壱の5




 正午。

 二人は江戸城にいた。

 庭を、勝太郎の先導で進む。信じられないくらいの広い城である。街中のごみごみした感じを、旗本屋敷だというのにあれだけ狭い屋敷を、知っているからこそ、余計思う。

 育ちが卑賤の身である二人にとって、居心地の悪いことこの上ない。目の前にいる勝太郎の度胸が、すごいなぁ、と思う瞬間だ。こんなところで、ここまでのし上がったのだから。

 延々と玉砂利を敷かれたその道のりを、三人は黙々と歩いて行く。

 ふと、勝太郎が後ろの二人を見やった。

「将門様のご見解は、いかがなものであったのだ?」

 昨夜の話で、午前中に明神参りの予定を聞いていたので、勝太郎は特に前置きもなく、尋ねてくる。それに、普段は率先して答えるはずの志之助の返事がなく、勝太郎は立ち止まってしまった。

「志之助殿?」

「……え? はい、えっと。何でしたっけ?」

 勝太郎が立ち止まるのに従って立ち止まって、志之助は自分の顔を覗き込まれてはじめて、我に返ったらしい。まったく聞いていなかったのがわかる呆けた表情で問い返す。その反応が、心配になった勝太郎は、隣にいる自分の弟に視線を向けた。

「征士郎。どうしたというのだ? 志之助殿は」

「いえ。何でもありませんよ。たまにあることです。お気遣い無く。しのさんも、考え事をしながら歩くと足元が危ないぞ」

 ということは、征士郎はこの志之助らしくない志之助を、まったく心配していないらしい。注意されて頷く志之助も、頷く割に改めた様子も無く、また物思いに耽ってしまう。

 状況がわからない勝太郎だけが、不安そうに首を傾げた。とにかく、待ち人がいるので、また歩き出す。

 数歩進んで、征士郎の方から、勝太郎の質問に反応を示した。

「ちょっと厄介なことになっているようです」

 そんな始め方で、勝太郎の気持ちに心構えを付けさせて、征士郎が将門から聞いた現状を説明し始める。多摩の山に、大陸からやってきた強力な妖怪が巣食っているらしい、と。

 話を聞いて、勝太郎は絶句した。

 当然の反応だろう。まさか、こんな国の中枢に近い場所に、鎖国中のこの国に、異国の妖異が現れたとは。にわかには信じがたい話である。

「それで、退治する勝算はあるのか?」

「そこが、難しいところで。しのさん次第、と言うよりありません」

「志之助殿次第……?」

 それはまた、何とも曖昧な答えだ。もちろん、自慢の弟が選んだ伴侶である志之助を、勝太郎もほぼ無条件に信頼しているのだが。

 いつの間にか、一行は彼らを呼び出した相手である将軍の待つ奥の間へ、辿り着いていた。全員揃って、そこに膝を着く。

「上様。中村でございます」

『おぉ、来たか。待ちくたびれたぞ』

 それは、とてもこの国を支配している最高権力者であるとは思えない、嬉しそうな声である。

 目の前の襖をゆっくり開くと、脇息にもたれた楽な格好で、満面の笑みを浮かべる歳若い青年の姿がそこにはあった。豪華そうな羽織袴に身を包み、一段上げられた台の上に、ゆったりと座っている。

 形式どおりに頭を下げる彼らに、将軍は親しげに声をかけてきた。

「礼など良い。もっと近う寄れ。中村、そなたもじゃ」

 一礼して部屋を出て行きかけた勝太郎に、将軍はそう呼び止めて、扇子を持つ手でちょいちょいと手招きをする。

 いつも通り、将軍のそばに控えている、老中の松平定信だけが、困ったように眉をひそめていた。

 彼ら三人が、そこらの大名であっても寄れないような近い位置に並んで腰を下ろすと、将軍家斉までも、自らおもむろに立ち上がると、座布団と脇息を手に、台を降りて来る。もう少しにじり寄れば膝が当たるほど近くに、それらを降ろして座った。

「来てもろうたのは他でもない。中村から少しは聞いておると思うが?」

「はい。狐の祟りですね?」

 話を振られて、志之助ははっきりと頷いて確認の声を上げた。謁見中も上の空であったら、と少しは心配していた中村兄弟が、ほっと胸をなでおろす。

 そうだ、と家斉は真面目な顔で頷いた。そして、自分が動いたことで背後に控える位置関係になった松平を振り返った。

「老中」

「は」

 呼ばれ、松平も近くににじり寄る。そして、しっかり背筋を伸ばし、自分から見た一部始終を語った。





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