弐の4
さて、翌日である。
おりんは、連絡を受けて、指定の店先で待っていた。
問題の彼女にとっては、恋人との逢瀬である。緊張しているはずもない。だからこそ、おりんも同席することは、まだ話してはいなかった。
店先でおりんと合流して、新田が先に部屋に入っていく。3人は、隣の部屋で待つことにした。
『実はね、おみつ。会って欲しい人がいるんだよ』
その、征士郎が聞くと甘くとろけそうな猫なで声の新田に、征士郎が一人で笑いを押し殺している。自分も志之助と二人きりのときはこんな感じなのは、自覚してはいるのだが、とりあえず棚の上だ。
『あら。どなたですの?』
彼女にとっては、彼が別の人間を連れてくることなど今までなかったことで、声が少し緊張の色を見せた。警戒心も感じ取れる。
志之助はどう感じているのか、と征士郎は恋人を見やり、首を傾げた。何故か、にっこりと微笑んでいるのだ。小声で、どうだ?と問いかけると、志之助は軽く首を振った。
「すごく優しい人だね。妖怪じゃないよ、この人。ただ、そうすると、何で血を啜るのかが理解できないけど」
征士郎とおりんにだけ聞こえるような囁き声で、志之助は自分の見立てを話した。襖越しでも、雰囲気だけでそのくらいは掴めるのだ。心の中を覗けば、もっとわかるのだろうが、それは彼女の個人的事情やらなにやらも覗き込んでしまう失礼な行為なので、志之助としてもできる限りその力は使いたくなくて、今もきっちり封をかけて閉じ込めている。
志之助の見立てを聞いて、征士郎は少し驚いた様子でおりんと顔を見合わせた。意外だった。妖怪の可能性が大部分だっただけに、見込み違いが否めない。
その間にも、隣の間では恋人たちの話が続いている。
『古い友人なのだ。とにかく、会って欲しい。通しても良いか?』
『えぇ。かまいませんけど』
答えるのに応じて、新田がそこに通じる襖を開けた。二つの部屋が繋がる。
そこに、顔見知りがいるのに、彼女は素直に驚いたらしい。目を見開いて相手を見つめている。
「おりん姐さん?」
彼女の表情は、嘘偽りなく、驚いていた。それから、自分の恋人を、疑わしそうな表情で見やる。それはそうだろう。自分に会いに来たはずの恋人が、同業者や見知らぬ男を引き合わせるのだ。どう考えても、それが自分にとって都合が良いはずがない。
「どういうこと?」
その問いかけに、新田は答えることが出来なかった。決まりが悪そうにそっぽを向くくらいが限界だった。代わりに志之助が答える。
「突然押しかけてごめんなさい。新田様が、どうしたら良いのかわからない、と相談にいらしたので、一肌脱いだんです。貴方、他人の血を啜るでしょう? 最近巷を騒がせている騒ぎの下手人なんじゃないかって」
その返答に、新田は慌てて顔を上げた。包む込むように遠まわしに言ってくれることを期待していたのだろう。少し非難する表情だ。それに、征士郎は制するように手を上げ、志之助に続きを促す。
「隣で声を聞いていて、私は、貴方自身が殺したくて殺したわけではないのだろうと、察しをつけたんですけれど。どうしてあんなことを?」
「……見られちゃった、ってことかしら?」
「そのようですよ」
ねぇ、と志之助は新田に同意を求める。返答があるとは期待していないらしく、すぐに彼女に視線を戻したが。
しばらく黙って、新田が代理に立てたらしい初対面の美貌の男を見つめていたが、しばらくして彼女は深いため息をついた。
「そう。見られちゃったの。仕方ないわね。いずれ話さなければならないことだとは思っていたから、別に良いのだけれど。できれば、こういう間の悪いときにバレたくなかったわ」
それは、どうやら、腹をくくったらしい。しかも、一生隠し通すつもりもなかったらしいことが、今の言葉でわかった。それから、自分のことを話す前に、志之助以外の二人を見やって、志之助に首を傾げて見せる。
「先に、お尋ねしてもよろしい?」
「あぁ、そうですね。自己紹介が遅れました。私、神田明神下で小間物屋を営みます、中村屋志之助と申します。片手間に妖怪退治の真似事など致しておりまして、上様の覚えもめでたく、最近の騒動を解決せよとの仰せを承りました。こちらは、相棒の中村征士郎様。それと……」
続けて、おりんの紹介もしそうになって、危ういところで言葉を切る。ここはおりんの仕事場だ。下手に正体を知られるわけにもいかない。判断は、本人につけてもらうのが筋だろう。おりんは、話の続きを振られて、一つ頷く。
「同じく、上様よりご命令を受けたの。私は、公儀御庭番のくの一なのよ。本職は。これは、命より大事な秘密だから、内緒よ?」
命より大事、というわりには軽く正体を明かして、お茶目にウインクをつける。思いもかけない正体に、きょとん、とした表情をしていた彼女は、それから、くすっと笑う。
「おみつです。お騒がせしてしまったみたいで、ごめんなさい。ことが済んだら自分からお縄にかかる覚悟はついていたんだけど、今はまだ捕まるわけにはいかなくて」
「わけを、聞かせてもらえる?」
今度は、志之助ではなく、おりんが代表を引き受けた。その問いかけに、彼女はもう迷うこともなく、こくりと頷く。
「志之助様は、妖怪退治、とおっしゃいましたけれど、私は妖怪じゃないんです。ただ、生まれつきに先祖代々引き継いでしまっている病気があって。人の血を啜る必要があるんです。生きていくために」
まず最初に、衝撃の事実を告白して、おみつは、一度心を落ち着けるように目を閉じると、自分の身にまつわる秘密の話と、今回の騒動の彼女側の都合を、事細かく話し出した。
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