参の1




 森の中に、その狐はいた。

 狸と狐が上手に縄張りを分けながら住んでいた、人里に近い低い山の上だ。

 その狐は、他の狐に比べれば、いや、他のどんな生き物と比べても、大きかった。

 人間など目ではない。熊でもかなわない。とにかく、大きな狐だ。

 その尻尾は、九つに分かれていた。狐色の毛並みが美しい。

 この狐。本来であればこんな森の中に潜んでいるはずのない生き物である。

 狐のいた場所は、この多摩丘陵から山と海と大平原を越えた先の、中国奥地の岩山の上なのだ。山水画に描かれるような岩山がそびえる一帯で、その力を誇示していた主であった。

 それが、何の因果か、縄張りを侵してやってきた他の九尾狐に倒され、ボロボロになりながら逃げだして、辿り着いたのがこの多摩丘陵であった。

 大陸から見れば、何ともちっぽけな島国の、それも東のはずれのこの森を、それでも狐はまっすぐに目指して逃げ延びた。

 この島は、狐族にとっては神の島とも呼べる聖地だった。というのも、かつて神と呼ばれた古の九尾狐が、他の妖異に縄張りを奪われて、逃げ延びた場所と言われていたのだ。

 そうして大陸から消えた古九尾狐に代わって、今の九尾狐が妖異本来の威厳を回復し、大妖怪として人々から恐れられる存在となった。そんな大妖怪のうちの一匹が、この狐だった。

 この地を目指したのは、傷を負ったその身を、かつて神と呼ばれた古の九尾狐に守ってもらおうとした、わけでは当然ない。

 古九尾狐を追った妖異を新しい九尾狐が追い払った。つまり、自分は古九尾狐よりも強い一族である。そんな理論が成り立った末、であれば、その古九尾狐を喰らえば、自分を追い出した別の九尾狐に対抗が出来る、と判断したわけだった。

 結果、この島に辿り着き、古九尾狐を探して、ようやく辿り着いたかすかな匂いを感じる場所。それが、この多摩丘陵であった。

 いや、多摩丘陵で匂ったわけではなく、もっと東の、人間が作った都のような町の中にその匂いを感じたため、身を隠したのだ。

 この場所に身を隠して傷の癒える日を息を潜めて待ち始めて、季節を一回り。そろそろ一年が経とうとしていた。

 多摩丘陵にやってきて、すぐにまず見つけたのは、化け狐だった。まだ尻尾も二本しかないできそこないで、人間を脅かす程度の悪さしか出来ない肝の小さな化け狐だった。この程度なら、傷を負っているその身でも一撃で始末が出来た。だから、バリバリと頭から喰らってやった。

 おかげで、そのときにだいぶ傷も落ち着いた。喰らってみれば、思ったよりは強い妖力を持っていた。これだけの力を持っていて、もったいないことをしていたものだとほくそえむ気力が戻った時、季節が一つ過ぎていた。

 ふと、喰らった化け狐の記憶の一部を手に入れた。それは、自分の嫁にと目をつけた人間の娘であった。見れば、人間にしては強い妖力を持っている。狐の匂いがするのは、前の化け狐がつけたつばのせいか、それとも生まれ持ったものなのか。

 判断がつかない程度には薄い匂いで、興味を持った。そこで、九尾狐はこの娘に目をつけた。

 といって、嫁に取るにはまだ早い。もう少し妖力を注いで熟すのを待つべきだった。幸い、このあたりには狐の集落が多く、普通の狐を喰らえばそれだけで力を蓄えるに十分だった。

 さらに二つの季節を重ね、この場所が狐神の神域であることに気付いた。これはまた、好都合だった。すでに四肢も自由に動くようになっていた九尾狐は、その狐神も、頭からバリバリと喰らってやった。神というわりには、老いていて弱く、少し物足りないほどだった。

