参の5




 帰ってきてからの彼らの行動は、というと、実はまったく何もしなかった。というのも、江戸に帰るのに同じく四半刻の時間をかけたのだが、それでも鳳佳からの連絡がないのである。だから、何も出来ないのだ。

 方針は決まっている。事が起こったら奉行所に知らせること。その方針に変わりはない。だが、もし予告が出来るのであれば、そこにあらかじめ役人を配置しておくことが出来、より確実に下手人をしとめることが出来るわけだ。

 問題は、場所の特定が出来るかどうか。それは、今探りを入れてくれているはずの、鳳佳にかかっていた。志之助の力では、ピンポイントな場所の特定が出来ない。それは、鳳佳を推薦した蒼龍にも、志之助に無条件に力を貸してくれる神田明神にも不可能だ。だから、かの少年にすべてがかかっていた。

 江戸に戻ってきて、二人は『片瀬診療所』には寄らず、『中村屋』に帰っていた。店番を頼んだ加助には、そのまま店番をお願いし、その手助けをして、鳳佳の帰りを待つ。実際、その程度が志之助に出来る最大限だ。

 鳳佳が戻ってきたのは、店に帰ってさらに一刻ほど過ぎた頃だった。すでに日は大きく傾いている。西の空に、大きな太陽が赤く染まって浮かんでいた。

『ぎりぎり間に合ったようだな。場所がわかったぞ』

 志之助の目の前に戻ってきて、開口一番に、彼はそう言った。そうして、命令を受けたときとは反対に、鳳佳は自分から志之助に対して手を差し出す。読み取れ、ということだ。志之助は迷わずその手を取り、そっと目を閉じた。

「ありゃ。ご近所さん」

 すぐに読み取れたらしい。鳳佳の手を握ってすぐに、志之助はそう呟いた。おどけた口調だが、眉根に皺が寄っている。それから、しばらく手をつないでいて、目を開くと同時に手を離した。斜め下の方向を睨みつけるように見つめて、何か考えているらしい。

 征士郎はというと、昨日途中でやり残していた括り紐の小分け作業を続けていた。自分の腕を基準の長さに、くるくると紐の回して束ね、半周分余らせた紐で括る。これが一括りだ。その作業をしながら、志之助の行動を気にする。何か言われればすぐに対応できる姿勢だ。

 少し考え事をしていた志之助は、それから、顔を上げた。

「せいさん。松安先生のところに行って来てもらって良い? 蛟に送らせる」

「わかった」

 即答して、作業を中断する。出かける支度をした。と言っても、立ち上がって愛用の刀を腰に差すだけだが。

「加助さん。お店、お願いします」

「へぇ。行ってらっせぇまし」

 頷いて、加助がそう答えた。元々町人の彼だ。口調もべらんめぇ調でこのあたりが出身地、それに案外商売感が良い。妖怪退治の仕事が入って店番が出せない事態のときは、遠慮せずに使うように、と加助の主人である勝太郎が許可を出していた。それゆえの店番だ。普通に送り出してくれるのだ。

 裏口から自宅を出ると、狭い共有庭に蛟を呼び出す。さすがにこんな狭いところには横たわれない蛟は、地面の下から征士郎を自分の頭にちょうど良く乗せて、まっすぐ上へと浮き上がった。

「蛟。赤坂までお願い。せいさんの話が終わったら、一緒に俺のところまで戻ってきて」

 征士郎を頭に乗せたままでは頷くことも出来ず、蛟は反応することなしに上空へとぐんぐん昇っていった。見送る志之助の姿が、小さくなっていく。

 江戸箱根間を、人を乗せても四半刻、つまり三十分ほどで移動してしまう蛟である。神田赤坂間など、ほんのひとっ飛びだ。人が歩けば、少なくとも一刻以上はかかる。この時間短縮は大きい。




 この日二回目の『片瀬診療所』に、蛟は迷うことなく降りると、征士郎を下ろしてその場に丸まった。頭を尻尾に乗せて、お昼寝モードである。そうして、待っていてくれるらしい。本来ならば姿を消すところを、こうして見せておいてくれるのだから、それは征士郎が自分を使えるように、という配慮からなのだろう。

 今日二度目の、今度は庭からの訪問に、松安医師は驚いたらしい。おりんは仕事に出かけたらしく、診療所にはいなかった。何しろ夜の仕事を持つおりんだ。起こるかもわからない事件を待って、仕事をそう頻繁に休むわけにもいかない。仕方のないことだ。

 縁側に出て、どうしたのだ、と聞いた松安に、征士郎は屋敷に上がることすら面倒だとばかりにそこに立ったままで話し出した。

「今夜、問題の事件が起こります。場所は湯島天神。奉行所を動かして、事前に張り込ませてもらえませんか?」

「おう。それは構わんが。根拠は?」

 突然そんな報告を受けても、いくら頭の回転には自信のある松安でも、それを正確に理解することは不可能だ。尋ねられて、征士郎も説明の必要があることを認識すると、縁側に腰を下ろした。松安も、隣に腰を下ろす。

