参の8
家に戻った征士郎を待っていたのは、硬い板の間に布団を敷いて眠っている加助と、眠そうに目をこするおつねだった。加助のそばにもう一つ寝床が伸べてあるところを見ると、そこに寝ていたらしい。片手には短刀を携えている。征士郎の代わりに志之助を守ってくれるつもりだったのだろう。ありがたくて頭が下がる。
「ありがとう、おつねさん。もう大丈夫だから、家に帰ってゆっくり休んでくれ」
「いいえ。ここで休ませてくださいな。お邪魔でしたら、帰りますけど」
お邪魔でしたら、などと遠慮すら見せられて、征士郎は苦笑を返す。
「ならば、ここでゆっくり休んでくれたら良い。板の間で痛くはないか?」
優しい言葉でおつねを気遣う征士郎に、おつねはくすぐったそうに笑った。
二階に上がると、志之助が着物を着付けているところだった。人の気配に気付いて振り返り、にこりと笑う。
「お帰り、せいさん」
「やはり寝ていなかったな。眠っていろと言っただろう?」
「さっきまでぐっすり眠ってたよ。だいぶ熱も下がったし。それに、迎えが来た」
笑っている割に目が真剣なのは、それが理由だったらしい。きゅっときつく帯を締め、普段は押入れにしまいこんである、旅をしていたころは肌身離さなかった愛用の短刀と数珠を懐に仕舞った。
「迎え? もう、か。早かったな」
夜明け前くらいかと思っていただけに、少し意外そうに征士郎は返す。志之助にも意外であったらしく、こくりと頷いた。
「蛟が追い返してくれたけど、どうせまた別の手を考えてくるだろうから、こっちから行こう」
「薬は飲んだか?」
「飲んだよ。おかげで、少し眠い」
今回は、普段に比べればだいぶ素直だ。よし、と誉めるように志之助の頭を撫でる。
「ならば、行くか」
「……良かった。止められなくて」
「止めても無駄だろう? それに、この件はしのさんでなくては解決できん。だから、早々に片付けて、ゆっくり療養してほしい」
心配は、もちろんしている。だが、確かに眠っていたらしく熱は下がっているし、昔の無理をしている志之助を知っているだけに、今の状況がそんなに無理な状況ではないこともわかる。だから、征士郎は志之助の好きにさせるのだ。それが、おそらくこの一件については正しい順番だ。
征士郎に許しをもらって、志之助はその逞しい身体にぎゅっと抱きついた。
二人が出かける格好で降りてきて、おつねは驚いたようで布団から身を起こした。
「出かけるんですか? 身体は大丈夫?」
「大丈夫ですよ、おつねさん。そんなに心配しないで。明日の朝には帰ってくると思います。留守をお願いしますね」
普段と同じ余裕の笑顔を見せる志之助に、おつねは肩の力を抜き、確かめるように征士郎に目を向ける。征士郎にも頷かれて、引き止めることをやめたらしい。
「でしたら、行ってらっしゃいまし。無事のお帰りをお待ちしております」
「ありがとう。藤香、留守番お願いね」
呼ばれて、土間の隅に藤の模様が入った十二単を着た女性が現れ、深く頭を下げた。
裏口を開けると、丁度向こうからも戸を叩こうとしていたらしく、片手を軽く握って上げた格好の勝太郎に出くわした。
「兄上?」
「おぉ、征士郎。出かけるところであったか。間に合って良かった」
どうやら、一度家に帰ってもう一度来たらしい。手には一振りの太刀を携えていた。
「これを持って行け」
「……兄上?」
「いつも俺が腰に差していたものだ。家にある太刀で最近研ぎに出したものはこれだけでな。そなたにやる」
「けれど、そうしたら兄上は……?」
「何。どうせ使わぬ太刀だ。うちの蔵に眠っていた太刀に良いものを見つけたからな。俺はそのうち暇ができた時にでも研いでおけば良い。切羽詰っておるのはそなたの方だ」
良い太刀だぞ、と自慢げに胸を張り、征士郎にそれを押し付ける。受け取って抜いてみれば、手元に銘が刻まれていた。相州の名のある刀鍛治の作であるらしい。今まで使っていた太刀は戦太刀で、鍛え方が足りないところがあったが、確かにこの太刀は良い出来だ。
その良さを弟がわかったと見て取って、勝太郎はその肩を叩いた。そして、志之助も出かける格好をしているのに、彼らの出かける目的がわかったのだろう。戸口を塞いでいた自分が、道を譲った。乗ってきたらしい愛馬の疾風も、手綱を引かれて場所を譲る。
「征士郎。志之助殿を頼むぞ」
「はい」
言われずとも、この相棒を守るのは自分の役目だ。征士郎ははっきりと頷いた。
「蛟」
主人に呼ばれて、蛟が空から長大な姿を現す。その頭を地に横たえた。
狭い路地を抜け出して、志之助と征士郎を乗せた蛟が、大空へ舞い上がっていく。それを、勝太郎は未来の嫁の肩を抱いて見上げ、見送った。
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