壱の9




 松安が席を立ったのを見て、征士郎が少し志之助の方へ寄る。

「その後、何か進展は?」

 その後、という言い方が、何やらごく近い時間を指しているらしいことに、おりんは聞き耳を立てる。というのも、その後、と言ったその間、征士郎は片時も離れず志之助のそばにいたのである。その彼に対して、おかしな問いかけかただ。だが、問うた方も問われた方も、まったく違和感を感じていないらしい。

「勝太郎さんが、奉行所に走ってくれた。それと、将門様からの入れ知恵。そんなに強い妖気は感じられない、って。そんな、何人も殺すほどの妖怪だったら、わかるぞ、だってさ」

「じゃあ、人間の仕業か?」

「とも、断言できないみたいだよ」

「何だ。神田明神様もお手上げか」

 そいつは参ったなぁ、と征士郎がぼさぼさの頭を掻きまわす。その仕草に、志之助は余裕の表情で、くすくすと笑った。

「だから、俺たちが足を使うのさ」

 ぽんぽん、と正座している腿を叩く。そうだな、と征士郎も頷いた。

「それにしても、何か頼まれるたびに思うが、日常の仕事が枷になるな。普段は仕事をしていないと手持ち無沙汰だし、それだけでは生きていくには金が足らん」

 まったく贅沢な悩みだが、確かにその通りで、志之助も頷いた。剣術道場でも言ったが、何をするにも寺子屋の仕事が枷になる。重荷と感じているわけではないが、こうも頻発すると申し訳ない。いっそのこと、代役を見つけてきて仕事を辞めるべきか、と征士郎は考えていたのだ。征士郎がそうして働きに出なくても、男二人で生きていくだけの財力は、『中村屋』と将軍他の依頼者からの謝礼金でなんとかなる。無理をする必要はまったくない。

 そうすると、問題なのは、代役の選出だった。知り合いの絶対数が少ない。だから、めぼしい相手も見当たらないのだ。困ったことに。

「それは、でも、ゆっくり探そうよ。焦っても仕方のないことだからね、こればっかりは」

「そうだな……」

 困った話だが、焦っても仕方がないのは志之助のいうとおりで、征士郎は肩を落とす。ぽんぽん、と志之助に肩を叩かれて、苦笑を返した。


 ようやく、松安が戻ってくる。手には一抱えの紙の束が抱えられていた。すべて、奉行所の調書であるらしい。そんなものがここにあることに驚いてしまうのだが。

「一通り目を通してみたんだが、共通点と言ってもそうないぞ。全員男であることと、遊び人揃いであることくらいだ。いつも遊びに出かける先もそれぞれ違うし、身分も武士だったり町人だったりで統一されない。あとは、みんな財布を抜かれていることと、血を抜かれていることくらいか」

 自分で持ってきた紙の束をパラパラとめくりつつ、そう言う。志之助も征士郎も、せっかく持ってきてくれた紙の束を手に取った。

「全部に目を通すかい?」

「そうしたいのは山々ですが。ちょっと難しそうですね。読み書き得意じゃないしなぁ」

 意外な一言を付け加えて、むぅ、と志之助が唸る。それは、相棒であるはずの征士郎でさえ、意外に感じたらしく、軽く目を見張った。

「そうなのか?」

「学ないよ、俺。写経も適当にサボってたし。読むのはまぁまぁ何とかなるけど、書くとなると、簡単な値札とか呪符とかくらいで、文もまともに書けないし」

 あれ?知らなかった? そう、これまたびっくりした様子で聞き返す。傍で見ていて、その今更なやり取りに、おりんがくすくすと笑った。

「俺が読んで聞かせようか?」

「それ、効率悪いよ」

 そうやって断って見せて、しばらく考えていた志之助は、それから何か決心したように顎に力を入れる。

「やってみようか。透視の術」

 それは、術、というと陰陽術のようだが、志之助の生まれつきの厄介な能力のことで、征士郎は心配そうに志之助を見やった。その能力のことは、いくら協力してくれるとはいえ、所詮他人である松安やおりんには説明できないので、陰陽道だと誤解してくれるように仕向けるしかないのだが。

「できるか?」

「わからない。こればっかりは。やったことないし」

 もちろん、制御する方法もわからない。やったことがない、というのは、今までそれを封じ込めることで手一杯だったからだ。だが、今は征士郎がそばにいる。志之助の法力を補助してくれる人が。そして、彼がいることで精神も安定するのだから、試してみるには良い機会だ。

 その調書の束を志之助の膝の前に積み重ねると、志之助はそこに結跏趺坐の形で座りなおし、軽く目を伏せた。そっと、征士郎がその肩に手を乗せる。

 そばにいるだけでも、十分に志之助の助けになるのだが、身体に触れていれば、それも、心臓により近い位置に、素肌に触れていればそれだけ、より互いの力が強化される。最も結合度が高いのは、二人で上半身裸になって、背中合わせに座ることなのだ。だが、今は人の目もある。肩に触れるくらいが関の山だ。

