参の9
それからさらに、五日後。
小塚原刑場で、世間を騒がせた吸血鬼の親娘が、火焙りの刑に処せられた。その日の見物人は、一体どこから漏れたのか、公表していなかったにもかかわらず、黒山の人だかりであったという。
その日、志之助と征士郎は、夕方になってようやく『中村屋』の店先に現れた。店番をしていた加助が迎えに出る。通勤着になっている羽織袴姿の勝太郎も一緒だった。
結果の報告をしに、将軍家斉に会いに行った帰りだった。いつまでたっても開放してもらえず、勝太郎に助け舟を出してもらって辞してきたところであった。気に入られるのはありがたい話だが、世間話が長いのが玉に瑕だ。
助けてもらったのはありがたいのだが、何もここまでついて来なくても良いのに。そう征士郎が言うので、志之助はその脇を突付いた。長屋通りを堂々と歩く勝太郎の後ろに従って、彼に聞こえないように志之助が征士郎に耳打ちすると、征士郎も納得したように二度頷いた。
「お帰りなせぇませ。遅かったですね」
「上様になかなか帰らせていただけなくて。何かありましたか?」
答えながら、加助を促して店に入っていく。そこには、今日の仕事を終えて帰ってきたところだったらしいおつねがいて、袖まくりをしているところだった。また、今日も夕飯を作ってくれるらしい。足元の籠には、まだ土がついたままのほうれん草の束が入っている。
「あら、お帰りなさ……」
志之助の姿を目に留めて、威勢良く迎えたおつねは、その背後にいる人物に視線がいったとたんに、言葉を切った。それから、耳まで真っ赤になって、台所へ逃げていく。
そんなおつねの行動に、志之助はたまらず笑い出した。加助は不思議そうにそこに立ち尽くし、その後ろで勝太郎が肩を落とす。
「嫌われただろうか……」
あまりにも力のない呟きで、征士郎も思わず笑った。そして、兄の背を軽く押す。
「おつねさん、兄上があげたかんざしをしてましたよ、さっき。なぁ、しのさん」
「なに。まことか」
志之助が答えるよりも先に、勝太郎が勢いよく顔を上げ、おつねを追って台所へ走っていった。見送って、志之助は反対に征士郎の方へ戻っていく。
「よくあんな一瞬で見分けたね」
「いや。見ていないが。最近は毎日そうだったから、今日もそうだろうと思った。違ったか?」
「ん。合ってる」
嬉しそうに笑って、そう答えた。それから、台所の方を振り返る。
「いいの? 応援しても」
それは、亡き義理の姉に遠慮しなくて良いのか、ということだ。その質問を正確に受け取って、征士郎は肩をすくめる。
「構うまい。本人が良いのであれば、それが良いのだ。それに、おつねさんにも幸せになって欲しいからな」
「そうだね」
答えて頷いて、抱き寄せられるのにそのまま寄り添い、その胸に頭を押し付ける。甘える志之助の肩を、征士郎はしばらくの間抱き寄せていたが、それから、ぽん、と叩いた。
「さぁ、店仕舞いをしよう。加助さん、手伝ってくれ」
最近では、征士郎も店の手伝いをするせいか、店の開け閉めや客あしらいや勘定も板についてきた。先に立って、のれんをしまいに通りへ出て行く。加助は今日の売り上げの勘定を始め、志之助も遅れて、雨戸を引っ張り出した。
あと一枚の雨戸をはめ込めば終わり、といったところまで片付いたとき、台所の方から声がした。
「良いのか? 本当に、良いのだなっ!?」
雨戸を持ち上げていた志之助が、隣で手伝う征士郎と顔を見合わせる。加助は、銭を数える手を止めて、台所を振り返った。そこへ、勝太郎が再び姿を見せる。表情は喜びで満たされ、身体は打ち震えている。
「征士郎っ。新しい義姉上が出来るぞっ」
ガコン。勝太郎の叫びと共に、志之助が雨戸をそこにはめ込む。征士郎は征士郎で、手を貸すのを忘れて兄を見上げた。勝太郎が両の手を握り締めて、あふれ出る喜びを堪えている。
きょとん、と目を丸くした志之助は、しばらくたって、肩をすくめた。
「すごい、急展開だねぇ」
「兄上も、意外とやるものだ」
こそっと志之助にそう耳打ちして返し、征士郎は兄のもとへと歩いていく。にやり、といった笑みを浮かべている。それを数歩遅れて追いかけて、志之助もまた、自分のことのように嬉しそうに、笑った。
台所では、耳まで真っ赤になったおつねが、なんでもないように装って、ほうれん草を洗っていた。
おわり
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