弐の5




 問いただすのは、雷椿だ。

『繋がったとは、どういう了見だ。俺を探していたと言ったな。それに、関係があるのか?』

「えぇ。多摩の森に潜む、大陸の九尾狐。これを退治しないといけません。ただ、私一人の力では危ない、この件で私の血縁に当たる古九尾狐に出会うことになるから、それを頼れ、と託宣を受けました」

 その結論の元となったのは、平将門と荼吉尼天。そして、依頼主は、時の将軍、徳川家斉その人だ。問題となっている九尾狐が潜伏している場所が、この国の中枢に程近い多摩の森であることから、放っておけば、力をつけたその妖異にこの国を滅ぼされてしまうかもしれない、そんな危険を孕んでいる。

 志之助が事細かに説明する、現在の状況を聞いて、雷椿は怒りに身を震わせた。決め手は、狐の大量虐殺だ。何の力も無いただの狐とはいえ、同族であることには変わりない。それを虐殺されたと聞いて、平静でいられるほど雷椿は冷血漢ではなかったのだ。

 一方、話をする志之助と征士郎は、そうして怒りを露にしてくれる雷椿に、顔を見合わせ、表情をほころばせた。この分なら、力を貸してくれるかもしれない。

『腹の立つヤツだな。仲間をそんなにも殺すとは。しかし、ということは、さては大怪我でもしておるのか』

「……大怪我、ですか?」

『うむ。森に住む普通の狐にも、他の動物にはない霊力が通っておる。それを貪れば、それだけ力が蓄えられる。治癒力も増えよう。それを、一時に大量に必要とするならば、おそらくは大怪我でもしておるのじゃ。さては、大陸で抗争に負け、命からがら逃げてきたというところか』

 雷椿の、話を聞いた限りでの推察はそんなところだった。なるほど、狐の大量虐殺の理由が、それで説明できる。しかし、同じ狐の間で殺しあうとは、何と非情な妖異だろう。

『ならば、怪我の治らぬうちに叩かねば』

『いや、おそらく、もうほぼ全快に近い。狐たちの死体が人間どもに見つかっているのが証拠だ。骨皮まで喰らう必要がないということだからな』

 それだけに、厄介だ。そう、憎憎しげに雷椿は言った。雷椿よりはモノを知らないらしい稲荷神も、その言葉に肩を落としてしまう。

 そうは言っても、放って置ける事態ではない。この江戸に社を構える稲荷神だからこそ、困ったように雷椿を見やった。

『手伝うて、やるのであろう?』

『さて、どうしようかな』

 つい先ほど、仲間を殺された恨みとばかりに憤慨していたというのに、雷椿は稲荷神の確かめる言葉にそう嘯いた。そして、そこに居並ぶ人間のうち、志之助をまっすぐに見つめる。

『俺は、人間が嫌いだ。姉上をたぶらかし、どこかへか連れ去ってしまった、あの男だけは、許すわけにはいかない。もう、二十年も前から、行方知れずだ。まったく、人間の分際で俺たち狐族の前から行方をくらますなんて、生意気な』

 だから、手伝うつもりは無い、と言いたいのだろう。志之助がその男本人であるかのように、雷椿は志之助をぎっと睨みつける。

『志之助と申したな。お前、姓は何という』

「私には姓はありません。物心つかないうちに両親を亡くし、気がつけば祇園の芸妓置屋で働いていましたから」

『祇園だと。京の出身か』

 ますます怪しい、と雷椿は一人で憤っている。さすがにその理由もわからず、志之助は困ったように征士郎に視線を向けた。すがるように見つめられて、しかしどうすることも出来ない征士郎も、肩をすくめて返す。

 わけがわからないのは稲荷神も同様であった。雷椿の顔色を伺い、首を傾げる。

『どうしたのじゃ、雷椿。そんな激昂ぶりは、そなたらしくない』

『俺らしくない? そりゃあ、そうだろうさ。姉上をかどわかされた俺の気持ちなど、神のお前にわかるわけが無い』

 一応は友であるのだろう、名を呼び捨てあう仲の稲荷神に、しかし、雷椿はこればかりは突き放すものの言い方をした。むぅ、と稲荷神も機嫌を損ねたように唸る。

『少し落ち着け、雷椿よ。何を怒っておるのか、話して見せねば我らは混乱するだけよ』

『ふん。放っておけ、関係の無いことだ』

 少し、姉に対する執着心の強い男だったのか、心配してみせる稲荷神に、雷椿はぷいとそっぽを向いてしまう。

 その仕草に、何かが触発されたのだろう。稲荷神は、あ、と声を上げた。

『そこな、志之助とやら。誰かに似ておると思うておったが、そうか。そなたの姉上の、茜殿にそっくりじゃ。歳を経てなお少女のようなつぶらな瞳も、きりりと引き締まった口元も。志之助とやら、そなた、茜殿の息子か。よう似ておる』

『似てなどおらん。他人の空似じゃっ』

『ほっほっ。認めたの、雷椿。空似、ということは、似ておるということじゃ。なんじゃ、そんなに拗ねるものではない。そなたの甥御じゃ。可愛がってやればよいものを』

 ほっほっほ、と稲荷神は楽しそうに笑い、からかわれて雷椿はよりいっそう機嫌を損ねる。そして、おもむろに立ち上がると、一人、社を出て行ってしまった。

 逃げるように去っていく友を見送り、稲荷神はやれやれと肩をすくめて首を振った。それから、また志之助に視線を向ける。

『そうか、茜殿はもう、この世におられぬのか。寂しいのぅ』

「いえ、でも、私は別に、母が亡くなるその場に居合わせたわけではありませんから……」

『取り繕わずとも良い。あの茜殿が、可愛い子を一人残していずこかへ去ることはありえぬ。おそらくは、そなたをその身を呈して守り抜いたのじゃろう。そなたは、母に守られた命と思って、その身を大事に生きねばならぬぞ』

 どうやら、話の流れから察するに、稲荷神の言う茜という名の古九尾狐が、志之助の母であるらしい。それも、雷椿の姉であるという。物心ついたときから一人で生きてきた志之助には、降って湧いた身の上話だ。

 これでいて、自分には縁が無かったからこそ、親兄弟と言うものへの憧憬の念を強く持つ志之助だ。兄勝太郎と自分がふざけあっている時にも、羨ましそうにそれを見ている志之助を知っているから、征士郎は志之助が心配でならない。そっと肩を抱き寄せると、志之助は征士郎にしがみついた。

 さて、とはいえ、問題は、力を貸してほしい相手である雷椿に、逃げられてしまったことだ。その雷椿に、心もとないと言われてしまった志之助が、一人でこの問題に立ち向かえるのか。はなはだ疑問である。

『ふむ。我も手伝うてやりたいが、この場から離れるわけにもいかぬ。あれでは、雷椿も余程でない限りは手伝うてはくれぬじゃろう。といって、我もこの地の守り神じゃ。放っておくわけにもいかぬ。ましてや、娘がその妖異に狙われておるときた。さて、どうしたものやら』

 うーん、と唸って、稲荷神は腕を組む。何も口を出せない人間たちは、この稲荷神をも困らせる大妖怪が相手と知って、顔を見合わせるくらいしか出来なかった。





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