参の6




 下谷稲荷の境内に足を踏み入れて、征士郎は驚いて立ち止まった。

 夜も更けたというのに、おせんがそこにいたのだ。そして、稲荷神もその姿を晒していた。おそらくは、おせんに見えるようになのだろうが。おかげで、霊視力のない征士郎にも見える。

 その上、昨日逃げるように去っていった雷椿の姿もそこにはあった。

 草鞋が玉砂利を踏む音に、おせんが気付いてこちらを見る。そして、走りよってきた。

「中村様」

「おせんさん、来ておられたか」

 こんな夜更けまでここにいるということは、つまり今夜はここで明かすつもりなのだろう。たしかに、自宅にいるよりも余程安全だ。

 ならば、烏天狗たちも護衛に必要あるまい、と征士郎は考える。烏天狗を使役するには、もうほとんど志之助の法力は使われていないのだが、どちらかといえば征士郎は、烏天狗たちには揃って志之助の護衛について欲しかった。

「前、後、右翼、左翼」

 まるで志之助がするように、征士郎はその烏天狗たちの名を呼んだ。

 しかも、志之助に呼ばれたわけでもないのに、四匹の烏天狗は征士郎のそばに姿を見せた。志之助の身が危険なことは、離れていても感づいているのだろう。一つが戻ってこないのが証拠とも言える。烏天狗五十八匹の長である一つは、現在志之助のすぐそばで警護に当たっているのだ。

「ご苦労様。しのさんの所へ戻って良いぞ。おせんさんはここにいる限り大丈夫だ」

 主人でもない征士郎に命じられて、少し意外だったらしくそれぞれが相棒と顔を見合わせたが、それから揃って頷くと、姿を消した。征士郎の命令と現在の状況と志之助を心配する気持ちが利害が一致したわけだ。

 志之助の式神であるはずの烏天狗に命令をする征士郎に、その非常識さを良くわかっている稲荷神と古九尾狐が驚いた。おせんと共にやってくる征士郎に、雷椿が自ら声をかける。

『そなた、他人の式神を操るのか?』

 その質問に、征士郎は軽く苦笑を返した。

「いや。俺は彼らに許しを与えただけで、彼らが自ら判断したに過ぎぬ。心配そうな目をしていた」

『自ら判断? 式神が、か?』

「あれは、烏天狗だ。自ら判断できる生き物だし、その判断を志之助も認めている。おかしなことではあるまいよ」

 征士郎本人は、まるで当然のことのように言ってのけた。そして、おせんを稲荷神に預け、まっすぐに雷椿を見据える。

「それより、そなただ、雷椿殿」

 別に自己紹介をしたわけでも稲荷神の紹介を受けたわけでもないが、征士郎ははっきりその名を呼んだ。

「姉君に知らぬところで死なれた痛手はわからぬではないが、このおせん殿の身代わりにまでなった甥を、本当に見捨てるつもりなのか?」

 本当は、この相手に手を貸してほしいというのが本音だ。だが、手伝う気がないのであれば、せめて恨み言くらいは言わせてほしい。

 征士郎とて、何も感じていないわけではないのだ。ただ、志之助が回復を見せているから心配が薄れてきただけで、愛する人を危険に晒してしまった自分にも、直接危害を加えた九尾狐にも、腹を立てている。こんな事態を招いたおせんにも、力を持っていて必要なことも知っていながら拗ねているこの雷椿にも、八つ当たりに近い感情を持っているのは確かなのだ。

 ただ、表に出ないから、落ち着いているように見えるだけで、心配が薄れた今だからこそ、はらわたは煮えくり返る思いだった。

『よく生きて戻れたものだ。それだけの力があるのなら、意外とあっさり片付けるのではないのか?』

「俺が助けに行って、式神を使って命からがら逃げ出したまでだ。あれでは、ただの人間である俺たちでは力が足らない」

『式神、ねぇ。すごい式神を持っている男だな、我が甥は』

 なにしろ、神の使いである天狗を我が物にしている人間だ。とんでもない力を持っているのは誰の目にも明らかだろう。

『あれなら、俺の力もいらんだろうよ』

『これ、雷椿殿。いつまで拗ねておる。この者が、無理だ、と申したのだ。手を貸しておやりよ』

 今この場で彼に意見を言えるのは、確かに稲荷神だけだっただろう。その役割を、稲荷神は果たしてくれた。

 友人である稲荷神にまでそう言われて、雷椿はぷい、とそっぽを向く。やれやれ、と稲荷神は首を振った。

『そなたでなければ、助けてやれぬのであろう? 我からも頼む。この地を守るためと思うて』

 稲荷神に、まさか下手に出られるとは思っていなかったらしい。頭を下げる稲荷神に、雷椿は目を見張った。

『そんなに娘が大事か? たかが人間だぞ』

『そなたとて、姉が大事であったのだろう? 我が血を引いておる可愛い娘じゃ。この子が命を狙われ、それをそなたの甥御が救うてくれた。恩を返すに十分な理由じゃ』

『だったら、あんたが手を貸してやれば良いだろ、狐祇』

『それができれば、とうにそうしておる』

 いつまでも頑なな友人に、稲荷神は呆れたため息をついた。





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