参の6




 志之助はその時、湯島天神の神社境内にいた。周りに天狗たちをはべらせて、何か指示を与えているところだったらしい。

 降りてきた自分の式神を見上げ、志之助は軽く首を傾げた。戻ってくるのは征士郎だけだったはずなのだが、乗っているのは四人だ。

 地面にその腹をつけて、蛟はそのまま地面の中へ沈んでいった。そうすることで、人々を地面に降ろす。男たちやおりんならともかく、おみつまで一緒に連れていたのだ。彼女に、蛟の頭から降りるというちょっと恐い芸当をさせるわけにはいかない。

 つまり、奉行所へ向かった蛟は、その後深川まで足を伸ばし、おりんとおみつも連れて来たのだ。もちろん、おみつはどうせここまで来なければならない立場なので、ちょうど良い。おりんとて、将軍に命じられた立場であって、捕り物劇に居合わせるべきなのだ。つまり、志之助はどうやらそのあたりをうっかりしていたらしい。

 迎えに行って、志之助は征士郎に、そっと寄り添った。

「ごめん。気づかなかった」

「たまに抜けるからな、しのさんは。そのあたりを補うのが俺の仕事だろう?」

 わしゃわしゃと志之助の髪を掻き混ぜる。さらりとしたその髪はぐしゃぐしゃにされてもすぐに元に戻る。すぐそばにある恋人の頭を、征士郎は自分の胸に抱き寄せた。

「どうだ? 来そうか?」

「どうかな。まだ何とも。可能性はかなり高いけどね」

 うむ、と征士郎が頷いて、松安を振り返った。

「安全な場所に隠れていてください。といっても、このあたりの具体的にどことまでは断言できませんが」

「わかった。父上は俺とおりんに任せろ。必要なところで合図をくれ」

 すでに話はついているらしい。松安はおりんを連れて境内を出て行く。おみつはここに残った。手遅れになった場合に、おみつの協力が必要だ。そうならないようにするのが、志之助と征士郎の仕事だが。

 蛟は、彼らをここに降ろしたことで仕事を終えたらしく、姿を消していた。天狗たちはそこに残って、志之助の命令を待っている。

 後は、相手が現れるのを待つばかりなのだが。

 そう考えて、征士郎は少し眉を寄せる。志之助の匂いが少し違う。いつもは小ぎれいにしていて体臭など感じないほどなのだが、何だか、汗をかいたような臭いがする。それに、格好が家を出てきたときと違っている。色の淡い着流しに羽織を羽織って、何だかそのあたりの大店の若旦那風なのだ。

 そう観察して、眉を寄せたわけである。そんな格好をする理由が、征士郎には一つしか見当たらない。

「しのさん。まさかとは思うが」

「ん〜。そのまさか、大当たりだと思うよ?」

 軽くそう返して、袖口を掴んで口元に持っていき、小悪魔的な笑みを見せる。それから、征士郎の顔を覗き込むようにした。

「怒る?」

「当たり前だろう。今日言ったばかりではないか。しのさんを守るのが俺の仕事だ。それが、危険に身をさらすのに、容認できるわけがなかろう」

 言いながら、しかし、ため息をついた。仕方がなさそうに。志之助という人間は、こういう危険を簡単に冒す人間なのだから。そんなことは、とっくに知っている。

「助けて、くれるでしょう?」

「それこそ、愚問だ」

 つまり、志之助が自ら囮になるということ。征士郎がそれを、あっさりと認められるわけがない。だが、その個人的な葛藤を、征士郎はぐっと抑えた。志之助のやりたいようにやらせてやりたい。それも、征士郎の方針なのだ。今回の場合、見ず知らずの人間を危険にさらすよりは、よっぽど志之助の方が助かる確率が高い。

 何しろ、志之助とて普通の陰陽師ではないのだ。古武術を会得しているし、頼りになる式神は片手の数では足りない。それに、征士郎もしっかりと目を見張っている。これ以上ないほど、安全なのだ。他に比べれば。

 いつの間にか、日は遠い山の向こうへ姿を消していた。西の空が茜色から紺色へ、少しずつ色を変えていく。

「その着物、どうしたのだ?」

「あ、えと。それこそ、せいさん、怒ると思うけど」

 できるだけ志之助が可愛いと自覚している表情をして、訴えるようにそう言葉を濁す。征士郎は、一旦は緩めた眉根をまた寄せた。

「あの男か」

「一応、協力者」

 そうだったな。答えて、今度は本当に個人的感情で、そっぽを向いた。互いに、反目しているのだ。おりんの上司に当たる、公儀御庭番の一隊を率いる隊長、竹中紅寿。志之助の、昔の色事相手の中の一人だ。それが当時の志之助の生きる術だったのだから、そのことについて征士郎が非難するつもりもないのだが、どうも竹中とは馬が合わないらしい。

 その相手に、どうやら借りてきたらしい。一応あの男も武士の一人ではある。無役の旗本という表向きの身分相応に、遊び人らしいこともしているのだ。だから、こんな伊達な着物も持ち合わせているわけである。

「あの男に囮をさせればよかろうに。あれだって、忍びなのだから、しのさんと危険度は五分だぞ」

「ここまで巻き込まないで来たからね。危ないことだけお願いするのは、悪いじゃない?」

 それに、と言って、自分の首筋に、そっと手を当てた。そこは、今までの被害者が共通して噛まれた場所で、今回もそこが狙われるのは必至だ。そして、当てた手の下には、肌の下から一枚の呪符が浮き上がる。

「こうして保護しておけば、カムフラージュになるよ。これで、せいさんの鋼拵えの鞘くらいの硬さはある。そう簡単には歯が立たないはず」

 ね、と笑った。また、呪符が肌色に色を変え、消えていく。そうして、征士郎に心配させないように工夫して、それでも自分が囮になることは譲れないらしい。そうか、と征士郎はため息一つで諦めるのだ。仕方がない。志之助はそういう男だし、だからこそ惚れたのだから。





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