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 ホームルームが早くに終わったため、武道館に行っても誰もいなかった。
 併設されている剣道部の部室でジャージに着替えて、練習用の備品の竹刀をつかみ、武道館の隅の一角を占拠する。準備体操をしていると、人が来た。制服のまま。宏春だったらしい。
 第三棟と武道館は横並びになっているから、荷物を部室に置いてきたならちょうどいい時間だ。誰もいないんだな、と言いながら裸足になってこちらに近づいてくる。武道館は靴下も厳禁。裸足が鉄則である。

「準備体操、手伝おうか?」

「あ、じゃあ、背中押してもらえる? 左手一本じゃ足持ってもちゃんと伸ばせなくて」

 了解。そう言って、柔軟体操を始める俺の背中を思いっきり押してくれる。体育の時も、体操するときは俺と哲夫と二人の背中を押してくれた宏春だ。俺がかなり身体がやわらかいのも良く知っている。

 一通り体操を終えても、まだ誰も来ない。今のうちに、手を固定しておくことにする。昨日、父と祖父と俺との三人で、手首を痛めない固定の仕方を研究していた。右手は竹刀の柄を握った形に固定して、左手で細かい動きをさせようというわけだ。手の平は動くから、重い物でも持つだけならなんとかなる。左手一本で何かしようとするよりは、重さだけでも両手に分配しようという作戦だ。
 用意するものはたすきとテーピングテープ。

「……何だ? 工作でもするのか?」

「うーん。近いかな。右手、固定するんだ」

 右手の上に握る形に竹刀の柄を乗せて、たすきで縛る。ぐるぐる巻いて、縛るのは無理だからテーピングテープで止めるわけだ。何だか大変そうなのを見ていて、宏春は手伝おうかと言ってくれたが、自分一人でやらないと意味がないわけで、断った。
 何とか膝で手と竹刀を固定して左手だけでぐるぐる巻いて、歯でテーピングテープを切る。布テープだから、歯で噛んで左手で引っ張れば真っすぐ切り取れた。

「できた。初成功」

「マジかよ。だから、手伝うって言ったのに」

「いいのいいの、できたから。終わりよければすべて良し。宏春、離れてて。素振りするから」

 この形に縛って、たしかに左手の負担は軽減された。でも、これもまた問題があって、右の手首に負担がかかるのだ。今まで手の平も全体を使って曲げていた分を、すべて手首に任せようというのだから、負担は大変なものである。なるべく左手で負担のないように調節するつもりだが、何分初心者なので、これはもう慣れるしかない。
 で、慣れるためには練習するべし、多く練習するためには剣道部に復帰するべし。こういう結果、復帰を決定していた。剣道自体はもう、昨日のうちに復帰しているのだ。

「やっぱ、友也って竹刀振ってるときが一番カッコイイ」

「してない時は?」

「美人」

「あっそ」

「あれーっ? 長峰ー?」

 やっと来たらしい。入り口の方から声が聞こえる。空手の道着を着た人たちと袴姿の人たち。ジャージの人も数人いる。一、二、三年交じってきているようだ。ジャージの人たちが一年生。高校に入って始めた人たちはまだ、袴や道着がないからだ。
 俺はちなみに、朝急いでいて持ってくるのを忘れたから、ジャージである。

「だらだらしないっ。ここをどこだと思ってるっ!!」

「……友也、厳しーい」

「武の道を志すものには、このくらい当たり前でしょ」

「武道だもんねぇ」

 頑固血筋かと思った、と宏春はかなり失礼なことを言う。そんなことはない。道場ではぴしっとしろと言いたいだけだ。血筋、というのは否定しないけど。うちの父も祖父も、道場内と外とじゃ性格が違う。でも、武道家ってそんなものでしょ。

「おら、んなとこに固まってないで準備体操始めろ」

「よーくほぐしとけよー。怪我しても知らんぞー」

 入り口あたりに人が固まっているから見えないが、どうやら剣道部部長の竹河先輩と空手部部長の宮城先輩の声だ。相変わらず二人とも、男らしいいい声だ。来たぞ、目当ての人、と俺は入り口を指差してやった。宏春はひらひらと手を振ってそっちに行ってしまう。

 人がばらけたので、向こうで宏春が竹河先輩に交渉しているのが見えた。宏春にこくっと頷いてみせた先輩が、小走りにこっちに走ってくる。

「長峰。大丈夫なのか?」

「はい。長い間心配をおかけして申し訳ありませんでした。今日から復帰させていただきます」

「おう。こっちは大歓迎だ。で、そのテーピングは?」

 やっぱり聞いたか。ま、不思議だよなあ、この右手だけマミーは。マミーって、包帯ぐるぐるミイラのこと。

「固定です。右手はさすがに動かないので。父と祖父の案ですから、問題はないと思います」

「そっか。無理しないようにな。で、俺はメディ研に呼ばれたので行ってくるが、後を頼めるか?」

「……それって、副部長の仕事なんじゃないんですか?」

「倉田は今日休み。任せられるのはお前しかいない」

「……わかりました」

 と答えるしかないだろう。呼ばれた原因の一端は宏春だし。

 竹河先輩は真っすぐ出口には行かず宮城先輩のそばにも寄ると、手を合わせて今度こそ出ていった。まわりを見回すと、俺のまわりは二、三年生ばかりで、一年生は一番外側から恐る恐る俺をうかがっていた。
 『氷の女神』という名前のせいか、それともさっきの一喝のせいか。これから仲良くなるのは、結構難しいかもしれない。第一印象最悪。





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