参の8
中年男性の鋭い声が、宵闇の街に響く。
「捕らえろっ」
途端に、四方八方から御用提灯とハッピ姿の男たちが飛び出してきて、志之助もろともそこに圧し掛かってきた。
志之助が役人の一団に飲み込まれて、征士郎は慌ててそこへ飛び出した。おみつと松安も一緒だ。
しばらくして、ネズミ一匹出てこられなさそうなその人だかりの中から、志之助が四つんばいになって這い出してきた。征士郎に助け起こされて、パタパタと土埃を叩く。
「無事か?」
「意外とあっさり。この呪符が役に立ったよ」
いや、それよりは、この一団に押しつぶされたことの方が心配だったのだが。志之助がそんな軽口で答えたのに、征士郎はほっと息を吐き出した。
志之助が首筋に手を当てて、自分の首を守ったその呪符を剥ぎ取る。そこには、くっきりと、牙の歯形が残されていた。破れていないということは、志之助の首は確実に無事だ。
やがて、役人たちが少しずつ離れていく。その中央に、荒縄でぐるぐる巻きにされた、その女が座らされていた。荒縄の先を握るのは、同心か与力かの男だ。自分の手柄であるように、満足そうに笑っている。
女は、実に悔しそうに唇を噛み締めた。
「あたしを捕まえたって、もう手遅れさ。いずれこの日の本は吸血鬼の国になるんだ。逃れられやしないよ。せいぜい残りの人生を楽しむんだね。あはははは」
憎まれ口にしては物騒極まりない捨て台詞を吐いて、彼女は高らかに笑う。聞いて、志之助は征士郎と顔を見合わせ、松安に視線を向けた。松安のそばには、おりんも戻ってきていて、これまた松安を見つめている。松安は、三つの視線を受け、慎重に頷いた。
「おみつさん。この化け物を殺す方法は、すべての血を吸い出すほかには何かないのか?」
聞かれて、おみつは松安を見上げた。軽く首を傾げた状態で考え込む。そして、答えが出た。
「あります。跡形もないくらい焼いてやることです。骨と灰になるまで」
「それならば、おみつさんでなくとも可能だな。よし、父上に言ってこよう。志之助殿。天狗教の場所は確か?」
「小田原です。久野の村ですって」
風魔の長老に言われた答えを、そのように返す。返して、ふと、上を見上げた。ゆっくりと、烏天狗たちが降りてくる。志之助が見上げたのに従って、周りにいた全員がそれを見上げた。
降りてきた烏天狗たちは、幾分急いだ調子で志之助の周りに集まった。代表の五匹、一つ、前、後、右翼、左翼が、志之助の目の前に横一線に並んだ。子供身長の彼らは、何かを訴えるように志之助を見上げている。
訴えを聞いて、志之助は松安に視線を向けた。
「この子達が、後始末をさせてくれって言っています。天狗教の元は自分たちみたいだから、って」
それに、と言葉を続け、しかし志之助は言いにくそうに口をつぐんだ。ちらり、と征士郎を見やる。その視線に、気づいた征士郎は肩をすくめた。
「何も身を守る術を持たない連中を送り込んだところで、すでに動けるようになっている吸血鬼がいたら、犠牲者をみすみす増やすことになるだけですよ」
「む。それもそうだな。それに、小田原は奉行の管轄外か」
ふむ、と腕を組み、松安はそれから、バツが悪そうに頭を掻いた。
「うっかりしていた。では、頼めるか?」
答えを受けて、天狗たちは志之助の命令を待たずに顔を見合わせた。端の方から順に、宙へ飛び上がっていく。その統率された行動は、まるで一つの生き物のようだ。代表の五匹を残してすべてが飛び上がり、宙に円を描いて待機する。五匹は命令を待つように、じっと志之助を見上げた。志之助も、微笑を浮かべて頷いてみせる。
「鬼と化した人間だけを狙うんだよ。鳳佳、一緒に行って手伝ってやって」
呼ばれて、五匹の天狗たちの後ろに、金の鳳凰が姿を現した。頷いて、大きく翼を広げ、飛び上がる。夜闇に溶けそうな烏天狗たちの中にあって、その金の身体が神々しく輝く。
「ちゃんと帰ってきてね。行ってらっしゃい」
志之助自身は行かないらしい。そう悟って、残っていた天狗たちも次々と飛び上がる。最後に、一つが何かを言って、翼を広げた。全員揃ったところで、彼らは一斉にその姿を消す。元々闇色な彼らは、飛び去っていったのか、消えてしまったのか、判断がつかなかった。
消えた姿を見送って、さすがに五十八匹の烏天狗が集まった様は圧巻で、しばらく動けない松安やおりん、おみつはそのままに、征士郎が志之助の肩を叩く。
「一つが、最後に何か言っていなかったか?」
「あ、気づいてた? 何だ、恥ずかしいから教えないでおこうと思ったのに」
くす、と本当に恥ずかしそうに笑って、志之助は征士郎に甘えるように寄りかかる。そして、征士郎にだけ聞こえるように、囁いた。
「『我らが帰るべき場所は志之助の元のみだ。他にどこへ帰るというのだ』だってさ」
「それは、あの天狗たちとしては最高の賛辞だな」
元々、悪戯が過ぎて、仕えていた神仏に修行して来いと放り出され、箱根で暴れまわっていた天狗たちだ。その彼らに、帰る場所として認識されている。主人と認め、仕えていた神仏と同様に敬い従ってくれている。主人としては、この上ない名誉なことだった。
良かったな、と言って、征士郎が志之助の頭を幼い子供にするように撫でる。それは、普通大人の男にしたら侮辱に値するはずなのに、志之助は実に嬉しそうに、無邪気に笑った。
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