弐の8
勝太郎とおつねはそれぞれ自宅へ帰り、加助は翌日のため一階に泊まると言って早々に眠りについた。
二階では、志之助と征士郎が二つの布団を敷いて、こそこそと相談事をしていた。
「で、女の格好をするのか?」
「うふふ。見たい?」
「似合うだろうがな。複雑だ」
肩を寄せ合い、布団に並んで座って、征士郎が志之助の肩を抱いていた。志之助も、そんな征士郎に甘えるように寄りかかっている。
話しているのは、勝太郎の結婚の仲人をせよ、と命じた時の家斉の冗談についてだ。志之助が、自分は女ではないから、と渋った時に、気になるなら女装をしたらどうだ、と冗談を言われてしまったそのことだ。
征士郎が複雑だと言ったのは、どういう意味だったのか。志之助にもわからなかったようで、先を促すように征士郎の顔を覗き込む。
「どうして?」
「いや。しのさんが女の格好をしたところを、単純な好奇心として見たくもあり、きっとよく似合うだろうからしのさんに好意を寄せる男も増えるだろうと思えば、そうはさせたくないとも思う」
「取り越し苦労だよ」
「だと良いがな。きっと、当たるぞ」
そうかな?と自覚のない志之助は首を傾げるが、その無自覚なところが危ないのだ、と征士郎は内心で思う。方々の宿場町で女たちを虜にしてきた色男の征士郎が、ベタ惚れしている相手である。自惚れてくれても良いくらいなのだ。
そもそも、自覚がないところがまったく、おかしいと思う。自分に出会うまで、幾人の男に抱かれてきたのか知らないが、その身を捧げ出すことで今の能力を築き上げてきた志之助である。つまりは、それだけの男が志之助を抱きたがった、と言い換えることが出来る。それは、志之助の類稀なる美貌によるところ以外に考えられない。
しばらく、うーん、と考えている志之助を、征士郎はたまらず抱き寄せた。
「なぁ、しのさん」
「ん?」
「他の男に言い寄られても、俺のところに戻って来いよ」
え?
突然不吉なことを言い出す征士郎に、志之助は驚いたように目を見開いて、見返した。その表情が、意外なほど真剣そのもので、返事に困ってしまう。
それから、呆れたため息をついて見せた。
「なぁに言ってるの。俺が、せいさん以外の男についていくわけがないだろう? 男はもう、こりごりだよ。せいさんでなくちゃ、抱かれたくない」
「嬉しい事を言ってくれる」
「寝惚けたこと、言うからいけないの。もう、恥ずかしいじゃない」
本当に恥ずかしそうに照れて、パタパタと征士郎を叩く。力が入っていないので、じゃれているのは明白だ。
志之助がじゃれてくるので、征士郎は嬉しそうに抱きしめる。
「今のところ、不安なのは竹中紅寿だが……」
「まぁだ言ってるよ。せいさんがちゃんと俺を抱きしめていてくれればいいんでしょ?」
「そうは言うけどな。知ってるか? しのさんが気配を隠してどこかへ行ってしまったら、俺はさっぱり気がつかないんだぞ。出会った当初も、何度見失ったことか」
本当に、心配なんだ、と征士郎は珍しく真剣に訴える。それが本心だと知っている志之助は、改めて言われて、くすりと笑った。小さく頷いて、そっと抱きつく。
「俺が、せいさんから離れられるわけないじゃない」
「信じるぞ?」
「信じてよ。一生、そばにいるから」
ね? そう、志之助は悪戯っぽく笑って見せる。ふらりとどこかへ行方をくらましてはいつの間にか戻ってきて、さっさと自分ひとりで先に行ってしまっては追いつくのを待っている、まるで子供のような行動をする志之助だ。手放しで信じられるはずもない反面、懐いている自分からはつかず離れずの行動をする安心感も手伝って、征士郎は苦笑するしかなかった。
それから、その話はおしまい、とばかりにぽんと自分の膝を打つと、志之助はおもむろに起き上がる。
「せいさん。松安先生に一筆書いて。もし都合がつくなら、同行してほしいし」
「そうだな。松安先生の実の父上だ。その方が良いだろう」
見事に以心伝心して、征士郎も起き上がった。蜀台を手に文机まで行って、筆を取る。さすが、少し前まで寺子屋で教師を務めていただけのことはあり、征士郎は達筆だ。筆さばきだけなら志之助も負けてはいないのだが、残念ながら、写経に限られてしまう。
さらさらと書きつけられた内容は、兄の結婚相手の件で松安の父に手を貸してもらいたいので同席してほしい、あるいは一筆いただきたい、というお願いの文であった。確かに、先日の一件では、志之助の活躍を奉行所の手柄としたことで貸しを作ったわけだが、それにしても、高遠氏と志之助は先方の生理的嫌悪感から、あまり馬が合わないのだ。借りられる手は借りておきたい。
したためられた書は、志之助がそのまま受け取り、おもむろに鳥の姿に折りたたんだ。その綺麗な指先は見た目どおりに器用で、墨でよれた紙も綺麗に折ってしまう。
そして、出来上がった折り紙の鳥を窓辺へ運ぶと、ふっと息を吹きかけた。
すると、紙で出来た鳥は何と本物そっくりの鳥の姿に変身をし、鳥目も何のその、夜空へと羽ばたいていった。
「さぁ、明日も朝が早い。もう寝よう」
「うん」
志之助が折り紙の鳥を見送っている間に文机を片付けて、征士郎は蜀台の火を吹き消す。そして、布団の上に横になった。どういうからくりを仕掛けたのか、返事を受け取るために窓は開けっ放しで、志之助もその隣にもぐりこむ。
半月の月が、いつのまにか大きく傾いていた。
月明かりが室内をほのかに照らしている。
すでに征士郎の顔の一部となっている無精ひげ面を、志之助はすぐそばからそっと見つめた。目を閉じた征士郎にはそれがわかっているのか、横になって少しも経たないのに、すでにうとうととしている。
その懐に、志之助は自ら擦り寄っていく。
「ねぇ、せいさん」
「おう? 何だ?」
もうすでに寝惚けた声で、征士郎が問い返した。返しながら、そばによってきた志之助を自然に抱き寄せる。志之助の長い髪が、征士郎の指にゆるく絡まる。
「抱いてくれない?」
自分に比べればはるかに立派な胸板に頭を預けて、志之助は目を合わせることなく、そんなおねだりをする。少しは驚いたのか、征士郎は閉じていた眼を見開いた。
「どうした? 眠れないのか?」
「うぅん。ただ、何となく。抱いてほしい」
ね、お願い、と志之助に甘えられて、嫌だと言える征士郎ではない。小柄な身体に丁度良い大きさの頭を抱き、柔らかな髪を撫ぜて、その額に口づける。
「疲れていないのか?」
「身体は、全然」
「甘えたい気分なのか」
「うん」
それなら、応えてやらねばな、などと嘯いて、征士郎はそっと志之助の華奢な身体を抱き寄せる。誘うように自分の胸元をはだける志之助にまんまと誘われ、そのキメ細やかな肌に唇を寄せた。
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