9




 俺の家と雅の家の間にある大通りは、かなりの交通量がある。日曜日の夕方などは、まず渋滞する道だ。で、そこには感応式の信号機が設置されていた。歩行者は押しボタンである。
 昔は夜間だけ押しボタンの信号だったが、あまりに車の量が少ないため、こうなった。だから、この道を渡るのに偶然青信号だったということはまずない。

 ボタンを押して、立ち止まって、雅は数分ぶりに俺を見やった。

「なあ、友也」

「ん?」

 何か思い詰めたような表情をしているのに、俺はびっくりする。ずっと考え事をしていたらしい。さっきから黙ってるのはそのせいだろう。なかなか先が続かないので、もう一回聞いてみる。

「どうした?」

「……友也は、どうしたいんだ?」

「何が?」

「あの、滝川って奴と、より戻したい? それとも、もう忘れたい?」

 え? 何が言いたいのかわからなくて、俺は聞き返した。雅はすごく真剣な顔で俺を見つめている。

「より戻したいなら、手伝ってあげる。宏春や哲夫には怒られるかもしれないけど、友也の気持ちが最優先だから。
 でも、もう忘れたいなら、俺と付き合わない? 好きになれとか、そんな無理なことは言わない。ただ、 『恋人』っていう形だけでいいから。気持ち、外から変えていったらいい。もう俺っていう恋人がいるんだから、昔の男なんて忘れようって。そう思う口実に利用してくれればいいんだ。そしたら、本当の気持ちも思い込みに引きずられて変わるかも知れないだろ?」

「……でも、それじゃ……」

 雅の気持ちを踏み躙ることになる。本当に好きなわけじゃないのに、付き合ったりしたら。そんなこと、できない。

「いいんだよ、俺は。恋人とかいう前に、友達だと思ってるから。いいんだ。大好きな友達が苦しんでるなら、助けてあげたいって、それでいいんだよ。大事なことだろ? 好きとかなんとかってのは、二の次。気持ち、押しつけたくないから。そんなことより、友也が好きな人が誰だとしても、俺は友也には笑っていてほしいんだ。もう、傷つかないでほしい。それだけだから」

 好きな子の涙は見たくないってよく言うだろ、と雅は茶化すように言って笑った。ちょうど信号が青に変わる。俺たちはまた黙って歩き出した。

 しばらく二人並んで黙って歩く。雅は俺の答えを待っているようだけど、俺はやっぱり雅の気持ちを裏切るようで申し訳なくて、ちゃんと答えられないでいた。

 雅の提案は、俺にとってもかなり良い案だった。本当にそうやって忘れられたらどんなにいいかと思う。はっきり言えば、早く忘れてしまいたい。でも、雅を利用するなんて、俺にはできない。自分が許せない。

 黙り込んでいる間に、家の前についてしまった。俺は雅に自分の家を教えた覚えはない。でも、雅は知っていたらしい。俺と雅、同時に立ち止まる。

「返事、聞かせてもらえる?」

 うつむいている俺の耳に、雅の声が聞こえた。熱心に稽古に励む人たちの声が道場から聞こえてくる。

「やっぱり、雅のこと利用するなんて、できないよ……」

「いや、いきなりそこまで答えなくていいよ。よりを戻したいか、忘れたいか。それだけ」

 あ、そうか。聞かれたのって、それだっけ。

「……わからない」

「え? どうして」

「両方だから。できるなら一年前に戻りたい。寿士さんの側にいたい。でも、もう、あのころには戻れないんだ。右手、使えなくなっちゃったから。だから、忘れたい。何もかも、みんな。剣道やってたことも、寿士さんの恋人だったことも、全部。あの事故の時、死んでたら良かったのにって。そしたら、こんなに苦しくなかったのにって。俺、そんなに物分かりよくないから。半年で気持ち切り替えられる人間じゃないから。だから……」

 ああ、もう、俺ってば、何言ってんだかわからないじゃないか。進級試験一位の頭はどこにいった。

 ぽん、と。肩に手を置かれて、びっくりした。顔をあげたら、雅が少し悲しそうに笑っていた。

「乗り越えよう。死んだらいい、とはさすがに俺も言えないから。手伝うよ。ふっきっちゃおう。剣道やってたことも、無駄にならなければいいんだよ。滝川って奴の恋人だったことだって、嫌な奴に捕まったもんだって笑えるようになったらいいんだ。
 友也には仲間がたくさんいるんだから。宏春だって哲夫だって、あんなにはっきり、友也が最優先だって言えるんだから。もっと甘えていいんだよ。一人で歯食い縛ってなくていいんだ。こんなに側にいるんだから。
 もっと頼って。もっとあてにして。右の手が使えないなら、俺が右手になってあげる。あんな男、忘れちまいなよ。俺が、友也を幸せにしてあげるから。もう、友也を独りぼっちになんてしないから」

 好きだよ、友也。そう言って、俺を抱き締めてくれる。俺はただ、されるままになっていた。ただ、あぁそうか、と思っていた。
 本当に人を好きになるのって、こういうことなのかもしれない。相手のことを考えて、ただ相手の幸せを考えて、それでも自分が幸せであること。それが、人を愛するということなのかもしれない。
 俺の寿士さんに対する気持ちは、ただの依存だったのかもしれない。相手がどう思ってるかなんてどうでも良くて、相手に何をされても何も感じなくて、ただ側にいればそれで幸せだったのは、あれは俺の依存だったのかもしれなかった。
 嫉妬すれば良かったとか、傷つけば良かったとか、そういうことじゃなくて。根本的に違くて。

「俺なんかでいいの? こんな馬鹿な奴で、本当にいいの? 呆れてない?」

「友也だから、いいんだ。友也の精神が生み出した気持ちなら、それがどんなことだって呆れたりなんかしない。そんなこと、ありえない。
 きれいな友也だから好きだとか、優しい友也だから好きだとか、それだけなら俺、十年も友也のこと好きでいられてないと思う。汚くても醜くてもずるくても、それが友也だから、みんなひっくるめた友也自身が好きだから。友也っていう存在が生み出すものや感情が、それが友也である証だと思うから」

 何でもないときに聞いたら物凄いベタな殺し文句だけど、弱くて醜い俺を見せた後だったから、余計心にずしんと来た。信じられると思った。再会してまだ一ヵ月も経ってないし、その前会ったのは幼稚園の卒業式のはずで、それから俺はきっと変わってしまっていて、雅も変わってて、十年の恋なんてあてにはできないけど。
 でも、きっと雅の言葉は信じてもいいはず。これで裏切られたら、本当に再起不能だろうけど。でも、信じられる。いや、信じたいと思った。思えた。嘘でも方便でもなく、恋愛恐怖症のはずの俺が。これって、すごいことだ。理屈なんて、必要なかった。

「頑張ろう。な?」

 うん。俺は、無意識に頷いていた。心はまだ意地になって反発したがっていたみたいだけど、多分もう、本能が音を上げていたんだ。雅は、俺の一大決心を誉めるように、抱き締めて、頬にキスをくれた。

「明日、迎えに来ようか?」

「えー。いいよ、恥ずかしいから。それに、俺、朝早いし」

「七時四十分に俺の家の前を通る」

「何だ、知ってたの」

 少しがっかりしたように肩を落としてみせた俺に、雅は楽しそうに笑った。それから、元気づけるように背を叩いて、そっと離れる。

「また、明日ね」

「ん。バイバイ」

 背を向けて、帰っていく雅をしばらく見送って、俺も家の中に入っていった。





[ 23/74 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -