壱の6
『へぇ〜』
いつの間にやら集まってきていた同胞たちが、声をそろえる。ちょうど朝の稽古が終わった時間らしい。話が出会い話から江戸での大冒険に移った辺りから続々と集まってきて、この大所帯だった。半分は自分の弁当をぱくつきながら、半分は弁当を膝に置いたまま、身じろぎ一つせず。話は江戸からみちのくへ、そして中山道へ、とどまることを知らない。何しろ騒動好きの二人である。何にでも巻き込まれ、自分からわざわざ近寄っていき、向こうからも寄ってくるので、騒動が絶えることがない。
そんな波乱万丈な生き方をしてきた二人である。今の平穏な生活は退屈だろう、と誰かが言うので、二人は顔を見合わせた。
「平穏なんて、とんでもない。江戸こそ、百鬼夜行はびこる魔境だ」
「それを言うなら魑魅魍魎」
「うむ。まぁ、それでもあまり変わるまい」
「……素直じゃないのぅ」
新田がそう突っ込み、わっはっはっと周りで笑いが起こる。征士郎も苦笑を浮かべた。ちらりと見やった先の志之助は、始終楽しそうに笑っている。志之助にとっては見知らない相手ばかりだ。そうやって笑えるのなら一安心である。
「その中でも、一番大変なのが城の中でな」
俺の兄が大奥勤めであったのは知っておろう?と、周りを見回す。全員が昔なじみなのを確認してのことだ。そして、全員が頷く。
本当はかなり深刻だった将軍呪殺未遂事件を、面白おかしく脚色を交えて語る征士郎を楽しそうに眺めていた志之助が、ふと庭の方を見やった。
「というわけで、上様からのお呼び出しもちょくちょくかかるようになったというわけさ」
『ほ〜う』
特に示し合わせたわけではないだろうが、全員が驚嘆の声を上げる。もともと、将軍お抱えがどうのこうのという話から始まった昔話だが、始めた時、聞き手は師匠一人だったわけで、納得というよりはむしろ驚きであろう。
「ところでな。この中で、神田の方が住まいだという者はおるまいか?」
そう、征士郎が話を変えて、聞かれた全員がそれぞれに周りの人間と顔を見合わせる。
「さすがにおらんのぅ。お城の反対側じゃ」
「神田だと、どうなのだ?」
「いや、俺の代わりに寺子屋の先生をやってくれる人がいればと思ったのだが、まぁ、仕方あるまいなぁ」
なぁ、しのさん。そう呼びかけて、今までいたはずの左隣を見やり、あれ?と首を傾げた。いつのまに席を立ったのか、そこに目的の相手がいなかった。
「しのさん?」
「……あ、お話し終わった? せいさん。そろそろ時間だよ」
問いかけられた声が聞こえたのか、答えながら障子を開けて戻ってきた志之助の方に、烏がとまっている。額に大きな傷がある烏で、征士郎はおや?という顔をする。
「それ、『一つ』か?」
「うん。時間見てもらってた」
「時計代わりか。良く怒らないな、『一つ』も」
ふふっと笑って、肩の烏に目をやる。烏はばさっと翼を広げて飛び上がり、そのまま消えてしまった。おおっと、途端にどよめきが走る。昔話の中で志之助が陰陽師である事は聞いていたので、現場を見せてもらえたことによる感動だったらしい。何人かが手を叩いている。
「さて、では行くか」
「ご挨拶しておいで。先に出てる」
失礼します、と頭を下げて、急ぎ足で玄関の方へ歩き去っていった。その急ぎように首を傾げつつ、征士郎は特に咎めもせずに見送って、それから師匠に向き直った。
「では、師匠。そろそろ失礼します」
「うむ。またおいで。歓迎する」
はい。頷いて、また深く頭を下げる。そして、立ち上がった。周りに集まった同胞たちにも軽く会釈をして、障子に手をかけた。
それを、新田が呼び止める。
「なぁ、中村。そなたの相棒殿……」
思い悩んでいる風情でそう声をかけて、そこで言葉を選ぶように口をつぐむのに、しばらく彼の顔を見ていた征士郎だったが、それから、軽く息をつく。
「本物だ。今も見ただろう? 彼以上の能力を持つものは、少なくとも今の日本にはいなかろうよ」
「……いや、その……」
否定なのかごまかしなのかわからない反応に、今度こそ首をかしげ、肩をすくめて見せる。
「男だぞ。それに、いくら美人だと言っても、あれは俺のものだ。手を出すなよ。それから、何か相談があるのなら、神田の明神下を訪ねてくると良い。あの界隈で小間物屋の『中村屋』を知らない者はおるまい。俺の知り合いとなれば、しのさんも親身になってくれる」
勝手に察して、勝手に答えたそれの、どれが図星だったのか。新田は黙って頷いた。
外に出て、驚いた。志之助の烏天狗が勢揃いしているのだ。一体どうしたというのか。時間を見てくれていただけではないらしいが。
「しのさん?」
「……出たよ。次の犠牲者。大川のほとりだって。今度は木場」
道理で、志之助が慌てて外に出て行ったわけである。真面目な顔をして、征士郎を見返してくる。受けて、征士郎の表情も途端に険しくなった。
「どこの情報だ?」
「奉行所の最新情報」
「ならば間違いないな」
うん。寂しそうに頷いて、天狗たちを八方に散らす。再び、見回りに送ったらしい。少し辛そうな志之助の表情に、征士郎はその肩を抱き寄せる。
「帰りにおりんさんを誘って奉行所に寄ろう。仏を確認するのだろう?」
「うん。じゃあ、勝太郎さんに頼んで奉行所に手を回してもらおうか」
藤香。そう呟く。それは、式神を呼んだものだった。一瞬強い風が吹き、藤の花柄も鮮やかな着物に身を包んだ美女が現れる。
志之助の式神は、とにかく数が多い。店に残してきた橙と橘、この藤香、烏天狗は五十八匹。まだいる。これらはすべて、個別に契約を交わして常に傍においている者たちであり、それ以外にも一瞬だけ契約するような地水火風の精霊たちを扱うことも出来る。
しかし、そもそも言霊を持つ、つまり、声を発することの出来るのは、精霊、植物霊、動物霊、神獣、神仏と位分けされているうちの、高位神獣より上の位に位置するものだけで、藤香たち植物霊にしても、烏天狗のような中位神獣にしても、声を持っていない。これを使って、書状もないまま言葉を伝えるには、ちょっとした工夫が必要なのだ。
志之助は、いつも懐に入れてある無地の呪符を藤香に持たせて、征士郎を振り返った。こくん、と何故か頷いてみせる。それを受けて、征士郎は藤香に向かって話し出した。
「兄上。大川に例の被害者があがりました。今日の夕刻、奉行所へ伺って、仏さんを調べたいと思いますので、ご手配願います」
それは、未来で言うところの、テープレコーダーのようなものだった。式神を使って声を運ぶ。藤香は征士郎の頷きを受けて、手に持った言霊入りの呪符を、むしゃむしゃと食べてしまった。
「一度確認させて」
主人に命じられて、藤香は、自分では声を出せないはずの口を開く。
『兄上。大川に例の被害者があがりました。今日の夕刻、奉行所へ伺って、仏さんを調べたいと思いますので、ご手配願います』
それは、少しくぐもってはいるものの、征士郎の声だった。一語一句、間違いもない。
「藤香。勝太郎さんの所へ行ってきて」
命じられて一度頷き、彼女はするりと後ろを振り返った。その姿が、光の粒となり、宙に消える。
「俺たちは、予定通り、おりんさんの所へ行こう」
こっちだ。そう言って、征士郎が先に立って歩いていく。志之助も、一つため息をつき、歩き出した。
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