壱の7




 着いた先は、道場から路地一つ先くらいの距離の、町医者の家だった。『片瀬診療所』というのが、その名のようだ。看板が出ている。

 門の前を掃き清めている、十五、六歳ほどの少年を見て、征士郎は「ん?」と声を上げた。

「そなた、松吉か?」

 突然名を呼ばれて、彼ははっと顔を上げ、きょろきょろと周りを見回す。それから、声の主を発見、ごしごしと目をこすり、まじまじとその人物を見つめ。

「中村さんっ!?」

 ぱぁっと満面の笑みがこぼれる。その仕草がよほどおかしかったらしく、征士郎が肩を揺らして笑った。その間もずっと歩いていて、少年の前で立ち止まる。

「松安先生はご在宅か?」

「はいっ」

 元気良く答えて、入れ、も何もなく、箒も放り出して、玄関に駆け込んでいく。いつもは無精ひげのおかげの強面に、遠巻きに見られている征士郎も、赤坂では大人気だ。寺子屋でも案外子供たちには懐かれているし、物静かな性格のわりには人望も厚く、意外と人好きするらしい。

 そんな相棒を、志之助は改めて見つめている。そして、思うのだ。征士郎は、ことあるごとに自分で自分をこき下ろすが、絶対にそれは、自分を過小評価しているだけなのだ、と。もちろん、反対に征士郎から見た志之助もそうなのだが。

 足元に置き去りの箒を拾い上げ、征士郎は軽く肩をすくめると、先に門をくぐっていく。志之助も遅ればせながらそれに従った。

 玄関先で待ち構えていたのは、ちょうど三十歳前後の男だった。隣に、おりんも立っている。まるで細君のような寄り添い方だ。今日は、鮮やかな桃の花をあしらった着物を着ている。やはり、芸者をしているらしい。こんな柄入りの着物を着られるのは、よほどの家柄の武家の娘か、身体が資本である芸者くらいだ。

「遅い」

「……第一声がそれですか。松安先生」

 玄関先に仁王立ちした男が、少し不機嫌そうに短くそう言うのに、征士郎は力が抜けたように肩を落とし、そんな反応を返す。それで通じるくらいには親密な間柄だということだ。おりんが、そんなやりとりに、くすくすと笑っている。それから、征士郎の一歩後ろにいる志之助に目を向け、松安を促した。松安も、志之助を見やる。

「そちらが噂の恋女房殿か?」

「男ですよ、しのさんは。女房だなんて失礼な」

 志之助本人よりも不機嫌そうにそう抗議して返し、それから、志之助に手招きをした。

「相棒の、志之助です。しのさん。これが噂の松安先生」

「おい。どんな噂をしたんだ、お前は」

 慌てて言う姿がおかしくて、おりんが傍らで実に楽しそうに笑い出す。志之助は志之助で、意外に征士郎と馬の合う町医者に、ただ驚いていた。

「まぁいいさね。良く来たな。入んなよ。今ちょうど患者も途切れたところだ」

 良い捨てると、ついて来るのを疑いもせず、先に中へ入って行ってしまう。おりんがそれを見送って、どうぞ入って、と二人を促した。

 客間に通されて、おりんの淹れたほうじ茶に口をつけて、征士郎はとりあえず一息つくと、松安とおりんを交互にみやる。そして開口一番にこう言った。

「まだ一緒になっていなかったのか」

「うるさい」

 反応も、これまた早かった。すでに言われ慣れている感じがある。征士郎が、まだ、などという言葉を使うということは、すでに七年言われ続けているわけだ。慣れもするだろう。それで良いのかどうかは首をひねるところだが。何か問題でもあるのだろうか。

 それにしても、その間髪入れない会話の早さが、驚きを通り越してもはや漫才と化していて、志之助がくすくすと楽しそうに笑っている。

「まったく、先生がちゃんと言わないと、おりんさんだってかわいそうだ。なぁ、おりんさん」

「それを本人に聞くんですか?」

 口答えする割りに、おかしそうにおりんは笑っている。志之助も笑っているので、さすがに少し照れたらしい。征士郎が、がしがし、と頭を掻く。その目の前では、松安は松安で、慣れたとはいえ、この話題からは離れたいようで、これ見よがしに視線を志之助に向けた。

「お前さん、美人だね」

「男に美人は、誉め言葉じゃないですよ」

 あっさり答えて、志之助は反対に松安を見つめた。話題転換の種になるくらいは構わないが、一応これでも自分の容姿は気にしているのだ。まぁ、初対面の人を相手に、腹を立てても仕方がない。

「しかし、事実を述べたまでだ」

「それは、主観による相対評価であって、絶対の真実とは異なります。顔の造作が整っているのと女顔なところは、否定のしようもない事実ですけれど」

 やり込められて、松安は目を見張った。見た目と、征士郎の連れであるということと、陰陽師であるという先入観から、反発を覚えていたわけだが、だからこそ、その反論の仕方に驚く。

「……悪かった。試すようなことを言って」

「構いませんよ。御父上に何やら言われておられたのでしょう? 気にしていません」

「何故、私の父が奉行であることを?」

「表面的なことでしたら、うちの式神がある程度の情報を集めます。葵」

 呼ばれて、出てきたのは青年の姿の霊。古風な狩衣姿であることを除けば、例えば京の街ですれ違っても、そう大した違和感も覚えなさそうな。

 それにしても、頭の良い人同士の会話は、周りの人を寄せ付けないらしい。何故これで会話が成立するのか、不思議そうな顔をして、征士郎もおりんも黙って事の成り行きを見守っている。

 誰もいないはずの場所に突然現れた青年に、驚いたのはおりんだけらしい。逆に松安などは、感心したように顎を撫でる。

「それが式神か。初めて見る。人間のようではないか」

 理屈でわかることならば、多少不思議なことでも順応するようだ。医者と言う商売柄、信じてくれるとは思っていなかった志之助が、意外そうな顔をする。

「何だ? 何かおかしなことを言ったか?」

「いえ。意外だと思って。驚かないんですか?」

「これでも俺の愛読書は今昔物語でね」

「中でも安倍晴明のくだりがお好みでいらっしゃるわけですか。良く手に入りましたね」

 書物の題を言われただけで言われたことがわかったところを見ると、志之助もその書物には目を通しているのだろう。納得したように頷いて、にこっと笑う。

 感心したように志之助に言われて、いやいや、と松安は首を振る。

「これでも探し回ったのさ。幼い頃に一度見たことがあったのだが、これが実家の菩提寺でな。残念なことに、火事で焼けてしまったのさ。そう、あれはまだ、数えで十になった頃……」

「松安先生のこの話は長いのよ。放っておいて、お昼にしましょ」

「おいおい。ひどいな、おりん」

 語り始めに水を差されて、情けない表情をする。おりんが実に楽しそうなので、志之助も大いに笑わせてもらった。征士郎の反応が「また始まった」なところを見ると、昔からの語り癖らしい。





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