壱の4




 神田明神。

 新皇を自称し、独立国家を作ろうとして野望半ばに果てた、平安時代の関東の猛将である、平将門を祭神として祀った神社だ。元は別の、縁結びの神様を祭っていた神社で、合祀されているわけなのだが、祟りの恐ろしさと畏怖の念から、神田明神といえば将門様、と考えられている。ちなみに、将門様の首塚はお城の程近いところにあって、付近の住人から毎日お供え物を受けているのだという。

 そんなに恐がられている、日本二大怨霊の片割れは、その時、自分を祀る神社の縁側に腰を下ろし、何とも穏やかな表情で目の前に並ぶ二人の青年を見ていた。

 一方は、長い髪を首筋辺りで結わえている以外、取り立てて表現するところもない商人風の男。一方は長い刀を一本腰に差している、ざんばら髪の浪人。

 ちなみに、後ろから見た表現である。

 その顔は、女性にも見紛うばかりの美貌と、やけに無精ひげが似合っている熊のような男の顔だ。

 この神田明神の膝元に居を構える、中村家の夫婦である。

 こちら側は社殿の裏手に当たるので、参拝する人々も姿が見えない。志之助は、そんな日の当たりにくい場所で、真面目な顔を将門に向けていた。

「そういうわけなんですが、どう思われます?」

 それは、昨夜勝太郎に聞かされた、狐の祟りの話である。話を聞いて、将門は、ふむ、と短く応えると、腕を組んだ。

『多摩か。ふむ』

「将門様には、何も?」

『何度も言うが、わしに見えるのはせいぜい江戸市中程度。多摩ではちと、目が届きにくい』

 とはいえ、見えないわけでもないらしい。そう言って、将門は目を閉じた。

 何しろ、本当に家の裏に当たる神社に将門はいるわけで、最近は十日に一回は顔を出している。そうしないと将門が拗ねるという事もあるのだが、そのくらいの頻度でいろいろと問題が発生しているわけだ。志之助が自分で探っても構わないのだが、将門に聞いてしまった方が早いし、それを彼が喜んでくれるのだから、それで良いのだろう。

 少し目を閉じて、多摩の方へ意識をやっていたらしい将門は、ふと、眉根を寄せた。再び志之助を見やり、困った表情だ。

『志之助。そなた、自らの素性は知っておろうな?』

「九尾狐の子と聞いております。自覚はありませんが」

『うむ。……此度は、そなたにも辛いことになるやも知れぬ。征士郎、よく支えてやれよ』

「……狐、なのですか?」

『巨大な妖異の気配がある。おそらくは、唐国の』

 聞いて、志之助と征士郎は顔を見合わせた。

 この時代、大陸には明国が権勢を振るっていた。唐国といえば、さらにずっと大昔の、大陸を治めていた国の名であり、将門が生きていた時代の、大陸の呼び名である。

 その広い陸地に住まう妖異といえば、その力はこの狭い国とは比べ物にならない。

『志之助。そなたの血が、おそらくは全ての鍵じゃ。心してかかれ。それと、出来得るなら、そなたに血の繋がる者を探したが良かろう。半分は妖異の血を引いているとはいえ、そなたは人であることに変わりない。さすがのわしも、今度ばかりはそなたの身が心配じゃ』

「でも、やめておけ、とは言わないんですね」

『言うたところで、無駄じゃろう? そなたのことじゃ。面白がって首を突っ込むに決まっておる。それに、そなたが狐の血を引く以上、向こうから探し当ててくる恐れもある。なれば、こちらから先に主導権を握っておくべきじゃろうて』

 つまり、先制攻撃をこちらから仕掛けるべきだ、というのが、将門の見解であるらしい。

 征士郎は、志之助が真面目な表情で頷くのを横に、気を引き締めた。愛する伴侶の身を守るのが、自らの務めと思っている征士郎だ。将門ほどの大怨霊が心配してくれる事態なのだから、志之助以上に、心してかからなければならないのだ。

 二人が、来た時よりも真剣な表情を見せたことに、少しは安堵したのだろう。いつもの穏やかな目を向けて、将門はそこに座りなおす。

『わしには、事のからくりまでは見えなんだが、どうやら多摩の山で、狐の大量死が起こっておるらしい。それは、これからそなたも、今の国主に聞くことになることだ。今、人の身においてわかっていることはそれだけだ。あの森の中で何が起こっておるのか、わしにも見えん。ただ、敵はおそらく、狐の妖異。それも、そなたの血にとても近い』

