弐の1




 結局、陰陽師である志之助と奉行所との隔たりが埋まることもなく、ただ、松安の仲介もあってひとまず仲違い状態だけは回避して、その日を終えた。もちろん、遺体とも対面したが、結局死者の念を読み取るに至らず、進展はないままだ。

 死者から情報が得られなかったことについては、志之助は自分の不甲斐なさに肩を落としていたが、征士郎としては実はほっとしていた。

 最近でこそ、その力でふざけて見せたりもする志之助だが、最初に征士郎にその能力を打ち明けた頃は、気を抜いて征士郎の心の内を覗いてしまった時ですら、慌てて頭を抱えてうずくまるほどに恐がっていた能力なのだ。征士郎の意識は、特に悪感情を抱くこともなければ暗い気持ちを引きずるような性質でもないので、引きずられることもないのだが、それでも、心の中が見えてしまうだけでも、罪悪感にさいなまれていた。

 それだけ厄介な能力を、自分の意思で行使しようというのだ。失敗したらどうなってしまうのか、征士郎には不安で仕方がない。頼むから、せめて一度には一回だけにして欲しい、と思ってしまう。

 とはいえ、そう何日も奉行所に遺体を置いておくわけにも行かない。とにかく、外面上わかる範囲で遺体をじっくり眺めて、帰ってきていた。明日には遺族の元へ、遺体は返される。死者の念を覗く機会は、また次の犠牲者が出るまでおあずけとなってしまった。出来ることなら、次の犠牲者が出る前に片を付けたいのだが、こうなっては難しいところだ。

 見た目で新たにわかったことといえば、下手人のどちらかが、白粉を使う人間であるということくらいだった。今回は発見が早かったらしく、袖口に付着していた白粉が流されずに残っていたのだ。

 それだけならば、岡場所帰りやヨタカ遊びの疑いもあったのだが、被害者の殺される直前までの足取りがはっきりしていたので、わかったことだった。その日は、発見されるつい一刻前まで、親戚の通夜に出ていたのである。さすがに、その席で袖口に白粉をつけることなど、まずありえない。


 翌日、結局何も出来ないまま、日常の生活に戻った『中村屋』に、二人の客があった。

 客人は、どちらも赤坂の立花道場の関係者であった。一人は、立花彦十郎。一人は、新田五郎。昨日の約束を果たしに来たものであった。

 彦十郎の用事は、征士郎と共に同じ一心流の別流派、近藤道場を訪ねることだ。宗方が紹介すると請合ってくれた、その約束の件だった。その道場は、茅町浅草橋近くにあるのだという。明神下からはそう離れていない、行きやすい場所だ。

 一緒に来た五郎の用事は、志之助への相談事であった。

「俺は彦十郎殿と茅町まで行って来るが、しのさん一人で大丈夫か?」

「うん、大丈夫。こっちは気にしないで、気をつけていってらっしゃい」

 まるで長年連れ添った夫婦の会話なのだが、本人たちはまったく気づいていないらしい。傍で見ていて、彦十郎と五郎が顔を見合わせ、苦笑するのだった。




 彦十郎に連れられてしばらく歩いて着いた先は、門から浅草御門が見えるような、すぐそばの通り傍だった。門をくぐると、途端に稽古の威勢の良い声が聞こえてくる。戸を閉められていてこれなのだから、道場内はすごいことになっているはずだ。

 門から入って正面にある道場を横目に見て、二人は玄関へ進む。声をかけて出てきたのは、胴着姿の青年であった。どうやら門下生であるらしい。紹介状を見せて、道場主に会いたい旨を伝えると、青年は二人をそのまま道場へと案内した。上座に陣取る、意外と若い男に取り次いで、本人は稽古に戻ってしまう。

 その男。荒っぽいと聞いていた道場の道場主にしては、優男であった。小柄で、品が良く、荒々しさとは対極の雰囲気を持っている。だが、確かに道場の雰囲気は荒っぽさが滲み出ているようだ。これを、この男が一人で支えているのだとすれば、人は見かけによらない、という話になる。

 招待状に目を通したその男は、客人二人に目をやって軽く頷くと、すっくと立ち上がった。途端に、道場内のすべての人間の動きが止まる。一体どうするとこれだけ統率の取れた動きになるのか、不思議で仕方がない。

「権左衛門。ちょっと」

 それは、まるで友達を呼ぶような気安さで、しかし、呼ばれた方はしっかりかしこまって応じると、急いでこちらへ歩み寄ってきた。

「お呼びですか?」

「あぁ。お前、この中村殿と手合わせしてみてくれないか。勝敗は問わん。手加減してもこてんぱんにやっつけても、そなたの自由だ。中村殿の力を測りたい」

「承知しました」

 応じたのに満足そうに頷いて、道場に向かって手を叩く。手を叩いただけで、稽古が中断され、中央が広く空けられた。統率が取れているのは良いのだが、過ぎるのもまた気味が悪い。

 権左衛門が木刀を取りに去っていったのを見送って、道場主、近藤軍男は、征士郎に向き直る。

「まずは実力を測らせていただきます。話はそれから。当道場の流儀は少々荒っぽいですぞ?」

「お手柔らかに、お願いいたします」

 ぺこり、と頭を下げて、それは承知したことを告げるものであった。近藤は頷き、中央へ進むように征士郎を促す。ちょうど、権左衛門も戻ってきたところであった。試合用の木刀を受け取る。

 互いに、礼。

「はじめ」

 近藤の合図で、征士郎は木刀を正眼に構えた。


 決着は、意外とあっさりついた。征士郎の勝ちである。しかも、はじめの合図から一度打ち合っただけで。権左衛門の鼻先に突きつけられた剣先が、降参を促した。

 何が起こったのか、一瞬混乱してしまった門下生もいたのだろう。しばらくしんとしていた道場に、ざわめきが起こる。

 互いに中段に構えた木刀を、同じ呼吸で叩きあい、互いに飛びのく。次の動作が、征士郎の方が数瞬速かった。飛びのきながら体勢を立て直し、返す剣をそのまま横に払って動作を最小に留めた。それが、征士郎の勝因だった。

 降参を宣言し、権左衛門がそこに膝をつき、頭を下げる。征士郎も木刀を引くと、立ったまま頭を下げて返した。

 その一部始終を、黙って見守っていた近藤が、すっと立ち上がる。ざわめきが引いた。

「権左衛門。どうであった?」

「私では、到底及びません。参りました」

 それは、完敗宣言であった。何度やっても結果は同じだ、と明言したのである。彼が感じた力の差は歴然だった。

 その判断を、全面的に信用したのだろう。近藤は、今度は征士郎に向き直った。

「私たちに出来ることはそうは多くないでしょう。私とて、自らを貴方よりも強いと断言するだけの自信はありません。ですが、鍛錬の場としてはこの場をお貸ししたい。いや、もし宜しければ、幾日か置きにでもお越しいただき、ご教授願えればと、厚かましくもお願いしたいのだが、どうであろう。もちろん、他の道場とも何かと縁はあると自負しておりますゆえ、折に触れ、ご紹介することも可能でござる」

 どうであろう、との提案に、征士郎は少し腕を組んで考え込んだ。悪くない申し出ではある。あるが、それを引き受けるだけの自分の余裕はあるだろうか。そこが、問題だ。

「なに。今すぐにお返事いただこうとは思ってござらん。少し、見学されてはいかがかな? 立花殿も」

 その間に考えてくれ、ということだ。征士郎は彦十郎を見やって確認すると、承知して頷いた。





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