弐の7




 日もとっぷり暮れた頃。

 帰ってきた店主を迎えた小間物屋、中村屋には、その時、中村家の当主、唯一の使用人、そして未来の女主人の三人がいた。すでに店仕舞い済みで、聞けば、加助とおつねが協力して店仕舞いしていたところ、勝太郎が途中からやってきて手伝ってくれたのだという。

 さすがにそれには恐縮して、志之助が深く頭を下げる。

「どうも、お手数をおかけいたしました」

「兄上、早速使われてますね」

「馬鹿者。妻に手を貸すのは夫の務めだ」

 志之助と対照的に兄をからかう征士郎に、勝太郎はことのほか真面目な顔で、はっきりとそう言った。妻、と呼ばれた、一応まだ独身のおつねが、あらいやだ、と言って恥ずかしそうに頬を染める。

 それにしても、こちらの予定夫婦は、結婚する前から新婚状態で、何とも目のやり場に困ってしまう。身体にこそ触れていないものの、交わす目線がいちゃいちゃの雰囲気たっぷりだ。

 いつ帰ってくるのかわからなかったのだろう。おつねが用意してくれた夕食は、雑多煮とおにぎりだった。新妻の手結びのおにぎりは、これまた絶品だ。こんな料理上手の奥方をもらえる勝太郎が幸せ者だ、と征士郎はこれまたからかった。

 食後の薄茶をいただくと、ようやく全員が人心地つく。

「征士郎、志之助殿。改めて頼みがある」

 ほっと一息のため息をついた志之助が、突然改まった勝太郎にびっくりした。それは、征士郎も加助もおつねも同様だ。全員が、目を丸くする。

 ドン、と音を立てて前に手をついて、勝太郎は実に真剣な表情で志之助と征士郎を見つめている。その真剣な表情に、志之助もまた改めさせられ、茶碗を置いた。

「なんでしょう?」

「上様がおっしゃられた、仲人の件。是非とも、お願いしたい」

 それは、確かに将軍家斉の前でこそ話をして引き受けたものの、直接やり取りをした約束ではない。なるほど、改めての申し出も頷けるというものだ。

 勝太郎が意外なほど真剣なので、志之助もまた真剣な表情を返した。

「お引き受けいたします」

 ついでに、深々と頭を下げた。志之助にとって勝太郎は義兄であり、志之助が認める数少ない目上の人間だから、最上位の態度だった。

 それを受け、頼んだ方の勝太郎も、がばっと身体を伏せる。おつねと征士郎は、こんな二人に困ったように顔を見合わせた。

 双方がほぼ同時に頭を上げる。

 先に口を開いたのは志之助だ。

「それで、祝言のご予定は?」

「おぉ、そうだ。それでだな、早速頼みたいことがあるのだ」

 早速、ということは、仲人としての初仕事、という意味なのだろう。志之助は征士郎と顔を見合わせる。征士郎も首を傾げて返した。

「急で済まないのだが、明日、時間をくれぬだろうか? いや、忙しいことは承知のうえだ。午前中だけで良い。何とかならぬか?」

 忙しいことは、この時間に帰ってきたことからも察しがついているのだろう。実に申し訳なさそうに言うので、嫌だとも言えなくなってしまう。

「何をすれば良いんですか? 兄上」

「うむ。そなたたち、身分の違う者同士の結婚が許されておらぬのは知っておるな?」

 尋ねられ、こくりと頷く。

 この時代、人々は士農工商の身分制度によって分けられ、厳しく統制されていた。武士には武士の、最高位としての厳しい取り決めがあり、それによると、武士の結婚は武家の者同士でなければならないのだという。

 そういう意味で言うならば、志之助と征士郎など掟破りもはなはだしいのだが、二人は男同士であり、届出をする必要もない事実婚のため、気にしたことがなかった。

「だから、おつねを武家の娘にする必要があるわけだが」

「それで上様は、おつねさんの養女先を気にしていらしたわけですか」

 なるほどね、と今納得したということは、横で聞いていたその時点では、何故そういう話になったのかわかっていなかったのだろう。意外と察しの悪い志之助である。武家の生まれではないのだから、当然と言えば当然だが。

「それで、結局どうされることになったのです?」

「うむ。上様のご紹介どおり、高遠様にお願いすることになった。受けた借りは早々に返したいとおっしゃられてな、断るに断れなかった」

 将軍自らの紹介である上に、借りを作ってしまった陰陽師の義兄に当たる者が相手では、向こうも断るに断れなかったのだろう。想像するに難くないので、志之助と征士郎は顔を見合わせ、互いに笑いあった。

「それでな、明日、ご挨拶に伺うことになったのだ。おつねの都合は聞いておるのだが、そなたたちにも来てほしい」

 それは、貸しを作った人間として、そして、紹介者として、という意味であるらしい。早くおつねと一緒になりたい兄の希望もあり、先方の都合もあるのだから、こちらが忙しいというだけで嫌とも言えなかった。

 どうだ?と征士郎は志之助に判断を委ねた。大抵の決定事について、征士郎は志之助の判断に任せる。征士郎自身が、自分をそういう立場に立たせているわけだが、それがこの夫婦の円満の鍵でもあって、志之助は判断を委ねられたことに特に違和感も感じていなかった。

「俺は良いと思うよ。せいさんの判断で決めて」

「ならば、引き受けよう。兄上、お引き受けいたします」

 神妙な表情で答えた征士郎に、志之助も合わせて頭を下げた。それを受け、勝太郎は嬉しそうに表情を崩す。その笑顔が、さすが兄弟というべきか、征士郎にそっくりであった。

「ならば、明日の朝、我が屋敷で待ち合わせとしよう。おつねと共に来てくれ」

「わかりました。おつねさん、出るときに声をかけてくださいね」

 お願いします、と頭まで下げられて、おつねはにこりと微笑んで返した。





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