参の9




 西へ急ぐ蛟の頭上、征士郎は志之助に、下谷稲荷での出来事を語って聞かせる。

 おせんが下谷稲荷にいたと聞いて、志之助はほっとしたように笑った。

「それで、天狗たちが戻ってきたんだね。良かった、無事で」

「うむ。それとな、稲荷神が俺に、神剣を貸してくれると言うのだ」

 神剣?と志之助は首を傾げる。そして、九尾狐が鉄を操るということを聞いた。

「だったら、この刀は敵に武器を与えるようなものかな?」

「守れないか? しのさんの力で」

 うーん、どうだろう、と志之助は首を傾げる。

「ま、やってみるよ。方法はある。効くかどうかは微妙だけれどね」

 その割には心配もしていなさそうに、志之助は余裕で笑って、その笑みを征士郎は信用しているので、満足そうに頷いた。

 遠い多摩への道のりも、蛟で空を行けばあっという間だ。

 多摩の森は、雑木林だ。一度人間の手によって切り拓かれた土地なのだろう。そこには、本来であれば狐と狸がすみ、夜でも月と星の明かりで意外と明るいはずの森だった。

 しかし、今や生き物の気配はほとんどなく、陰鬱な気が森全体に漂っている。

 空から見下ろせば、九尾狐が森の木を倒して作った巣が、一目瞭然に見つけられた。間抜けといえば間抜けだ。せっかく森なのだから、隠れていれば良いものを。

 志之助は、その森の上空を蛟で回らせて、持ってきた短冊を森にばら撒いた。狐は夜行性だが、隠身の呪文をかけた蛟を見つけることは出来なかったようだ。向こうからの反応はない。

 短冊を全て撒き終えて、蛟を巣のすぐ近くに下ろす。

 蛟はその姿を消し、征士郎は志之助にしたがって木の陰に隠れる。そして、志之助が真面目に呪文を唱えるところを久しぶりに聞いた。

「転身具現、急々如律令」

 宣言した途端、目の前にも落ちていた無地の短冊が、ゆらゆらと揺れながら宙に浮き上がった。その何の変哲もない紙が、次の瞬間、ぽんっと軽い音と共に急激に人の形に膨らんだ。

 現れたのは、志之助だった。

 あれだけ撒いた短冊がすべてこんな変化をしているのだとしたら。なるほど、志之助がわざわざ呪文を唱えたわけだ。かなりの力が必要なはずだった。

「行け」

 まるで呟くような命令を受け取り、短冊で出来たたくさんの志之助が、わらわらと集まってきて狐の巣を取り囲んだ。

 見渡して満足そうに頷いた志之助は、するすると軽快に、背後の木に登っていく。征士郎はその下に身を潜めた。




『異邦から来た化け狐。お前を倒しに来たよ』

 突如聞こえてきた声に、苛々して自分の爪を噛んでいた九尾狐ははっと顔を挙げた。

 声は、近くから聞こえる。しかし、方向がわからない。まるで、森に反響しているようだ。

『昨日はだいぶ可愛がってもらったからね。遠慮はしない。覚悟することさ』

 声はまるで、自分たち化け物が放つ声のように、くぐもって聞き取りにくい。それに、発する場所が一言ごとに変わって場所が特定できない。

 声がする方向を探して周りを見回した狐は、木々の陰に無数の人影を見て、激昂した。

 自分を取り囲もうとは、人間の分際で何と生意気な。

 怒りをあらわに、九尾狐の九本の尻尾が、ダダダン、と地を叩いた。まるで太い木の幹のごとき大きな尻尾が、叩きつけられる音は、森全体に響き渡り、驚いて鳥たちが一斉に飛び上がった翼の音が後に続いた。

『出て来い、人間ども。我を侮辱した報いを受けよ』

『ふふっ。それはどっちの台詞かねぇ』

 嘲笑する声と共に、巣を取り囲む無力な人間たちが一斉にその歩を進めた。

 月明かりが巣を照らし、人間たちの姿を明らかにする。

 それらがすべて同じ姿を、それも前朝失った贄の姿をしていることに、さすがの九尾狐も唖然とした。

 長い黒髪に白い肌、淡い色の着物で包んだ華奢な体、生意気そうな切れ長の眼、そして、ぷくりと色っぽくふくれた唇。月の明かりがこれほど似合う人間も珍しい。それは、これだけずらりと揃えればこそ、まるで森の精のような幻想を思わせる。

 だが、ひるんだのは一瞬だった。何人同じ姿の人間がいようとも、九尾狐がすることは同じだ。蹴散らすか、食い散らすか。

 思い切れば、九尾狐にためらいはない。にやりと口の端が持ち上がる。

『思い知れば良いわ』

 言葉と共に、狐の前足がすばやく動く。こんな巨体には想像もつかない素早さで、人間どもにその爪をかける。

 しかし、払う仕草で押しのけたその手に、何の手ごたえもなく、姿は泡のように消え、そしてまた同じ場所に現れた。

『なっ!?』

『無駄だよ、知恵の浅い化け狐』

 ふふふっと、取り囲んだ全ての人間が同時に笑う。まったく同じ仕草で、それはあまりにも不自然な景色だ。

 次に動いたのは、人間たちの方だった。わらわらと狐を取り囲み、全員が一斉に手を合わせる。

『悪鬼鋼縛』

 狐とて、別にそれらに取り囲まれるのをただ見ていたわけではない。だが、直接攻撃しても手ごたえがなく、ただ空をかき混ぜるだけだった。

 焦れて重い腰を上げかけたとき。人間たちは両の手を横にいる自分と結び合わせ、円を作って狐を囲んだ。

 その時、巣の中に少しだけ足を踏み入れた、もう一人の同じ人間を見つけた。

「縛」

 べたべたと下半身に張り付いてきた人間たちが、狐の足を止める。

 そう。人間の分際で、化け狐の足を止めたのである。というよりも、吸い付かれたように、下半身が動かない。鉄を操るという九尾狐でも、元が紙ではどうしようもなかった。

『貴様ぁ、何をしたぁ』

「変化」

 それは、当然答えではなく。

 志之助の指示に従って、狐を押さえ込んだ全てが、地に縫い付けられた縛鎖となった。





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