「日は、間違いなく今日でしょう。先生は事件の起こっている日付を、ご存知ですよね?」

「あぁ。だが、特に規則性はないぞ?」

「それが、あるんです。月の満ち欠けを基準に見てください」

 月の満ち欠け? 聞き返して、少し考えて、眉を寄せた。松安は、慌てたように部屋に入っていくと、調書の山と文机を持って戻ってくる。

「確か、最初の事件が、発見したのは事が起こった次の日だから、満月の晩だ」

 言いながら、書き付ける。

 今まで起こった事件は、全部で十六。それが、満月、十六夜、居待月、更待月、二十三夜月、二十八日月、三日月、七日月、十日余りの月、小望月、で一周として回り。今日は二周目の三日だった。なるほど、起こるなら今夜である。

 だが、何故月の満ち欠けが関係するとわかったのか。そこが不思議で、松安は征士郎に視線をやった。そして、松安は、小田原の久野という場所を初めて知ることとなる。

 事細かに説明する征士郎のそれをじっと聞いていた松安は、それから、軽いため息をついた。

「その、信仰対象が関係しているというわけか」

「えぇ。ですから、何故?と明確には示す手段がありません。彼らが考えそうなことを、こちらで想像してやるしかない。ですが、おそらくは間違いないでしょう」

 言われて、松安も、そうだろうな、と頷いた。これが三周目であれば、松安も同じ日に起こっていることに気づけたかもしれない。だが、残念ながら、気づくことが出来なかった。これは、松安としても、うっかりしていたと言わざるを得ない。そういった共通点を見つけ出すのが、松安の役目だと自覚していたから、なおさらだ。

 それから、もう一つの疑問は、その場所だが。

「そちらは、うちの志之助を信用していただくしかありません。志之助の式神に、探らせた結果です。ですが、これも間違いないでしょう」

「それだけ断言できるのは、何故だ? 結局、他人に証拠を提示して理解させることなど出来ない能力だろう?」

 それは、自分で調べたわけでもないのに何故そんなにも信用できるのか、という質問で、つまりは、征士郎が志之助を無条件に信用している、その理由を問うものだった。そんな質問に、征士郎は何故か、不思議そうな表情をしている。それから、表情を苦笑に変えた。

「先生は、おりんさんがくの一だと知っていましたよね? くの一は隠密稼業です。もしかして嘘をついているかもしれない。その彼女を、先生は信用していないんですか?」

「しかし、おりんがもし嘘をつこうとしているならば、そもそもくの一であることすらも明かすことはあるまい?」

「でしたら、俺の場合も同じでしょう? 俺は、相棒が陰陽師であると知っている。だから信用できる。それだけですよ」

 まるでなんでもないことのように、征士郎はそうやって笑った。そして、松安の顔を覗き込む。

「先生は、俺は信用できませんか?」

 征士郎は松安を先生と呼ぶ。まだまだ若造であった時分から、松安は征士郎にとって馴染みの医者の先生だった。その尊敬の念が、今でもまだ続いている。そんな呼び方を、松安は今更ながらに気づいてしまった。今までそう呼んでいたからそのままなのだろう、と思っていたのだが、つまりは、それだけではないのだ。征士郎が松安を尊敬しているその証でもあった。気づいてしまって、松安は思わず腕を組む。

「お前を、信用しろ、というわけか」

「志之助を信用できないのであれば」

 そう答えることで、肯定する。松安は、そう言われることで判断を託された印象を受けていた。

「それを、奉行所が信用すると?」

「だから、先生にお願いするんです。俺では信用されることはまずありえないでしょうが、先生は立場が違います。奉行所に対して実績も備えているご意見番でしょう?」

「俺の腕次第、か」

「はい」

 簡単に頷くな、と突っ込んで、松安はまた腕を組んだ。それはつまり、松安に対しては真剣に事実を知らせる代わりに、松安は奉行所に対して大きなハッタリをかましてくれ、ということに他ならない。松安にとっては、なかなかな冒険だ。背後に居る志之助を感じさせないように、こんな突拍子もないことを知らせなければならない。奉行所で持っている事実関係だけでは、無理だろう。はっきり言って。

 しかし、松安にしても、他に奉行所を動かす方法はないと判断するしかない。となれば、そこは松安がやるしかないのだろう。

「わかった。すまぬが、奉行所まで送ってもらえんか? 時間が惜しかろう?」

 言われて、征士郎はそこに横たわる蛟に声をかける。蛟は、とりあえず初対面ではないその男を一瞥すると、顔を上げた。征士郎に、こくりと頷いて返す。

「送ってくれるそうです」

 言われて、松安は部屋に入っていった。出かける準備をして、戻ってくる。先に蛟に乗っていた征士郎が差し出す手につかまって、その頭に乗せられる。蛟は、その新顔がしっかり座るのを待って、ゆっくりと宙に浮かんでいく。つまりは、その男が主人の客人であることを意識していて、慎重になってくれているわけだ。出来るだけ急いでくれ、という征士郎に、尻尾で了解を表し、少し離れた場所にある奉行所に向かって、また宙を泳ぎ始めた。





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