参の1




 翌日。

 『中村屋』の店先には、たまに店を手伝いに現れる老齢の男がいた。志之助の代わりの店番である。彼の名は加助。勝太郎の家に唯一住み込みで仕えている、奉公人であった。

 その彼に店を任せて、志之助と征士郎は再び赤坂にやってきていた。場所はもちろん、『片瀬診療所』だ。

 二人の前には、松安とおりんが並んで座っていた。おりんは少し驚いた表情で、松安は眉をひそめた難しい顔で、それぞれに志之助を見つめている。

 志之助の膝先には、彼直筆の七枚の絵が並んでいる。昨日の、占いの結果を話していたのだ。

 二日前の夜、おみつに案内されていくつかの殺害現場を見て回った一行だったが、結局、自縛霊化している被害者には会うことが出来ず、それどころか、その場の残留思念もすでに風に洗われてしまっていて、読み取ることも出来なかった。だからこそ、この占いには結構な期待がかかっていたのだ。

 結果、箱根という場所に何らかの関係がある、というところまでは読み取れたわけだが、問題はあと三枚の絵が表す事象だ。

「ふむ。般若の面、烏の羽、数珠、か。さっぱり掴めんな」

「志之助さんの烏天狗を示しているとは、断言できないんでしょう?」

 困ったわねぇ、と言いながら、おりんも考えてくれている。その二人に、志之助は軽く頷き、それからさらに報告を続ける。

「そういったわけで、今から箱根に行ってきます。ちょっとした知り合いもいますし、とにかくその三点を片付けないといけないので。つきまして、お二人にお願いがあるんです」

 そのお願いのために、どうやらこの赤坂に寄ったらしい。お願い、と聞いて、二人は姿勢を正した。式神などを駆使して、人にしてはかなり万能な類に入る志之助の、お願いだ。軽く受けられるものではないだろう。

 その姿勢に、志之助が少しだけ表情を和らげる。

「私たちが留守の間、もし下手人側に動きがあった場合、うちの天狗にお二人にお知らせに来るよう指示を出しています。それを受けて、奉行所を動かしていただきたいんです」

 それは、お願いする相手としては当然の相手で、松安とおりんは顔を見合わせる。松安が、やがてその腕を組んだ。

「良いのか? 俺にそんな大事なことを頼んで。奉行所側の手柄にされるぞ」

「構いません。元々、私たちの手柄にするつもりはありませんから」

 それこそ、まったく何の戸惑いもなくそう断言するのに、松安はまた驚いたらしい。目を見開いて志之助を見つめている。その視線に、志之助は照れくさそうに笑って見せた。

「そんなに驚きますか?」

 苦笑混じりに尋ねられて、松安はようやく我に返ったらしい。いや、と首を振り、しかし、まだ驚いたままで小さなため息をつく。

「無欲だな」

「そうですか? そんなことないですけどねぇ?」

 松安が心底感心したようにそう評するのを聞いて、志之助は照れくさそうに笑って返した。征士郎が何故かしきりに嬉しそうに笑っている。

「では、行くか」

「うん。そうだね」

 まるで、ちょっとそこまで御使いに、といったイメージなのだが、征士郎に声をかけられて、志之助は頷いてそこに立ち上がった。それを見上げて、おりんが少し慌てたように声をかける。

「私は、ここに残ってもいいの?」

 それは、上様に指示のあった協力者なのだから、といった意味合いもあったのだろう。しかし、そう声をかけられた方は、顔を見合わせると、別々に苦笑を浮かべるのだ。その反応が理解できずに、おりんの方も松安と顔を見合わせてしまう。

「おりんさんには、こっちでの仕事をお願いする」

「っていうか、連れて行けないと思うんですよ。ほら、空、飛ぶし」

 とぼけた表情で答えて、ついでに上を指差して見せる。空、と言われて、促すように指差されて、おりんと松安はつられたように上を見上げてしまった。もちろん、天井が見えるのだが。

 それから、やっと、我に返る。つられたのが恥ずかしかったらしい。おりんが顔を背けた。

「どうやって、空を?」

「式神に乗って。空を飛びますから」

 そりゃそうだ、としか反応しようのない答えで、再びおりんと松安は顔を見合わせる。表情から、謎が解けていないことはわかった。ということは、実物を見せるしかないだろう。そういえば、松安の前には葵を見せただけであるし、おりんにしても、それに蒼龍の人間型の姿と、烏天狗一匹だけなのだ。志之助の手の内は、どうやらまだ見せきっていなかったらしい。

 征士郎も遅ればせながらそれに気づき、そばにあった障子を開いた。志之助が立ったついでに庭に出る。その志之助を見送って、二人も庭に視線をやった。

「蛟。おいで」

 呼んで、懐から出した呪符を投げた。ひらひらと舞う呪符が、宙で突然燃え上がり、消えてしまう。代わりに、音もなく現れたのは、狭い庭に窮屈そうに横たわる、龍の出来損ないのような、そんな生き物であった。龍というには、角とひげが足りない。逆を言うと、その程度の差しかないわけだが。

 それが、龍に進化する直前の姿とされる、伝説上の生き物、蛟の姿である。

「蛟です。この子だけだったら、箱根なんてそれこそひとっ飛びなんですけどね。乗せてもらうから、四半刻ぐらいかな。そんな長い間、空を飛ぶなんて、初体験では無理だと思いますよ」

 志之助が説明する間に、征士郎はいつの間にか立ち上がると、蛟に何事か声をかけ、頷くのを確認してその頭によじ登って行った。平らになる部分を見つけて、そこに胡坐をかく。

「では、松安先生。留守を頼みます」

「行ってきます」

 胡坐のまま頭を下げて言う征士郎に唱和して、ペコリと頭を下げて、志之助はひょいっと飛び上がると、征士郎の後ろに腰を下ろした。

 音もなく、ただ、乗せている二人の人間を落とさないように慎重に、蛟は宙へ浮かび上がっていく。残された松安とおりんは、揃って縁側へ出てくると、空へ上がっていくその姿を見上げ、ぽかん、と口をあけて見守っていた。





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