参の10




 狐が動けなくなったことを確認して、征士郎もそこに姿を見せた。ふらり、と志之助の身体が傾いで、慌てて受け止める。

 受け止めて、そのまま支えてくれた征士郎を、志之助は不安そうに振り返る。特に咎めようという気もないことを確かめて、その腕にしがみついた。

「蒼龍、鳳佳、紅麟、蛟。遊んでやって」

『殺して良いのか?』

「殺せるならそれに越したことはないけど」

 無理でしょ?と言外に言われて、尋ねてきた幼い少年の声が困ったように笑った。

 夜空から、四つの神獣の姿が舞い降りる。龍に蛟、鳳凰、麒麟。まるで幻想絵巻を見るように、月明かりのお陰で群青色にも見える明るい夜空に、その姿が彩りを添える。

 それらが自分を狙っているとわかったのだろう。狐は言葉も忘れ、咆哮をあげた。

 鋭いその鳴き声に従って、九尾狐を取り囲んでいた蔦の蔓が空中へ延びる。まるで鞭のようにしなやかに、それでいて鋼のような強度でもって、縦横無尽に飛び回る神獣たちを襲う。さらに、細かい鉄片が飛び、まるで火縄銃で打たれた銃弾のように八方に放たれた。

 それが、征士郎の愛刀の成れの果てであると、二人は同時に悟った。二人はそれぞれ別々に、まだそばにあった木の陰に逃げ込んだ。

「みんな、一旦逃げてっ」

『案ずるでない、志之助。この程度、わらわたちには何でもないことじゃ』

 答えたのは、空中から降ってきた幼い少女の声。それから、もっと落ち着いた青年の声が続く。

『二人とも、隠れていてください』

 途端、際限がないかと思われるほどに飛び交った無数の鉄の破片が、一気に地面にたたきつけられた。狐の力を無視して、鉄の弾は地面にめり込んでいき、張り巡らされた蔦の根を傷つけていく。

 蔦は痛みを感じるのか、へなへなと地面に落ちていった。

 蔦が力を失ったと見るや、続いて動いたのは金の鳳凰だ。巣に張り巡らされた蔦に向け、翼の羽ばたきと共に火の球を投げ落とす。ついでに、下半身と共に腕も拘束されていた狐の頭上にも。

 絶叫が、森に響き渡った。

 狐の頭を焼いた火は、しかしそれほどの威力もなく、頭を振るとまもなく消えた。しかし、蔦の方はそうも行かず、巣が炎の海と化す。

 無力なはずの人間たちは、何ともなさそうにその巣に再び姿を見せた。冷水の膜を身にまとって。

 志之助が使役する神獣は、地水火風の力を持つ。これが全て協力すれば、この程度のこと、朝飯前だったのだ。

 さらに、志之助はその手を地に当てた。

「本当に、俺が古九尾狐の血を引くなら……」

 その、自ら押さえ込んできた、妖力とも呼べる人外の力を、今までは霊力に変換し、さらに法力に化して使っていた力を、そのまま解き放つ。自分を支えてくれる征士郎の体内を流れ巡る、同じ妖の力を借りて。

 次の瞬間。蒼龍の地の力によってこちらの武器に奪い取った鉄片が、再び宙に浮き上がった。

 それを見て、さすがの狐も焦りの色を見せた。

『き、貴様……!?』

 熱せられた鉄片が、空中で揺れる。く、と苦しそうな声を喉で発し、志之助が険しい表情を見せる。鉄片を、奪われかけているのだ。

 と、征士郎がそれを見て何を思ったか、志之助を後ろから抱きしめ、そっと目を閉じた。征士郎の武道家としての気の力が、静まっていく。そうして精錬された気が、志之助の中へ注ぎ込まれた。征士郎が持つ妖力であり、気力でもある力。普段は志之助の方から力をもらいに行っていただけに、方向が逆で、その瞬間わずかに動揺してしまう。だが、征士郎から注ぎ込んでくれるなら、余計な意識を必要としない分、楽になる。

