壱の8




 必要な話は終わった後も、結局また家斉のお喋りに付き合わされていた志之助と征士郎であったが、途中で客人が入り、ようやく開放された。

 時刻は申の刻、南蛮渡来の時計が指し示す時刻で午後四時頃である。

 住まいである神田明神下まで戻ってきた二人だったが、店には戻らず、そのまま裏の神社に足を向けた。今日二度目の訪問になる、神田明神、将門の元だ。

 どうやら、志之助の決心が固まったらしい。

 神社の鳥居をくぐって行く志之助を追って、その真剣な表情に、征士郎はそう判断した。特に、何か相談を受けたわけでもなければ、結論を聞いたわけでもないが、これでももう三年目に入っている相棒である。聞かなくてもそのくらいはわかるというものだ。

 鳥居をくぐったは良いものの、まだぐらついているのか、志之助はそこに立ち止まってしまった。

「ねぇ、せいさん」

 背中を向けたまま、一歩後ろの征士郎に話しかける。それは、本当は言いたくない、でも言わないといけない、そんな複雑なお願いをするときに志之助が取る行動だ。こんな生活をしているので、時々は命をかけることもあるのだが、そういう時は大抵、こんな態度を取る。

 とはいえ、志之助と夫婦になろうと決めた時から今まででは、今回が初めてだ。

「どうした?」

「俺が、荼吉尼天に乗っ取られてしまったら、俺を殺してくれる?」

「……まだ荼吉尼天を信用していないのか」

「だって、鬼神だよ? 今までだって、いつ乗っ取られるかって恐かったし。せいさんは信じてるかもしれないけど、俺は無理」

 自信たっぷりにそう断言して、くるり、と志之助が振り返る。背後の征士郎を見上げるその視線は、思いのほか真剣だ。

 真剣だから、征士郎はからかう表情を改める。

「わかった。その時は、殺してやるよ。だが、そうなった場合は、俺もすぐに追いかけて良いな?」

「えっ? ダメだよ、せいさん。ちゃんと寿命を全うしなくちゃ」

「俺に、しのさんのいないこの世に残れ、と?」

 だって、と言いかけ、しかし、続きが出てこない。代わりに、ふくれて見せた。

「せいさん、ずるい」

「じゃあ、わけのわからないことを言うなよ。大丈夫。しのさんがしのさんでなくなるなら、俺がけりをつけてやる。心配するな」

「……うん」

 頭を抱き寄せられ、抱き寄せた手で肩を叩かれ、志之助はその恋人の肩に頭を預けた。さらりとした長い髪が、征士郎の腕に絡まる。柔らかい手触りで、征士郎の手がそれを絡め取ってじゃれて、通り過ぎた。

「そら、行くぞ」

 ぽん、と背を叩かれ、勇気付けられて、志之助は顔を上げた。征士郎の相変わらずの無精ひげ面を見上げ、くすっと笑う。

「近くから見てもイイオトコ」

「……バカ」

 それは惚れた欲目だろう、と知人は口をそろえて言いそうなセリフを囁き、逃げるように離れて行く。後に残された征士郎は、しばらく呆けていたが、それから、軽く肩をすくめて、ゆっくりと志之助を追いかけた。

 この神社は、御祭神の恐ろしさにも関わらず、意外と境内が狭い。社殿こそ、優美に朱で塗られて豪華絢爛だが、だからこそ余計狭く感じる境内である。

 したがって、社務所の近くから周囲を見渡せば、境内の全てが見渡せてしまう。

 そうして、ふと境内を見回した志之助は、突然その場で立ち止まった。あまりにも突然で、比べれば自分より一回り小さな志之助にぶつかりかけ、征士郎も立ち止まる。

「どうした?」

「ん。あれ、松安先生じゃない?」

 言いながら、ちょうど境内を横切った向こう側を指し示す。まさか、と答えながらも、志之助が示す指の先を追いかけ、征士郎も目を見張った。

 それは、ここからはちょうど江戸城を挟んで向こう側に位置する、赤坂に住んでいるはずの人の名である。祭りがあるわけでもないこんな普通の日の夕暮れ時に、見かけるはずの人ではない。