「九尾狐……」

『おそらく、じゃ。姿までは見えぬ。森を包む気配に、そう感じる』

「では、森のどの辺りに潜伏しているかも……?」

『わからぬ。だから、気をつけろ、志之助よ。藪を突付く前に、自らの身辺を固めることじゃ』

 今のままでは、裸で激戦地に突入するようなもの。まずは鎧を、そして武器を、揃えなければならない。

 それは、歴戦の猛将ならではの助言であり、志之助は極めて慎重に頷いた。

「でも、私は父も母も知りません。どうやって血の繋がる相手を探したら良いのか、糸口も掴めない……」

『荼吉尼天に聞いてみると良い。もしや、知っておられるかも知れん。そなたを幼少の頃から守ってくださっていた仏様であろう?』

 荼吉尼天に? そう、鸚鵡返しに聞き返し、志之助は征士郎と顔を見合わせる。

 先に、そうだな、と頷いたのは、征士郎の方だった。志之助は、何故か渋い表情だ。

「嫌なのか?」

「あのね、せいさん。俺、荼吉尼天に会ったことないのよ?」

「仕方がないだろう? お前が、巫なんだから。大丈夫、気に入られているさ。会ったことのある俺が、保証する」

 保証されてもなぁ。そう、志之助はぼやいた。乗り気でない、どころか、嫌がっているように見える。

 それもそうかもしれない。

 何しろ、生まれながらの強力な霊媒で、無意識の内に仏様をその身に降ろすこともある、厄介な体質の志之助である。征士郎と共に行動するようになる前は、半年とあけずに、この荼吉尼天という仏に身体を乗っ取られていたのだ。それが、ここ二年ほど、ぱたりと途絶えている。出来ることなら、このまま縁を切りたいところなのだ。

 何しろ、その荼吉尼天という仏は、人の死期を事前に予見し、その魂を食らうとされる、女の鬼神である。その後、大日如来によって降伏され、改心して仏となったが、その性情は簡単に治るものではなく、今でも夜叉神に分類されている。

 そんな恐い仏様である。敵に回したくはないが、お友達にもなりたくない、恐ろしい存在だ。志之助が嫌がるのも、当然のことであろう。

 もっとも、当の荼吉尼天が征士郎に漏らした話によると、強力な霊媒体質の志之助を不憫に思い、志之助でも対抗できない強力な怨霊にその身体を乗っ取られかけているのを、毎度助けてくれていたそうなのだが。それも、狐を眷族とする荼吉尼天であるだけに、狐の血を引く志之助が他人と思えなかった、というのが理由なのだ。

 おかげで、そんな事情を、自らが霊媒となるせいで聞くことが出来ない志之助であるから、本人は出来れば御免被りたいと思っているし、荼吉尼天はそれをわかっていて、だが、放っては置けないのだ。

 こればっかりは傍観者の立場である征士郎から見れば、そのすれ違いようはなんとも可笑しな話だった。もう少し双方が歩み寄れば、これ以上ない心強い存在であるのに。

 まぁ、子供の頃から恐がってきたのだから、今更無理かもしれない。

『少し考えてみると良い。他に方法があれば、それでも構うまい。荼吉尼天とて、知っておられるかどうかは、聞いて見ねばわからぬ。お伺いを立てるならば、夜にでもわしの元へおいで。そなたに代わって、お伺いしてみよう』

「俺がお伺いしても良いのだが?」

『ほほっ。征士郎では、荼吉尼天にからかわれるのがオチじゃて。それに、わしに、荼吉尼天様へお礼を言わせてもらえんかのぅ? こうして、いまだにこの江戸を見守っておられるのも、志之助と荼吉尼天様のおかげじゃ』

 まだあの時の礼を言っていない、と将門は訴える。意外と律儀なところがある将門である。

 言われて、志之助は困ったように頬を掻いた。

「わかりました。少し、考えてみます」

 そうしてくれ、と請われて、志之助は軽く頭を下げる。征士郎は将門と顔を見合わせ、肩をすくめた。





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