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 うちは、自分の部屋に行くのに必ず茶の間の横を通る。母が電話をしているのが見えた。祖父と祖母が何やら一枚の紙を見つめて話し合っている。

「わざわざどうもありがとう。これからもうちの友也のこと、よろしくお願いしますね」

 受話器を置いて振り返って、俺がそこにいるのにびっくりしたらしい。母の目が丸くなっている。俺の帰宅に気づいた祖母がお帰り、と言った。祖父はちらりと俺を見て、おう、と言ったきり、また視線を下に戻す。

「早かったんだねぇ。もっとゆっくりしてくれば良かったのに」

「ただいま。……何してるの?」

 日曜日のこの時間、普段なら道場にいて稽古を見ている祖父である。ここにいるというだけでも珍しいのに、さらに紙と睨めっこなんてらしくないことをするものだから、気になってしまった。

「ああ、これか。今度の昇級試験の予定を立てているんだよ。再来週に迫ってるからな」

 お前も受けるか、なんて無茶を言うから、俺は軽く溜息をついて笑ってやった。祖母が目でたしなめるが、祖父に気づいた様子はない。

「それより、友也。あなた、まだあの滝川と付き合ってたの?」

 あ、やっぱり今の電話、宏春からだったんだ。母がそう咎めるように言うので、宏春が本気で心配してくれているのがわかった。お節介なんだから、とちょっとは思わなくもないが、これだけ心配されると申し訳なくて、とてもそんなことは言えない。

 うちの人間は、寿士さんと俺が付き合っていたのに反対していた。だから、寿士さんはうちに電話をかけてこないし、うちに来ることもなかった。中学校の卒業式の日、俺が寿士さんに半ば無理矢理抱かれていたのを、両親が見てしまったからだった。
 男同士というのも当然反対する理由だろうが、それよりも強姦寸前のセックスに怒りは向けられていたらしい。多分、俺がいやいや抱かれているのだと思ったのだろう。両親の怒りはすごくて、寿士さんは出入り禁止になった。
 それでも好きだったから、俺とあの人の関係はそれ以後も続いたのだけれど。何しろ、両親に見られた時のはまだ優しい方で、俺ってマゾ?っていうくらい無理矢理のセックスの方が俺は感じてたから。

「もう、とっくに別れたよ。今日偶然会っただけ」

「本当に?」

「だって、俺の方がふられたんだよ? 今更よりが戻ってるわけないじゃない」

 頼むから、もうこれ以上傷口に触らないで。まだ治ってないんだから。忘れるって決めたんだから、決心をぐらつかせないでほしい。

「そ。じゃあ、いいわ。あんた、しばらく電話取るのやめなさい。母さんが取るから」

 ほーい。そう返事をして、自分の部屋にあがっていく。母が溜息をついたのが見えた。俺も、溜息をつきたい気分だった。




 自分の部屋でくつろいでいると、突然ノックの音が聞こえた。何か色々考えて頭がパンク寸前だったから、もう何も考えないで俺はベッドにごろんと転がっていた。階段を上る音が聞こえなかったから、多分祖父である。剣道七段は伊達じゃなくて、全国剣道協会の名誉会員になっている実力者。とりあえず、古くてギシギシいううちの階段を音をさせずに上り下りできるのは、祖父だけだ。

「入ってもいいかの、友也」

「どうぞ」

 答えてベッドから起き上がる。祖父は二人分のオレンジジュース缶を持ってきていた。果汁三十%という絶妙なバランスのその味と、たっぷり入った果肉の食感は、俺と祖父の共通のお気にいり。それを持ってきたということは、持ってきた話の方は俺の機嫌を損ねるものなのだろう。祖父はこのジュースをよく俺のご機嫌とりに使うのだ。

「今月の会報が届いてな。見せてやろうと思って持ってきたよ」

 ぱさっとそこに置かれたのは総ページ数八ページの剣道協会の会報だ。表紙にジュニア選手権の優勝者の写真が載っている。

「何で俺に? もう竹刀は握らないって言ったじゃない」

「だが、それは、右手が使えないからというだけじゃろ? まあ、いいから読んでみなさい。四ページだ」

 何だか含むところがありそうな祖父の物言いに首を傾げつつ、俺は言われたとおり四ページを開いた。いつも特集が組まれているページだ。今回の特集は……え?

「『身体障害者にも剣の道を』? まさかこれ、おじいちゃん?」

「慎也だよ」

 お父さんが? びっくりして、俺はその題字を見つめてしまった。
 その特集は、ある投稿文から始まっていた。私の息子が交通事故にあって、右手がマヒしてしまった。将来有望な剣士だった息子は、それ以来竹刀を握ろうとしない。もうできないと思っているのだ。そういう始まり方で、実際こういう境遇に立たされた剣士は多いだろうということ、身体障害者には無理の多い厳しいルールがあることなどを切々と述べ、身体障害者にも剣の道を開いてやってほしいと締められていた。この投書に対する編集者の意見や剣道界の著名人たちの意見がまとめられ、特集になっているのである。

「まだまだ実現には遠かろうが、お前にも剣の道で生きる権利はあると、それだけはわかってほしくてな。また道場に戻って来んか?」

 道場の中では厳格な祖父だが、それは神聖なる道場の中だから。道場を一歩離れれば、優しいおじいちゃんになる祖父は、孫としても弟子としても俺を可愛がってくれるし、こうして労わってもくれる。師匠がこの祖父でなかったら、きっと他の子たちと一緒で、小学校卒業と同時にやめてしまっていただろう。二段を取ろうなんて、考えもしなかったに違いない。

「せっかく中三で二段を取るなんて偉業を成し遂げたんだ。今度は身体障害者初の三段に挑戦してみんか? 慎也もそのつもりで、最近スポーツ医学の本をどっさり買い込んできてな。無理はしないで、ゆっくり身体の使い方を覚えていけば良い」

 な、と言われて、思わず頷いた。祖父の言葉には、無意識に納得させる力がある。でも、多分俺も、剣道をやりたいと思っていたんだ。でなきゃ、嫌だって首を振ったはずだから。





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