参の5
丁度その時、征士郎の背後の階段がきしりと音を立てる。全員がそちらを注目すると、志之助がまだ足元のおぼつかない様子で立っていた。
「おぉ、しのさん。目が覚めたか」
よたよたと歩いてくる志之助を、征士郎は両手を大きく広げて出迎えた。すぐそばにペタンと座り込み、征士郎に身体を預ける。周りに三人がいることもわかっていて、志之助にためらう様子はない。まだ本調子ではなく、ぼうっとしているのだろう。普段であれば、恥ずかしがって、人前で征士郎に甘えることなどないのだ。
「……せぇさん。どっか行くの?」
「うむ。ちょっと下谷稲荷までな。しのさんは家で休んでいてくれ」
「邪魔?」
「そうだな。怪我人は連れてはいけまいよ」
「大丈夫だよ?」
「そういう強がりは、熱が下がってから言うものだ」
自分にもたれかかってくる恋人の額に額を合わせ、まだ相当熱が高いことに眉を寄せる。まったく、この強がりの恋人は、どこまで自分に心配させれば気が済むのか。
はっきり同行拒否されて、志之助は少し寂しそうにしながらも、素直に引き下がった。今回の件に関しては、勝手に一人で突っ走ってしまったこともあり、征士郎に頭が上げられないのだ。征士郎がそれをそのまま受け入れてくれてしまったから、なおさら罪悪感が残ってしまう。
「……ごめんね。足手まといになっちゃって」
「何を謝っているのか知らんが、悪いと思うならゆっくり休んで早く身体を治すことだ。最終的には、しのさんにしか問題は解決できん」
はっきりと言い切られて、志之助は少しだけ笑った。
志之助も起きてきて全員が揃ったところで、さ、とおつねが声を上げる。
「お夕飯にしましょう。もう、お腹ぺこぺこよ」
今日は芋粥よ〜、とおつねはなぜか楽しそうにかまどへ行ってしまう。そんな未来の嫁を見送って、なぜか勝太郎は実に満足そうに笑った。
一階部分はほとんどすべてを店と土間が占めているので、五人がゆったり座るには狭い板の間だが、この時だけはそれぞれがゆったりと食事を摂った。家主が一人ではまともに座ってもいられなかったので、旦那様に寄りかかっていたせいだ。その旦那も、愛しい恋人をべたべたに甘やかしていた。見ていて胸焼けを起こしそうなほどだ。普段でも、この二人の信頼感は他者の割り込みなどありえないほどなのだが、ますます拍車がかかっている。
食事をしながら、話はおつねの養女縁組の件に移った。
そもそも、この日の予定では、午前中は高遠家へ仲人ともども挨拶をしにいくことになっていたのだ。それを結果的にすっぽかす事になってしまって、志之助も心配をしてはいた。
「いや。松安殿から紹介状をいただいていて助かった。上様からのご命令であったとはいえ、見も知らない娘を養女にするには、高遠殿も慎重になっておられてな」
それは確かに無理もない、と勝太郎は理解を示し、勝太郎は妻を見やる。
「征士郎は知っておるのか? おりん殿という女性は」
「えぇ、存じ上げております」
何故そんな突然問いになるのか、と勝太郎は不思議そうに首をかしげ、それから納得して手を叩いた。
「おつねさんが、おりんさんに似ていると?」
「そんなに似ておるか?」
「雰囲気がそっくりですよ」
な、と征士郎は志之助に同意を求め、志之助はくすくすと笑って頷いた。なにしろ、借りを作ったという先だっての一件では、二人が別々に同じ言葉を言ったという笑い話までついているのだ。まるで魂の双子に近い。
そんな逸話を聞いて、なるほどなぁ、と勝太郎は頷いた。
「いや、高遠殿にも気に入ってもらえたのだが、その理由がおりんという女性に似ているということだったのでな。少し心配ではあったのだ。しかし、そなたたちがそんなに似ているというのであれば、心配は要るまい」
それは、高遠を信用していないのか、とも疑える話ではあったが、何しろ今回が初対面では仕方がない。勝太郎に心配されておつねは恥ずかしそうに頬を染めた。
「それで、式の日取りは決まったのですか?」
「いや。それは、仲人の都合次第だ。此度の一件が片付いたら、吉日を選んで早々に挙げたいと思う」
「でしたら、私たちを待たないで、誰か別に仲人を立てれば宜しいのに」
「ばか者。そなたたちにこそ祝って欲しいという我が兄心がわからぬか。征士郎」
そもそも、弟の結婚を誰よりも祝福し、志之助という弟嫁を大事に思っている勝太郎としては、その二人にも祝言を挙げて欲しかった、と今でも思っているのだ。自分の再婚は、この二人に祝ってほしい。
そんな、兄弟の些細なすれ違いを、志之助はくすくすと笑って見ていた。
食後の薄茶も飲み干して、さてと、と征士郎が立ち上がる。それを、自分の力だけで座れるようになっていた志之助が、のんびりと見上げた。
「では、そろそろ行ってくる。帰りは何時になるかわからん。しのさんは休んでいてくれ」
「……俺も行ってはダメ?」
「また言う。ダメに決まっている。それよりも、早く身体を治してくれ。いつ襲われるかわからんぞ」
今回の件、志之助に危険が迫っている代わりに、解決できるかどうかも志之助にかかっているのだ。無理をせず、早く本調子に戻って欲しいという征士郎の気持ちも、至極当然だ。
それに、と征士郎は心配そうな顔で続けた。
「そもそもしのさんは、自分の身体をもう少し労わってくれ。出会った当初も、箱根で竜神を呼び出してから鎌倉で療養できるようになるまで、貧血の身を無理に動かして長引かせてしまったではないか。少しは反省しておるのか?」
「……だって、あれは……」
「だって、ではない。とにかく、これは命令だ。寝ていろ」
「……はーい」
不満そうに、だが、征士郎が本当に心配しているのがわかるので口答えも出来ず、渋々了解の返事をする。その志之助の頭をぽんぽんと叩いて、征士郎は何だか手持ち無沙汰そうに左腰に手を当て、右手でざんばらの頭を掻いた。
「癖になっているな。刀はもう無いというのに」
その左腰の手は、刀を支える癖がそのまま出てしまったものだったらしい。その大事な刀を使えなくしてしまったのは志之助で、朧気ながらも征士郎が自分を助けるために奮闘してくれたことは覚えていて、申し訳なさそうに俯いた。
「ごめん。大事な刀を折らせちゃって」
「しのさんが謝ることではない。俺の腕が足りなかったせいだ。まぁ、蔦の蔓程度があれだけ硬いとは想像も出来なかったがな。落ち着いたらまた、いずこかより調達してこよう」
大した問題ではない、と征士郎は笑い飛ばす。
「では、行って来る」
「行ってらっしゃい」
今度こそ素直に送り出してくれて、征士郎は満足そうに裏口へ向かう。それを追って、勝太郎も立ち上がった。
「私も共に出よう。おつね、加助、志之助殿を頼むぞ」
「はい」
全幅の信頼を寄せる妻にでも命じたように、勝太郎は自然に二人にそう言って、出て行く征士郎を追っていく。おつねは嬉しそうに頷いて答えていた。
見送りに裏口まで送っていくおつねを見送って、新婚夫婦に当てられてしまって、志之助は加助と顔を見合わせると、軽く肩をすくめた。
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