俺の右隣にいて、俺の右側を守ってくれている。
俺の右手になるといったのを実行しているのだろうか。本心はわからないけど、そのおかげで精神的にはかなり楽だった。右手が動かないことを取り繕う必要がないのだ。雅が自然にサポートしてくれるから。
「でもさぁ。雅って、スポーツ刈りとかしたら、別人になっちゃうよなぁ」
前の席で宏春といちゃついていたはずの哲夫が、背もたれ越しに顔を出した。ついでにスティックポテトをくれる。
「似合わないんじゃないか? バリカンで刈られなくて良かったよ、本当」
「まったくだ。これだけ短くなってもクラス中大騒ぎだったんだから、さらに短かったら悲鳴があがるって。でも、なんかゴールデンウィーク明けが恐いよな」
「休み時間毎に黄色い歓声があがるだろ。何しろカッコイイから。で、友也がこの怪我だろ。こっちに悲鳴があがるんじゃないか?」
宏春も振り返っていって、哲夫がうんうんと頷いている。危ないから前向け、と俺が言って、また二人ずつの世界に戻った。聞いていなさそうで、二人ともこっちの会話を気にしていたらしい。
しばらく黙って、見え隠れする海を見ていて、ふと雅が言う。
「あの男たちに言った話、あれって本当?」
あれって、どれ?と首を傾げる。雅は海の方を眺めたまま、こっちを見ようとしない。
「あの男のために、誰にも言わなかった、って」
「作り話」
あっさり答えたら、びっくりして雅が俺を振り返った。そんなことを心配して拗ねていたらしい。その行動がおかしくて、笑ってしまう。
「中二のガキがね、そこまで考えられるわけないでしょ。
あの人にとっては、ガキに何もかもわかったような顔をされるのとか、哀れまれることとかって、かなりの屈辱なんだよ。だから、作り話をしてやっただけ。
復讐だったんだから。本当のこと言ってどうするの。
五才も年下の相手に哀れまれて気を使われてたなんて、あいつにとっちゃあこれ以上ない屈辱なわけ。しかも、そのガキを追い詰めて、心に傷つけて、楽しんでたんだからね。より一層ぐさぐさ来るってからくり」
「……鬼」
「『氷の女神』って名前は、伊達じゃないってさ」
宏春が名付親だからね。的を射て当たり前なのだ。これでも五年目の大親友である。
「降りるぞ」
またひょいと背もたれから顔をのぞかせて、哲夫がそう言う。バスのアナウンスが次の停留所を案内していた。
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