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ラーメン屋から渋谷の駅まで、細い道をくねくねと歩いていく。俺たち三人とも月に一回は東京に出てくるので、東京の人込みは歩き慣れていて、今日は歩きやすいほうだ。
けど、高知からきた雅は俺たちについて来るのがやっとな感じだった。まあ、たしかに、高知の街の人込みなんてたかが知れているから、これを泳ぐのは大変かもしれない。
やっと渋谷駅ハチ公口前の信号に辿り着くと、雅は息を切らして膝に手をついた。ちょっと心配になって、俺たち三人は揃って雅を見つめる。
まわりが動きだしたことで、信号が変わったのがわかった。この信号は街中の比じゃない。俺は雅の手を引いてやった。宏春と哲夫は先に行って、渡り切ったところで俺たちを待っていた。
改札に向かう途中、何気なくハチ公の方に目をやって、俺はそのまま立ち止まった。あの姿形は、まさか。
な…んで……?
「ん? どうした?友也」
先に行っていた宏春と哲夫が戻ってきて、雅は横から俺を心配そうに見つめている。けど、俺はその三人に気を配っている場合じゃなかった。
俺が見ているのは、ハチ公のすぐ側に立っていた男の人。向こうも俺に気づいて、小走りに駆け寄ってくる。俺からも近づいて行きかけて、右腕を引っ張られた。
「友也っ!」
俺の耳元で、宏春が怒鳴った声がする。右の手も腕も、あの事故以来一度も触らなかった宏春が、わざわざ右の腕を引っ張ったのだ。おかげで、はっと気がついた。
「また、傷つきたいのか?」
「雅。友也を捕まえててやって」
俺をかばうように、二人が前に出て俺を守ってくれる。雅は俺の右側を守るようにして肩を抱き寄せた。俺が右腕に触れるものに神経質になっていた時期を知らないはずなのに、守ってくれるし触らないでもくれる雅の心遣いが嬉しい。
「友也じゃないか。久しぶりだなあ。元気だったか?」
にこにこ笑って、目の前まで来た男の人が声をかけてくる。その声に、条件反射で雅の手を払い顔をあげかける。でも、俺が行動してしまう前に、宏春の声が聞こえた。
「友也に何かご用ですか。滝川サン」
宏春のきつい目ににらみつけられて、彼は不機嫌そうに眉をひそめた。滝川という名前に、雅があっと声を上げる。
滝川寿士。俺の中学時代の家庭教師で、去年の夏まで俺の恋人でもあった男。俺はきっとまだふっ切れてなくて、今だってできることならあの頃に戻りたいと思う。でも、もう無理なのだ。だって、右手が……。
「俺は友也に話があるんだけど?」
「こっちは話はありません」
「あんたみたいな悪魔に、友也をそう何度も壊されてたまるか」
どっか行っちまえよ、と哲夫が手を振る。寿士さんと背丈は同じくらいの宏春が、腕を組んで彼をにらみつけていた。その二人の台詞に、寿士さんはむっとしたらしい。もともと気が短い人だから、どう見ても年下の二人に生意気な口をきかれて、腹を立てたんだろう。俺はといえば、雅に羽交い締め同然に押さえつけられて、身動きがとれない。
「失敬だな、きみたちは。俺が何をしたというんだ。久しぶりに会った教え子に声をかけて、何が悪い」
「俺が何をした、だあ?」
「たった半年前のこと、忘れたとは言わせませんよ」
宏春の口調は相変わらず、年上には敬語を忘れないし、落ち着いているように聞こえるのだが、聞き慣れている俺が聞くと、やっぱり怒っているのがわかる。言葉の刺が痛い。寿士さんに対して怒っているはずなのに、俺の心にぐさぐさと突きささる。自分でも気がつかないうちに、俺は雅にしがみついていた。
寿士さんとの再会をどう考えていいのかわからない。二人の親友をここまで怒らせたのは初めてで、怒ってくれるのが嬉しいのに、でも恐いし、申し訳ないのだ。とにかく、頭の中がぐちゃぐちゃで。
「滝川? どうしたんだ?」
寿士さんの向こうから、そんな声が聞こえてきた。待ち合わせの相手だろう。男が三人。その向こうに同じような雰囲気の男女がいて、こちらをうかがっている。大学のコンパかなにかだろうか。それにしては日が高いが。
「ああ、悪い。偶然知り合いに会ってさ。じゃ、友也。また電話するから」
「二度と友也に近づくな、馬鹿野郎っ」
哲夫の叫び声にも似た怒声に、寿士さんは恐ろしい目で俺のまわりの三人をにらみつけ、友人と一緒に行ってしまった。まだしばらく緊張の抜けない宏春と哲夫に守られながら、俺はずっと雅にしがみついていた。そうしていないと、身体が勝手に寿士さんを追いかけていってしまいそうだったから。
「……友也?」
心配そうな雅の声にはっと気づく。慌てて雅から離れようとした。すっかり忘れてたけど、そういえば雅って俺に惚れてるんだった。それをせっせと傷つけないように振ってるのに、こうやって甘えたら意味がない。が、雅はその俺を逆に抱き寄せた。
「大丈夫だよ。まだ、くっついてていい」
「……え?」
何で? もう大丈夫なのに。そう思って見返したら、雅の心配そうな目にぶつかった。下心が見えない。宏春と哲夫も俺の頭や左腕を元気づけるように撫でてくれる。
「よく頑張ったな、友也。偉いぞ」
雅に抱かれて二人に撫でられているうちに、やっと感覚が戻ってきた。それで、雅が心配していた理由がやっとわかる俺って、よっぽど混乱していたのだろう。がたがたと、目で見てもわかるくらいに震えていたのに、自分で気づいていなかったのだ。こんなに震えていたら、誰だって心配するはずだ。
自覚したら、落ち着いた。あ、たぶん逆だ。落ち着いたから、自覚できたのだろう。まあ、どうでもいい。
「どうする?友也。もう、帰るか?」
「あ……。うん。俺、先に帰るから……」
ゆっくり遊んでおいで、と続けようとしたら、宏春の手が俺の頭をこんと叩いた。痛くないから、きっと怒ってみせただけなのだろうけど。
「お馬鹿なこと、言うんじゃないよ。俺たちを薄情者にしたいのかい?」
「今ここでお前を一人で帰したら、何が起きるかわからないよ。こっちが不安だ」
「一緒に帰ろうぜ、友也。家まで送るよ」
頷いて三人を見回したら、三人ともに笑顔で返された。守ってくれるし、元気づけてくれるし、怒ってもくれる友人が三人もいて、俺ってやっぱり幸せ者だと思う。
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