 しばらくして、ぴくっと志之助が身動きする。顔を覗き込むと、辛そうに眉を寄せていた。一体どうしたのか、と、松安とおりんが顔を見合わせる。征士郎は黙って彼の肩を抱き寄せた。

「無理するな。最悪、読めば良いんだからな」

「ん。もうちょっと」

 征士郎に抱きしめられた途端、志之助の表情が少し和らいだのに、松安は目を見張った。征士郎は、まるで幼い子供をあやすように、志之助の肩をトントンと叩いている。いつの間に置いたのか、志之助の手は調書の上に置かれていて、まるで、紙の束から情報を吸い取っているかのようなイメージだ。

 もうしばらくじっとしていて、そっと志之助が目を開いた。征士郎が手を緩めるのに頷く。征士郎が志之助のすぐそばに座り直すのを待って、調書の束から手を離す。

「ちょっと失敗。この調書を書いた人たちが残した念の方を読んじゃった」

「ならば、書いてある以上の内容が読めたのではないのか?」

「ん。結果的には」

 ま、初めてにしては上々?などと、自己評価を下す。うむ、と征士郎が頷いたのに、嬉しそうに笑った。

「で?」

「下手人は二人だね、やっぱり。で、どちらも人間じゃないや」

 征士郎の問いかけに志之助が答えた途端、何だと、と松安が身を乗り出す。その反応に促されて、志之助は松安とおりんに向き直った。そちら側に征士郎もいるのだからちょうど良い位置関係だ。

「先に片方が噛み付いて、次の人が腹を割いていますね。実際に遺体を見ればわかりますが、どの遺体も、首の傷は治りかけているんです。腹の傷の方が生々しい。すべての血を抜き取ったのも、こちらでしょう。首の傷程度では、全身の血を抜くのに結構な時間がかかりますからね。いずれにしても、首に噛み付くのを見ても、腹を引き裂いた程度で全身の血を抜き取れる異常な力を見ても、人間業じゃありません」

 それは、まるで今までの被害者の遺体を直接見たような、はっきりした所見であった。そんな詳細までは調書に書いてあった覚えがなく、松安は首をひねる。もし、調書に手を当てた程度で、そこに書かれていないことまで読み取れたのだとすれば、志之助の今の術も人間業ではない。

 志之助の説明に、征士郎は隣で腕を組む。それだけのことがわかったにも拘らず、犯人に直接繋がる手がかりがまったくないのだ。一応状況が一歩前進したとはいえ、微々たる物である。

「下手人の手がかりは?」

「わからない。やっぱり、直接仏さんを見ないと、何とも。死に際の念を読めば、かなり近づけると思うけどねぇ」

 実に簡単そうにそんなことを言う志之助に、征士郎は眉を寄せた。志之助が自らの千里眼能力を封じるに至った理由は、他人の念が読めてしまう罪悪感と同時に、他人の強い念に引きずられて自分の精神に影響を与えかねないからなのだ。死に際の念といえば、その強さたるやすさまじいものがあるだろうとは、簡単に想像がつく。まだ死ぬ予定ではなかった者が、他者の都合で命を奪われる。そこには、その人の残っているはずの人生と、生きたいという思い、それに、殺されることの恐怖が入り混じる。それは、生半可な念ではないだろうに。

「大丈夫なのか?」

「うーん。下手すると気が狂うけど。ま、せいさんも一緒だし。昔よりは自分で制御できるようになってるし。大丈夫じゃない?」

 実に怪しい自己評価だ。だが、征士郎もあまり強くは反対できなかった。他に方法がないのも事実であり、ちょうどこの日、遺体を確認する機会が用意されているのだ。この好条件を見逃す手はない。

「無理だと思ったら、俺の判断で引き離すぞ」

「ん。そうしてくれると助かる」

 死者の念に引きずられたが最後、志之助には自力で逃げ出すほどの力は残されない。そばに助けてくれる人が必要なのだ。征士郎ならそうしてくれる、という自信があるからこそ、自分の身の危険を顧みずに、安心して無茶が出来る。征士郎にとっては生きた心地がせず、たまったものではないだろうが。

「ところで、おりんさん。今日、新しい仏さんが出たんだが、奉行所に見に行く時間はあるか?」

 それは、死者の念を探ろう、という危険な話と無関係に、この診療所を訪ねたときにはすでに決まっていた、次の行き先だ。おりんは、少し考え込んで、困った様子で恋人である松安に目をやる。将軍命令なので、この件に関してはくの一として全面的に協力する義務があるおりんだが、それにしても、出来ることなら奉行の息子である松安の縁を利用して、出来るだけ特別権限を行使せずに済ませたいのだ。

 おりんの視線を受けて、松安は腕を組み、それから頷いた。

「俺も行こう。どうせ奉行所と同じ捜査をするなら、情報は共有した方が効率が良かろう?」

 それは、橋渡しは引き受けよう、という意味で、その申し出を、志之助も征士郎も、相談することもなく、ありがたく受けたのだった。





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