 神を喰らって妖力も蓄えに回せるほどに回復すると、見つけたはずの古九尾狐がいないことに気付いた。移動してしまったらしかった。

 しかし、見つけた嫁を手放すのも惜しい。それに、急ぐ必要もなかった。だから、九尾狐はこの場所に居座った。嫁の妖力が熟すのを待った。

 そして今。ようやく食べごろに近くなったところを見計らい、嫁をさらいに向かったところで、九尾狐は驚くべきものを目にした。

 それは、自分と同じ九尾狐の血を引く、人間だった。

 九尾狐の血を引くとはいえ、所詮は人間だ。大した力を持っているはずもない。だが、そんな予想を裏切って、その潜在する妖力は人間離れしていた。この地で最初に喰らった化け狐と比べても、二、三倍は強い妖力をその体内に秘め、しかもそれを自ら育てているようで、力の変換率が極めて高い。

 中国にいた頃、一度だけ口にすることが出来た、チベットの高僧に近い気を持った人間だった。あれもまた、喰らえば最高級の味とその力が手に入った。

 ならば、おそらくはこの人間も、喰らえば相当な力が手に入る。

 その時から、九尾狐の目標が変わった。もちろん、嫁も手に入れる。だが、もっとうまそうなこの人間が先だ。見れば、人間は嫁を守ろうとしているらしく、植物の霊を護衛に付けていった。ということは、嫁に手を出せば、この人間も釣り上げられる。

 はたして、試みは大成功を収めた。

 今、九尾狐の前には、九尾狐が支配する蔦の蔓に身体を拘束され、身動きもとれずに気を失う、華奢な男の身体が晒されている。着物はずたずたに引き裂かれ、白い肌にも幾筋かの傷が見える。長い黒髪に熟れた唇、線の細い身体は女のようで、だがその胸は意外にも鍛えられた筋肉がつき、細い手足が今にも折れそうに垂れ下がっている。その下腹部は、蔦が悪戯をするように蠢いていた。

 この人間、捕まえてみれば、なんとも艶かしい女の色気を男の身体に纏っていた。おそらくは、男でありながら女と同じ快楽を知っている。ならば、それもまたご馳走の一つだった。

 狐が嫁にこだわるのは、女でしか持ち得ないその色香と淫の気が、妖力よりも美味なご馳走となるからだ。舌触り良く、滑らかで、それでいて欲の塊であるが故の気に満ちている。

 蔦の役目は、拘束することだけではない。女の持つ色香と淫の気を引き出す役目も併せ持っている。蔓は身体に絡まり、快感の種を探り出し、刺激し、内部の奥まで潜り込んでいく。

『さぁ、見せてみよ。その淫を思う様、吐き出すが良い』

 九尾狐の命じるままに、蔓はその快楽を求めて動き出す。するすると身体に巻きつき、身体の内部にまで潜り込む。

 ぴくり、とその身体が反応を示した。気は失っているはずだが、目がうっすらと開き、焦点の合わない瞳が空を見つめる。口をつく息が荒くなっていく。

「……ぁ……ぁあ……」

 意識を失った身体は、快感に素直だ。肌を滑っていく蔓に煽られ、ため息のような嬌声を漏らす。

 九尾狐は、その九つの尻尾で人間に絡みつく蔦に触れる。そして、満足そうににんまりと笑んだ。

『ふははは。思うた通りじゃ。いや、思うた以上じゃ。美味なりっ! 極上じゃ!!』

 調子付いたのは狐か蔦か。蔓はするすると何本も巻きついて、見つけ出した快感のツボを次々に刺激する。

「えっ? ……はあっ! あぁ、いやぁ、あぁんっ」

 調子に乗って刺激を強くしたのが裏目にでたか、人間、志之助は目を覚ました。感じるのは気味が悪いほどに這い回る蔦の蔓。身体を動かそうにも両手両足を縛られて身動きが取れない。快感を勝手に引き出されて、抗うことに精一杯で、意識を集中することもかなわない。

 それは、恐ろしいとしか言いようのない恐ろしさだった。

「いやぁっ、やめてぇっ」

『ほう、気がついたか。しかし、もう遅い。恐がれ、喚け。全ての感情が我が心地よい餌となるのじゃ』

 体中を這い回り、快感と恐怖を煽り上げていく蔦の蔓に、志之助の自尊心までが崩されていく。それはもう、小気味良いほどに。

『もっと恐がれ、もっと喚け。そして快楽に身を委ねるのだ。そなたの全てを啜りつくしてくれるわ』

 そら、もっとだ。そう狐が命じると同時に、志之助を猛烈な痛みと快感が押しつぶす。悲鳴すら、上がらなかった。





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