弐の7




 小間物屋『中村屋』のある神田明神下は、その名の通り、神田明神のある丘の下に位置する。すぐそこに繋がっている参道を上がっていけばそこは神田神社である、という場所だ。

 その場所に、すぐ近くに住んでいながら、やってきたのは実に二年ぶりだった。

 本来の神様の他に平将門を合祀する神田明神の、長い階段をのぼる。平将門などという大怨霊を祀るわりには狭い境内の、その向こうに立つ本殿の欄干に身体をもたれている、男の姿があった。古代の狩衣姿で、だらんと身体の力を抜いて寄りかかる姿が、あまりにも場所柄を無視している。だが、他の参拝客には、それがまるで見えていないらしい。

 その男が、この神社の祭神、平将門その人であった。

 征士郎でも、今のその姿は、志之助の助けなしに自力で見ることは出来ない。征士郎は、本人も志之助も認めている通り、霊力は確かに強いが、それに関する五感は一般人のそれと何ら変わらないのである。

 征士郎に霊的な視力や聴力を与える手助けをしているのが、志之助であった。相手が妖怪やら幽霊やらであれば、志之助の独壇場である。そこは、征士郎をして、しのさんに任せておけば間違いない、と言い切るほどのものだった。

 いずれにしても、志之助から見ても、視力を分けてもらっている征士郎から見ても、その姿がだらしのないものであることには変わりがない。志之助は軽くため息をつき、征士郎は苦笑を浮かべる。

「将門公。お久しぶりです」

「なんて格好してるんですか。御祭神様でしょう? もっとしゃきっとしてください、しゃきっと」

 とりあえず再会の挨拶をする征士郎と、突然かなり強い口調で注意の声をあげる志之助。そんな二人の声にはっと顔を上げた将門は、まじまじと二人を見つめ、それから驚いた。

『志之助と征士郎ではないか。久しいのう。二人とも、息災であったか』

 怨霊と恐れられる彼には似合わない、実に嬉しそうな表情で、将門はこちらへ歩いてくる二人を迎える。どうやら、この二人を気に入っているのは事実であるらしかった。将門に直接恩を売った志之助だけではなく、その時はただの同行者でしかなかった征士郎の名前まで、迷うことなく呼んだのである。

『何でも、近くに越してきたと聞いたぞ。もっと早くに顔を見せよ。待ちくたびれたではないか』

 話に聞く大怨霊とは到底思えない、優しい声をかけられて、二人は少し驚き、顔を見合わせた。それから、志之助が嬉しそうに笑う。

「それは、お待たせしました」

『まったくじゃ。して、今回は何ぞ用でもあったか?』

 急ぎの用でないのならばゆっくりして行け、との声かけに、志之助は首を振る。

「ここでは人目を引きます。裏へ、行きませんか?」

『うむ? そうか、そなたたち生き人は、不便じゃのう。ならば、中で話そうかの』

 裏から入れるのだ、と言って、将門は二人を導くように立ち上がると、軒下からふわりと降りてきた。

 神社の本殿の中など、おいそれと入れるものではない。征士郎は、通されたその社の中を、物珍しそうに眺めていた。隣で志之助も同じような表情をしているところを見ると、彼も初体験であるらしい。二人のそんな反応に、将門は楽しそうに笑いを押し殺している。

 まぁ、座れ、と将門自らが円座を持ってきて勧める。そして、自分はどっかとその床に腰を下ろした。

『で、何じゃ?』

 ゆっくりしろ、と言うわりにはせっかちである。問われて、征士郎は姿勢を正した。志之助も遅れてそこに座る。

「まずは、ご報告を。俺たち、夫婦になりました」

 座った途端に、志之助が爆弾発言をする。それは、征士郎も予測していなかったらしく、驚いて志之助を見つめてしまった。将門にいたっては、何を言われたのか把握できていない。

『今、何と申した?』

「だから、結婚したんです。せいさんと」

 一言ずつはっきりとそう告げる志之助に、征士郎が隣で真っ赤になっている。つい先日征士郎が師匠に言った言葉とそう違わないのに、それが自覚できていない。何もこんなところで言わなくても、と文句をたれているが、志之助は軽く笑って無視をした。

『ほう。それで、祝言はいかが致した?』

「挙げていませんが。反対しないんですか?」

 しばらく黙って二人を見比べていた将門の次の反応が、それであった。少し意外だったらしい。反対に、志之助の方がそんな受け入れ方に驚いている。

『似合いの者どもをわざわざ引き離す趣味はないぞ。そうかそうか。いずれそうなる縁だとは見ておったが、やはりな。しかし、せっかくこの社は縁結びの社なのだ。言えばわしが直々に仲人してやったものを』

 薄情な奴らだ、などと、恨めしそうに見やって、それからしかし、嬉しそうに表情を変えた。

『せっかくの縁だ。末永く、幸せに暮らせ』

 わしが見守ってやる、とのありがたい申し出に、志之助は征士郎と顔を見合わせ、はにかんで笑った。まるで親の愛情のような優しさが、志之助には慣れていないこともあって、気恥ずかしかった。将門はそんな志之助を、本当に実の息子か孫でも見るように優しい視線で見守っていた。





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