壱の5




 一月もすると、誰も志之助や征士郎のことを新参者だなどとは思わなくなっていた。とにかく志之助は長屋の女たちのアイドルだし、征士郎は寺子屋で子供たちの人気者なのだ。

 同じ長屋に住んでいる大工がくれた板切れと寺子屋の寺の住職の達筆で、小間物屋「中村屋」の看板もできた。彼らを悪く言う者がいないのだから、受け入れられるのも早いのである。

 そんなある日。

 いつものように店の外に打水をしに出た志之助は、向こうから走ってきた女の子にぶつかりそうになっていた。

 十二、三才の女の子である。どこかに奉公に出ているのか、前掛け姿だ。あどけない目が、ぶつかりそうになって抱き留めた志之助を見上げている。

 あわてて志之助の腕から離れて、ぺこりと頭を下げた。また走りだしかけて、少女が後ろを振り返ったのに、もしかしたらと気がついた志之助は、その少女を無理矢理店の中へ引きずり込むと、有無を言わさぬ口調で言いつけた。

「二階にあがっておいで。助けてあげるから」

 それを突然言われても、何故そんなことを言われるのか理解できず、少女は戸惑ってそこに立ち尽くす。早くっと怒鳴られて、あわてて少女は店の中へ入っていった。音をたてないように階段を駆け上っていく。そのかすかな音を確認しつつ、志之助は何事もなかったように打水を再開した。

 階段を上りきるか否かというところで、向こうの方から走ってきた五、六人の人相の悪い男たちが志之助の前に辿り着いた。

「おい、お前っ」

「へえ、なんでしょう?」

 イライラするくらいおっとりした口調で、志之助がそう答える。志之助の気性からは考えられないのんびりさだが、この速度は急いでいる相手にいちばん不快感を与える速度で、それを志之助は知っていて使っている。その甲斐あって、相手のイライラ感が増しているのが手に取るようにわかる。

「ここを女が通らなかったか?」

「女ですか? さあ、どうでしたかねえ。……ああ、前掛けをした女の子でしたら、ちょいと前にあわてて走っていったのを見ましたねえ」

 こいつ、おちょくってんのか?というくらいのんびりと志之助がしゃべる。イライラして思わず志之助をぶん殴りたくなったような、そんな顔をして、さっきから志之助にものを尋ねている男が、どっちへ行ったっと大声で志之助に怒鳴った。でも、志之助はそんな声にはこたえていないようにのんびりとまた答える。

「さあて、この道をずっと通り過ぎていったのは見ましたけれどねえ、どちらへ行ったかまではちょっと……」

 志之助がのんびりと答えている途中で、結局役に立たなかったと判断したのか、男たちが礼も言わずに走りだす。つきあたりの松駒屋の前で二手に別れていったのを見送って、志之助は軽く肩をすくめた。

「やれやれ。血の気の多い連中だ」

「やくざ者なんて、そんなものだろうよ」

 まだ寺子屋に行っていなかった征士郎が、二階から下りてきてそう言った。征士郎の背に隠れるように、見知らぬ少女がこちらをうかがっている。行っちゃったよ、と彼らが走っていったほうを指差すと、ようやくほっとしたような顔をして、少女は深々と頭を下げた。

「助けていただいて、ありがとうございました」

「ほう。人助けとはまた、しのさんにしては珍しい。どういう風の吹き回しだい?」

「あ、失礼な。か弱い少女を男五人で追いかけ回すなんて、許しちゃおけないでしょ? これが男だったら、放っておくんだけどねえ」

「だから、坊主らしくないというに」

「もうとっくに坊主じゃないってば」

 からかった征士郎の言葉からふざけあいだす二人を、少女は驚いた目をして見つめていた。征士郎が少女の目に気がついてはっとする。二人旅が長いせいで、何かと二人息のあったおしゃべりをする癖がついていたのに、今更ながらに気づいたらしい。耳を真っ赤にして恥ずかしがっている相棒に、志之助はくすくすと笑っている。

 で?と一通り笑った志之助が、少女に話を振った。

「なんでまた、あんな大男たちに追われてたんだい?」

 訊ねられて、少女ははっと顔を上げた。そして、慌てて首を振る。どうやら聞いてほしくないらしい。志之助は征士郎を見上げて、首を傾げた。

「せいさん。寺子屋行くの、ちょっと待ってて」

「おう」

 答えたはいいが、何をするんだ?と征士郎は怪訝な顔をする。志之助は、少女について来るように言って、裏口から家を出ていった。

 志之助が尋ねた先は、長屋に住む常連客の家だった。

「おはようございます、おはるさん」

「あら、志之助さん。いらっしゃい。どうしたんだい?」

 出てきたのは、店を開いたその日に一番にやってきた女だった。なかなか世話好きな人で、志之助が少女を連れているのに気がついて、中に入れてくれた。

「どうしたんだい、この子は」

「いやね。ついさっき、店先でぶつかってしまったんですよ。何やら、変な男どもに追われてたようなんで、かくまってやることにしたんですが、この格好じゃあ、目立つでしょう?」

「着替えかい? それと、髪も結い直さなくちゃねえ。ちょいと待っておいで。適当に見繕いでいいんだろう?」

「おねがいします」

「なあに、志之助さんの頼みとあっちゃあ、この長屋で断る女はいないよ」

 店で待っておいで、と言い残して、彼女は部屋を出て行く。これから仕事に出かけるところだった、看板の板切れをくれた大工の旦那と目が合って、志之助はぺこりと頭を下げた。無口だが、おはるの旦那というだけあって、心がやさしい人である。

 店に戻ると、征士郎がはたき片手に店の中を掃除しているところだった。何事もなかったように、と考えた結果なのだが、それにしても、征士郎にはたきとは似合わないことこの上ない。

「せいさんって、ホントそういう格好、似合わないねえ」

「似合い過ぎて困るよりは良かろう? それで、どうだった?」

「ん。おはるさんに、とりあえずこの子の着物を見繕ってもらえることになった。せいさん、寺子屋まで連れてってやってくれる?」

「そのつもりで引き止めたのだろう?」

 おや、という顔をして、それから志之助はうれしそうに笑って見せた。さすがにこれだけ付き合いが長いと、以心伝心するものらしい。

 おはるが着物を捜し歩いてくれている間、志之助と征士郎はこの少女の素性を聞き出そうとしていた。

 というのも、名前すら知らないのである。何かと問題ごとに首を突っ込んでいくのが趣味という志之助と、そんな志之助に文句も言わずに付き合ってしまう征士郎という組み合わせで、行動を起こす第一段階がまだ済んでいないのである。名前と、どこの店に奉公している子なのか、出身はどこか、くらいは知らないと、何もできない。

 最初のうち渋っていた少女は、長々と旅を続けられたこの二人の根気に負けて、やがてポツリポツリと自分のことを話し始めた。





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