参の4




 征士郎が目を覚ましたのは、部屋に眩しい夕日の赤い光が差し込む、夕暮れ時だった。

 志之助は、相当体力を消耗していたのか、目を覚ます気配がない。

 階段を下りていくと、土間ではいつものようにおつねが夕食の支度をしていた。加助は店仕舞いを始めていて、雨戸のはめ込みになんと勝太郎が駆りだされている。

 背後に人の気配を感じたのか、おつねが菜箸を片手に振り返った。

「あら、征士郎様。お目覚めですか」

 おつねの反応は、まったく普段通りであった。何を作っているのか、醤油出汁の良い匂いが食欲をくすぐる。

 今朝の状況が切羽詰っていただけに、何だかほっとしてしまう。

「高遠殿は、いかがでした?」

 普段から良く知っている相手であるとはいえ、将来の兄嫁だ。征士郎の言葉にも礼儀が感じられる。そうして敬語を使った征士郎に、おつねはけらけらと笑う。

「嫌ですよ、征士郎様。いつも通りにおっしゃってくださいましな」

「しかし、兄上の奥方になられる人だ」

「気にするな、征士郎。おつねはおつねのままだ。のう、おつね」

 雨戸を閉じ終わって、勝太郎が店から戻ってきながら、横から口を出す。おつねもその言葉に、はい、と頷いた。

 食事の支度をするおつねに代わり、仕事が終わった勝太郎が征士郎の相手をしてくれるらしい。そそくさと板の間に腰を下ろすと、勝太郎は弟に手招きをする。

「志之助殿の加減はどうだ?」

「……熱さましの薬が効いているのか、良く眠っています」

 そうか、と勝太郎は痛ましそうな表情で頷いた。大体の状況は加助に聞いているのだろう。自然に受け流してくれる。

「それで? 一体何が起こっているのだ?」

 志之助が大怪我をして征士郎に抱かれて戻ってきた。勝太郎が知っている事実はそれだけだ。多摩の森に巣食った異国の妖異を退治しようとしているはずの二人である。志之助の怪我は、おそらくそれに関係することなのだろう。となれば、この一件は依頼をした将軍に、そして仲介役の自分にも責任がある。

 かなり深刻な事態になっていることは予想をつけて勝太郎が心配そうに尋ねるので、征士郎はこくりと一つ頷くと、一昨日からの事の次第をかいつまんで話し始めた。

 いつの間にやら、売上勘定の済んだ加助と料理を済ませたおつねも話の聞き手に参加していた。

「と、こういうわけなのです」

 ほとんどにおいて端折ったものの、大方の筋は一通り説明して、征士郎はそんな風に締めた。

 聞き手の三人は、驚くべき急展開と志之助を襲った悲劇に呆然としている。

 多摩の森に巣食った異国の妖異は九尾狐であったこと、志之助が古九尾狐の子であること、その叔父に当たるらしい古九尾狐と、下谷稲荷の稲荷神、稲荷神の娘で御家人片桐家の養女おせんの存在、そして、狐の嫁取りのこと。

 あまりにも突拍子もない事態の連続で、しかしそれは紛れもない現実なのだ。高熱を出して寝込んでいる志之助が生き証人である。それを話す征士郎は、淡々としたもので、それが反対に、身内の不安を誘ってしまう。

「お前は、よくその状況を受け止めているな」

「身の回りに起こった事実です。受け止めるしかありません。これでも、不安ではあるんですよ、兄上。きっと、しのさんはあの九尾狐の嫁として目を付けられてしまっていますから」

 助けに行った時の志之助に対する仕打ちが、克明に物語っている。美人とはいえ、見るからに男である志之助だ。その身体をああも女性扱いに犯したのだから、間違いなく、嫁だ。

 反対に言えば、志之助が身代わりにならなければ、おせんがその身を穢されていたとも言えた。当然、そのまま帰らぬ人となったのだろう。

 そう思えば、志之助に対して行われた屈辱的な行為も、何とか腹に据えることも出来るのだ。きっと志之助は、おせんの身代わりになった自分を許してほしい、と望んでいるのだから。

 目を付けられた、と聞いて、勝太郎は不安を露わにする。

「では、いずれまた、攫いに来ると?」

「おそらく。ですが、もう、こちらが後手に回ることはありません。彼奴の目をこちらに引き寄せたことで、我々が主導権を握ることが出来ます」

「……どうして? 攫いに来た相手をあしらうことが出来るの?」

 はっきりと征士郎が断言するのに、勝太郎もおつねも加助も、不思議そうに首を傾げる。そうして尋ねるおつねに、征士郎は軽く頷いた。

「まず第一に、彼奴はこの場所を知らない。第二に、しのさんの式神は揃いも揃って、そこらの妖怪など目ではない力を持っている。その式神たちに守られているのだ。彼奴には手が出せまいよ」

 さらに、近所の神社には志之助を可愛がってくれている関東の大怨霊が控えている。つまり、ここにいる限り、ほぼ間違いなく安全は保障されているのだ。こちらから出向いてしまえば、どうなるかは敵次第だが。

 それに、と征士郎は言葉を続ける。

「今夜中に、しのさんの叔父殿を探してきます。この一件、確かに半分しか血を引き継いでいないしのさんには手に余る」

 対峙してみれば、将門が志之助の親類を探せと助言した理由もはっきりわかる。志之助自身の力では、確かに不足だ。いや、反対に、志之助が狐の血を引いているからこそ、あまりにも不利だった。術の威力は人並み外れ、使う式神は敵を凌ぐはずの力を持っていても、それらを差し引いても志之助には不利だ。なにしろ、志之助自身が贄になってしまうのだから。

 したがって、純粋な古九尾狐の力が必要だった。どうしても嫌なら手を貸せとは言わない。だが、弱点くらいは助言してほしい。そうでなければ、どうにも勝てる気がしない。負ける気ももちろんないのだが。

「つきましては、兄上。もう一晩、加助殿をお借りできませんか?」

「ん? うむ、それは構わんが。志之助殿の看病というなら、おつねも置いてゆくぞ」

 な?と確かめるまでもなく、もちろん、とおつねも頷く。遠慮して断っても居座られそうな雰囲気で、征士郎は苦笑と共にそれを素直に受け取った。





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