 もらった妖力が、志之助の力を底上げし、揺さぶられる不安定な力をしっかり支えてくれた。

「しのさん。行くぞ」

 主語も目的語もない言葉。それに、志之助は戸惑うことなく頷いた。二人は揃って狐を見据える。

 ぶれていた鉄の破片が、ぴたりと止まった。同時に、狐の顔に改めて、恐怖が浮かんだ。

 宙に浮いた鉄片は、太刀一振り分。大した量ではないが、そうはいっても、これだけ細かくなれば数は増える。

 それらが、燃え上がる熱の力で威力を増したまま、一斉に化け狐に向かった。

 とっさに張った九尾狐の守護結界は、未完成のまま、霧散した。

『ギャアアアアアァァァァッッ』

 その絶叫は、その声だけで飛ぶ鳥も落としそうなほどの、強烈な力を秘めていた。その全てを、鳳佳が放った炎から森を守っていた紅麟の風の結界が、吸い取ってしまう。

 悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべ、動けない身体を精一杯揺すって痛みから逃げようともがく狐を、二人の人間は冷たい視線で見つめた。

 志之助が、上空を見上げる。

 風の結界内に、たらいをひっくり返したような雨が降る。墨と化した蔦が、しゅう、と音を立てて崩れ去った。

 そして、風の結界が消える。

 下半身を縫いとめられているお陰で動けないまま七転八倒する化け狐を見ていた龍が、ふと後ろを振り返った。

 夜闇を渡って、向かってくるのは銀の毛並みを持つ九尾狐だった。口にくわえるのは、一振りの古代の剣だ。現在のような片刃ではない、両刃の剣だった。

 身構えた龍を一瞥し、九尾狐は巣の上空までやってくると、剣を宙に放り投げ、その場で一回転する。剣を受け止めたのは、人の姿に姿を変えた同じ九尾狐だ。あの、雷椿であった。

『少し遅かったか?』

「いえ。ちょうど一段落着いたところです。叩き込んだのは鉄の欠片ですから、致命傷にはなりません」

 降りてきて問いかけた雷椿に、答えたのは志之助だった。もちろん、この古九尾狐に嫌われていることは知っている。だが、だからと言ってこちらが邪険にする必要もないわけだ。

 一方の雷椿も、志之助に答えられても嫌な顔一つせず、その手に持った剣を征士郎に差し出した。

『弱点は、眉間だ。武蔵野の稲荷神たちが縛身術をかける。はずすなよ』

 その情報は、驚くべきものだった。二人で片付けなければと考えていたのだから、間違いなく朗報である。江戸を中心とした武蔵国の稲荷神たちが、味方についてくれた。この森の稲荷神の報復合戦のつもりなのだろうが、ありがたい援軍だ。

『ほら、そろそろだ』

 そう合図をして、雷椿は再び古九尾狐の姿になり、宙へ駆け上がる。

 苦しみ続ける化け狐は、それでも何とか、体内の鉄の破片を押し出している。あれを再び凶器にされる前に、決着を付けなくては。

「蛟」

 呼ばれて、蛟は宙で一回尾を振り、地に下りてきた。飛び乗ってくる人間二人を頭に乗せて、宙に浮かぶ。

「蒼龍、鳳佳、紅麟。奴の動きを見張ってて」

 指示を受け、三匹の神獣は三角に陣取って狐の巣を見据える。残る蛟は、指示を受けずとも何故呼ばれたのかをわかっているようで、狐の額の斜め上まで移動した。

 化け狐は自分への攻撃が止んだうちに、体内に埋め込まれた鉄の破片を外へ追い出すことに集中している。もう、半分以上は体外へ放出されていた。身体は血まみれで、美しい毛並みが固まった血によってぼそぼそになってしまっている。

 ふと、化け狐は自分に向かって寄せられる神気に気付き、顔を上げた。同時に、体外に放出した分の鉄片が宙へ浮く。

 狐の身を守るように漂った鉄片は、しかし、次の瞬間、再び地中へめり込んだ。今度は化け狐にも、重たい空気が圧し掛かる。

『今だ。稲荷神どもよ!』

 びしぃっ!

 雷椿の声に導かれ、化け狐の身体が鞭のような音と共に大きく痙攣し、そのまま固まった。

 冷たい夜の風が、吹きぬける。

 古代の剣を正眼に構えた征士郎は、その化け狐の眉間をめがけて、蛟の頭を蹴った。

「たあぁっ!!」

「紅麟! 結界をっ!!」

 征士郎の目標めがけて突き刺した剣は、間違いなく化け狐の眉間に深々と突き刺さる。

 瞬間、周囲を白熱の光が広がった。征士郎と、志之助と、蛟を巻き込み、巣を中心に半球を描く風の結界内で。

 風の結界で塞いでも止めきれなかった爆風が、あたりの木々を揺らし、上空で見守る三匹の神獣と古九尾狐の周囲を吹き抜けていった。





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