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 中に入って、迷わず俺は四階にあがる。時計はちょうど九時を指していた。約束の時間にはまだ一時間ある。でも、だからといってあと一時間待つ気はなかった。
 万が一のために、宏春がカラーコピーの一万円札を上に乗せた新聞紙の束を作ってくれたが、俺はそれも使う気はない。あの人には俺で充分のはずだし、そんな小細工は俺には必要ない自信があるから。

 四階の中階段の手前の病室に、あの人はいるはずだった。この廊下、あの夢で見たのとまったく同じだ。あの頃はまだ背が低かったから、視点は変わってるけど。一緒だ。明かりの消えた非常口の表示板も、つきあたりに見える外階段の扉も。あの時の、あの部屋に、彼らはいるはず。

 入り口の手前で俺は木刀を哲夫に預けた。手を縛っている余裕なんてないし、稽古じゃないんだから、左手一本壊すつもりで振り回したほうが勝算がある。でも、雅を取り返すまでは、相手を下手に刺激しないほうがいい。
 宏春にスーツケースを差し出されて、俺は首を振った。大丈夫だと笑ってみせる。そして、その入り口を開けた。

 ほら、いた。

「よお、友也。久しぶりだなあ。懐かしいだろ? 俺たちの記念の場所だ。あの時のお前は、ホント良かったぜ」

「そんな昔のこと、いまさら言わないで、寿士さん。知らない人もいるじゃない。恥ずかしいよ」

「知らない人? 友達だろ。いいじゃねえか、別に。また、あの時みたいに、楽しもうぜ」

 あの時の五人組が、雅を押さえつけている。髪の毛、よっぽど下手な奴が切ったのだろう、ばさばさだ。せっかくきれいだったのに、もったいない。

「で? 金はどうした。五千万円、びた一文まからねえぞ」

「お金が欲しいの? 俺だけじゃ駄目?」

「駄目だな。金と引き替えだ。まだ時間もある。出直してきな」

「そんなお金、ないって」

「なきゃ作るんだよ。子供が可愛くない親なんざ、いねえだろ」

 行けよ、と顎をしゃくる。俺は黙って首を振った。

「お金払わなかったら、その人どうするの?」

「さあな。コンクリート詰めにして海に落とすか、富士の樹海にでも置き去りにするか」

「人、殺しちゃ駄目だよ。罪が重くなっちゃうよ」

「死体が見つからなきゃ行方不明だ。罪には問われない」

 残念だったな、と勝ち誇ったように寿士さんが鼻で笑う。ひどい、と呟いて、うつむいてみせた。でも、動く気はない。
 こうやって純情少年を装っているのも、昔寿士さんと付き合っていた時の俺がこんなだったということもあるけど、油断させるためというのもある。これだけ気の弱そうなガキが、抵抗するなんて誰も思わないだろう。それを狙っている。
 昔のままの俺と思ったら火傷どころじゃ済まないのだ。宏春の言葉を借りるならば、冷たさで火傷をする、ドライアイスなのだから。

 ずっとそこから動こうとしない俺にとうとう焦れた寿士さんが、俺に近づいてきた。
 とにかく短気な人なのだ。伊達に二年もそばにつきまとっていたわけじゃない。この人の性格はこの人以上によく知っている。焦れて、俺を無理矢理部屋の外に出させようとするのも、予想済みだ。というか、それを狙っている。

 俺の肩に手がかけられたのを感じて、ひらりと身体をひるがえした。肩に乗った手とその肘を軸にして、右肘をてこに、ひっくり返す。それで、軸にした相手の腕を相手の背中に押しつけて引っ張れば、俺のように左手しか使えなくても脱臼させることくらい簡単にできる。テレビで見た、女性のための護身術、応用編だ。

「はい、形勢逆転。その人の手を放してもらえますか、そこのお兄さんたち」

 それともこの腕、再起不能にしてあげようか、と少し強めに引っ張ってみせる。寿士さんが痛そうにわめいた。
 右腕だって、押さえつけるくらいはできる。今はまだ、この手が使えないなんてばれていないはず。
 寿士さんが言うとおりにしろとわめいてくれたおかげで、雅を拘束していた手が外れ、雅は俺に駆け寄ってきた。
 雅に俺はさっき入ってきた入り口の方に顎をしゃくってみせた。形勢逆転したことで宏春と哲夫も部屋に入ってきていて、哲夫が雅に手招きしている。
 雅と入れ替えに、宏春が俺の手元に木刀を投げて寄越した。カラン、と乾いた音を立てて、俺の左足下に転がる。ナイスコントロール。

 腕を押さえつけていた左手を左膝に変えて、木刀を拾う。これさえあれば、俺がその辺のチンピラに負けることはまずない。あの時だって、たとえモップの柄でも、何かあればあんなにあっさりと犯されたりはしなかった。

「さてと。三年前の落とし前、つけてもらおうかな」

 死にたくなかったら大人しくしてな、と寿士さんの耳元にささやいて、俺は立ち上がる。つまり、押さえつけるものが何もない状態。危ないぞと背後から注意の声が聞こえたが、軽く右手を振ってやった。
 大丈夫。襲ってきたところで、危険なのは寿士さんの方だから。一応首筋にある急所に木刀の切っ先を立ててしばらく動けないようにして、俺は五人の男たちに向き直る。そうして、右手で挑発するように手招きしてみせた。

「死にたい奴からかかっておいで」

 そもそも、剣道家というのは武道家のうちの一種で、戦うことから何事かを得る人種なのである。心身共に鍛えるというやつだ。そんな修業をした人間相手に、素人が戦いを挑むほうが間違っているのである。
 武道は相手の命をも左右する大変危険なスポーツで、急所を知り尽くしてうまく攻めつつ、人を殺さないようにすることで、スポーツとして成り立っているわけだ。そんな相手を本気にさせたら、急所をつかれて死んでしまうことも充分ありうるという簡単な理論が、彼らにはわからないのだろうか。
 それとも、俺が剣道二段の腕前という事実は寿士さんしか知らないのだろうか。

 挑発に乗って素手で挑んできた勇気のある奴を軽く叩いて、右のナイフを持った男の肩に思う様木刀を叩きつける。さすがに木刀は全部木なだけあって、重い。左手の負担も想像以上だ。
 でも、こんなことで音を上げて、素人にやられるなんて不様な真似は、俺は絶対にしたくない。筋力トレーニングは欠かさなかった。左腕の筋力には自信がないわけじゃない。きっと、大丈夫。

 なんて、思っていたら、全員にナイフを取り出す余裕を与えてしまっていたらしい。ぎらぎらと光を反射して、刃渡り十センチはくだらないナイフをちらつかせている。ふむ、遊んでばかりはいられないか。





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