 しかし、確かにその姿は、志之助の言うとおり、片瀬松安のものであった。

「声をかけてみるか」

「せいさんに任せるよ。俺は、将門様と予定通りお話してる」

「……しのさん。もしかして、俺を避けているのか?」

「うん」

 誤魔化していいところをあっさり頷いて、志之助はその返事とは裏腹ににっこり笑った。そして、征士郎の腕を取る。

「冗談だよ。そばにいてくれるでしょ?」

「そのつもりだ。しのさんが嫌がってもな」

 それは、強引なのか、押し付けがましいのか、過保護なのか、微妙に判断しにくい返答である。受けて、くっくっと志之助は他人事のように笑った。

 将門は、午前中と同じように社殿の裏手で、縁側に腰を下ろして二人を待っていた。来ることがわかっていたかのように、霊視力のない征士郎にも見えるように自らを実体化している。いつもなら、訪ねて来る時だけは志之助の力を借りなければ見えない姿が見えているのだから、ここに来ることは承知していて待ち構えていたのだろう。

「お待たせしましたか」

『なに。わしには他にすることもない。気にせずとも良い。それより、覚悟は決まったのだな? 志之助』

 午前中にしていた話から考えれば、その判断は決して間違いではない。将門の目は戦に出るときのごとく真剣で、征士郎も気を引き締めさせられる。

「はい」

『よろしい。では、始めよう』

 段取りなど特に必要もなく、事前の打ち合わせなら午前中の話で全て済んでいる。

 志之助は、将門に導かれるまま、将門が座っていたその場所に腰を下ろした。足を結跏趺坐に組み、ゆるく目を閉じる。両の手は、胸の前で不思議な形に組まれた。片手を軽く握り、もう片方の手をその上にかざす。荼吉尼天の印だ。

 そうして、ふと志之助は顔を上げた。

「せいさん。力、貸して」

 もう自分の助力は必要ないのか、と少し落胆していた征士郎は、そんな当然のようにされたお願いに、嬉しそうに頷いた。ひらりと腰ほどに高い縁側に飛び乗り、志之助の背中に抱きつくように座る。そうして志之助を抱き寄せれば、夫婦だからこそここまでできる密着度で寄り添った。

 もう一度、志之助は軽く目を閉じる。

 将門の目に、志之助と征士郎の相乗効果で増幅された力が、陽炎のように沸き立つ様がはっきりと見える。

 しばらくじっとしていると、志之助の表情がゆっくりと変わっていった。パッチリした目が、細長い狐目に変わる。

『わらわを呼ぶは久方ぶりじゃのう。……ほう。将門、そなたが今宵の聞き役か』

 志之助の声で、だが、どう聞いても、高貴な身分の女性の言い回しだ。

 それは、志之助の身体を借りて現世に光臨した、荼吉尼天の言葉であった。初めてでないおかげか、神降ろしに成功したことがはっきりと確認できる。

 普段であれば、神である自覚がある将門が、へりくだった言い回しなどするはずもない。だが、この相手だけは別だった。

『お呼びたてを致しまして、申し訳ございませぬ。お尋ねしたき事がございます』

『志之助の、出生について、であろう? この子の意識を読めばそのくらいはわかろうものじゃ。なれど、わらわもこの子の両親は知らぬのじゃ。古九尾狐の血を引いておることは疑いようもない。それは、母親の血筋じゃ。わらわにわかることは、ここまでよ。役に立てず済まないことじゃ』

 それは、一歩踏み込んでみれば、荼吉尼天が志之助を見つけたときには、志之助はすでに両親と死に別れていたことを意味している。志之助の身体に抱きついたままの征士郎は、その返事に落胆して肩を落とした。

 そうして身動きをした征士郎に、どうやらそこでようやく気付いたらしい荼吉尼天は、軽く背後を振り返り、小さく微笑んで見せる。

『代わりといっては足りぬやも知れぬが、一つ予言を与えよう』

「予言、ですか?」

『そうじゃ、征士郎。志之助に伝えよ、そなたたちに共通の友人が、今日、厄介ごとを持ち込んでくる。これをまず解決してやると良い。さすれば、志之助に血の繋がる者と顔を合わせることが出来よう』

 後は、そなたたちがそれに気付けるかどうかじゃ。それが、予言の全てだった。荼吉尼天は、それだけ言ってしまうと、まるで逃げるように志之助の中から離れて行ってしまい、志之助の身体が征士郎にそっくり預けられる。力の抜けた志之助の身体を支えて、征士郎は将門と顔を見合わせた。

 何にせよ、それは将門よりも格の高い、仏の言う予言である。まずは信じてみるしかないだろう。が、良くわからない予言だ。共通の友人や今日という日にちによって、ある程度は絞り込みも出来るだろうが、出会う相手のどの人物がそうなのか、判断のしようもない。

 すっかり気を失ってしまっている志之助を抱いて、征士郎は現状の先行きの不透明さに、思わず深いため息をついた。





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