壱の6




 それは、昨日の昼間のことだ。

 後の世で寛政の改革と呼ばれる一大改革中のこのご時世に、どこぞの大名の企画で、多摩丘陵へ鷹狩に出かけた。おそらくは、次の人事への根回しだろう。ちなみに、政治的理由により企画は実行されたものの、家斉も松平ももちろん乗り気ではない。

 そんな不貞腐れた道行きが、突如現れた三人の農民によって、ありがたくも中断された。ありがたい反面、困った事態ではあるのだが。

 三人の農民が訴えることによると、将軍直轄地である鷹狩場で、最近狐の大量死が目撃されているのだという。そのあたりは、稲荷神の神域に当たっており、もしや祟りではないかと付近住民の恐怖を煽っていた。

 そこへ、立派な格好とものすごい隊列を組んだ一行が現れたので、止めに入ったらしいのだ。

「以上です」

「というわけなのだ」

 一通り説明させておいて、家斉は自分が話したことのように締めた。一瞬、ぴくりと眉が反応した松平だったが、堪えるように頭を下げて一歩下がる。

「どう思う? 志之助」

「まずは、賢明なご判断をお喜び申し上げます。行かなくて正解です。しばらく立ち入り禁止にしてください」

 家斉の判断を誉めてやって、言葉の流れでさらにお願いを付け足す。付近一帯を立ち入り禁止にすること。すぐに対処できない今、人間ができる最大の自衛手段だ。了解を示して家斉は頷き、しかし、とんでもないことを問いかけてくる。

「近いうちにそなたを連れてもう一度行こうと思うが、どうじゃ?」

「……今度ばかりは、どうかお控えください。できれば、せいさんすら連れて行きたくない。ましてや、上様や他の御付きの人たちを守れる自信はありません」

 夫を連れて行きたくない、そう言った志之助に、その場にいた全員が敏感に反応した。

 常に一緒にいる大事な人を危険に晒したくない、それが志之助の言葉の真意だ。つまり、それだけ危険だということ。その反応は、松平ですら例外ではなかった。男同士、しかも町人と武士の恋愛である。松平は、生理的嫌悪も伴ってまったく認めてはいなかった。だが、そうは言ってもこの二人が夫婦であることは事実だ。それだけに、説得力はこの上ない。

 そうか、と家斉が素直に引き下がったのも、その説得力のおかげだった。

「しかし、征士郎はそばに置くよう、余から命じるぞ」

「……上様から面と向かっておっしゃられたのは、初めてですね」

「そなたたちはこの上なく似合いの夫婦じゃ。傍で見ておる者として、別れて欲しゅうない」

 まるでからかう口調でそう言って、家斉は持っていた扇子で口元を覆った。ほっほっと笑う声に、思わず隣の征士郎が真っ赤になって俯く。さすがに、面と向かってからかわれると恥ずかしいのだろう。

 志之助もまた、やぁだもう、と志之助らしい反応をしていた。今日、始終真面目な顔をしていただけに、なんだか本領発揮でほっとする感じだ。

「して、なにやらすでに動き出しておるようだが、どうなっておるのじゃ?」

 自分が話した内容だけでは判断でき無そうなことまで断言する志之助に、そう感じたのだろう。家斉は興味津々の態で身を乗り出した。

「まだ、何とも申し上げられませんが。どうも、異国の妖異が関係しているようです」

「それに、志之助でも対抗できない、と?」

「どうして良いのか、判断しかねる、と申しましょうか。敵の正体が掴めないだけに、暗中模索の状態ですので」

 そうか、と家斉はまた頷き、軽い溜息をついた。

「そんな厄介なものを、懐に抱え込むことになろうとはの。我ら凡人には手の出せない事だ。気を引き締めて事に当たってくれ。余は、そなたを失いとうは無い」

「ありがたいお言葉、感激至極にございます」

 志之助のできる限りの言葉を尽くした礼に、家斉は軽く頷き、優しい目で見守る。それから、征士郎に目を向けた。

「征士郎。そなたにも頼むぞ。くれぐれも、そなたたち二人に大事無いよう。われらに出来ることがあれば、何なりと申すが良い」

「ははっ」

 ありがたい言葉に、征士郎は額を畳にこすり付けるほどに頭を下げた。





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