弐の1




 翌日。午前中、といっても昼近くに、彼らはその家を訪れた。

 場所は四谷。御三家の二つ、尾張徳川家上屋敷と紀伊徳川家上屋敷に挟まれた武士の町だ。

 武家屋敷の建ち並ぶ一角に、この家も住居を構えている。片桐家といい、主人は依頼人甲斐雪輔や、松安の父、高遠善隆の勤める、南町奉行所の与力職についている。

 訪ねてきたのは全部で四人。雪輔と松安、志之助、征士郎である。雪輔は主役であるから当然として、松安の同行は単なる好奇心だ。

 迎えたのは、雪輔の許婚、片桐せんである。質素だがどことなく気品の感じられる、清楚な女性だった。町方の女たちをよく見ている志之助や征士郎から見れば、物足りないくらいの大人しい女性だ。

 知り合いの陰陽師だ、と雪輔に志之助を紹介されて、おせんは深く頭を下げた。

「宜しゅうお願いいたします」

「こちらこそ」

 紹介を受け、志之助もまた頭を下げる。志之助の付き添いで来ている格好の残りの二人は、部屋の隅に待機中だ。

 早速だが、志之助は軽く首を傾げた。何かを感じるらしい。だが、他の人間にはわかりようもなく、志之助もそれについて言及しようとしない。

「二、三、質問してもよろしいですか?」

「はい。何なりと」

 自分の奇行を心から心配してくれている許婚が連れてきた陰陽師だ。隠すことなど何もない。あっさりと彼女は頷く。

「では、まず一つ目。初めて自分がおかしいことに気付いたのはいつ頃ですか?」

「そうですね……。奇行に及ぶと両親が心配をし始めたのは、十七の時です」

「自分自身で、異常に気付いたのは?」

「……七つか八つの頃……。いえ、おかしな行動に出る事では無かったのですが、時折鼻がよく利いたり、耳がよく利いたりしてました」

「……自覚したのがその年代であれば、それ、憑き物ではなく、貴女自身の能力ですね」

 え?

 思ってもいなかった志之助の結論に、居合わせた全員が驚きに目を丸くした。なにしろ、今の今まで、狐憑き、と呼ばれていた現象である。それが、本人の能力と分類されるとは、普通考えまい。

 だが、そう断言した志之助は、口元に握りこぶしを当てて、なにやら考え事中だった。

「質問の二つ目です。今のご両親は、貴女の本当のご両親ですか?」

 つまり、志之助の質問から判断するに、彼女は人間の子ではないかもしれない、という推察があるわけだった。でなければ、出生を問いただすことなどないだろう。普通、武家の子がもらわれ子というのは例が無い。

 だが、志之助の質問に、おせんは恥ずかしそうに首を振る。

「いえ。私は、両親の養女としてこの家にもらわれました。本当の両親はわかりません。家の前に捨てられていたと聞きました」

「質問三つ目。これで最後です。貴女は、奇行と呼ばれる行動をしている時の意識は、保たれているのでしょうか?」

「……わかりません」

 そうですか。納得の色濃く、志之助はおせんの返答に頷いた。そして、正座した両膝に手を乗せ、彼女の方へ身を乗り出す。

「結論から申し上げましょう。貴女からは、けものの匂いがします。といっても、そこらの犬猫と違う、神様の格のあるけものです。おそらくは、狐の神。お稲荷様の子供ではないかと思われます」

「お稲荷様の……?」

 それは、突拍子も無い、にわかには信じがたい結論であった。あまりにも自信たっぷりに断言するからこそ、真っ向から否定することも出来ないのだが、とはいえ、それを認められるはずも無い。

 横でその会話を聞いている雪輔は、未だに志之助を信用していないところもあり、訝しげに眉をひそめた。

「志之助殿。そなた、本気で言っておるのか?」

「えぇ、本気ですよ。ありえない話ではありません。神格に並び称される方であれば、子をなすことは難しいことではない。ただ、そこまでするほど人と恋をされる神様に例が少ないだけのことです。同じように、龍神様の子とか、白蛇様の子とか、伝承がいくらか残っています」

 伝承というものは、だいたい作り話として片付けられてしまうものだが、事例が少ないせいで一般に理解されないだけのことで、事実は事実であったりするのだ。そもそも、それを断言している本人が、人でないものの血を引いているのだから、志之助にはそれを否定する謂れが無い。

「私が、お稲荷様の子供……」

 断言された本人は、人間ではありえないことを実体験しているせいもあってか、逆になんとなく得心がいくようで、呆然と呟いた。えぇ、と志之助は頷き、先を続ける。

「問題は、無意識に奇行に走ってしまうところですが、これは親を探して問いただすより他に、解決のしようが無いでしょう。一時的に押さえ込むことは可能ですが、一生付き合わなければならない問題ですから、根本から解決した方が……」

 と、話の途中で志之助は急に言葉を濁した。口をつぐみ、どうやら外へ注意を向けているらしい。

 奇怪な行動をする志之助に、征士郎もすぐに気づき、意識を周囲に向けた。促されれば、何となく視線を感じなくも無い。

 志之助が黙ってしまったことに、正面に座っているおせんが不安そうな表情を見せた途端だった。

「一つ、前、後! 捕まえてっ」

 志之助が、何かに命じるように叫ぶ。同時に、征士郎は傍らに置いた愛刀を掴み上げ、部屋を飛び出していく。

 征士郎が大きく開けた障子の間から、狭い庭が見える。そこに、征士郎は裸足で降り立ち、刀を抜いていた。刀の先には、三匹の烏天狗に押さえ込まれた、狐顔の人間の姿があり、切っ先がその喉元に迫っている。

 征士郎が出て行ったことで、現場は彼に任せているのか、志之助はゆっくりと立ち上がって、そちらへ出て行った。後を、他の三人が追う。





[ 67/253 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -