壱の5




 ずずっ。

 音を立てて茶を啜る。その横で、志之助は音も立てずに同じく茶を飲んでいる。

 手合わせの結果は、やはりというか、征士郎があっさりと勝ってしまっていた。明らかに、道場に通っていた頃よりも腕が上がっている。それは、考えてみれば当然のことだ。道場を出てから、日本全国を旅して回り、志之助と出会ってからは幾つもの死線をくぐってきた。それだけ、気構えが違う。経験値も違うのだ。

「いやはや。まいった。彦十郎が手も足も出ぬとは。どういう修行をしておったのじゃかのぅ」

 実戦経験の結果であることは、薄々感づいているのだろう。人殺しを明言する必要もない。征士郎は苦笑いを返すのみだ。

 道場はまた、普通の訓練風景に戻っている。ここには、宗方と征士郎、志之助の三人きりだ。茶を持ってきたのは、彦十郎の妻である。

「その腕で、まだ足りぬと申すか?」

 少し呆れた表情で言われて、征士郎はしかし、大真面目に頷いた。志之助はその隣で、困った顔で征士郎を見つめている。

「今の腕ではまだ、この相棒の足を引っ張ってしまいます。後ろは任せろ、と胸を張るには、まだまだ力が足りない」

「背後は完璧に任せちゃってますけど?」

「それはわかっている。だが、それを俺が重荷と思ってしまうようでは、まだまだだ。自分が納得できん」

 そんな言葉と裏腹に、征士郎は澄ました顔で茶を啜る。はっきりと断言されてしまって、志之助は少し肩を落とした。

「そんなに重荷になっちゃってた?」

「良いのだ。しのさんに頼ってもらえるのは嬉しいし、力の限り助けたいと思っている。だが、だからこそ、自分の限界が悔しい。今のままでは、そのうち、肝心の所で足を引っ張ってしまう。自分の力不足のせいでしのさんに迷惑をかけたくない。俺には剣の腕くらいしか誇れるものがない。これで足を引っ張るようでは、話にならん」

 珍しく真面目な顔で、真面目にそう言うので、志之助はほけっとした間抜けな顔で征士郎を見つめてしまった。それに気づいて、急に照れてしまう征士郎である。

 言葉に征士郎の真剣さを感じ取ったか、宗方は、おもむろに文机を引っ張り出すと、何か書状を書き始めた。

「中村殿。この立花一心流が本家一心流の流れを汲んでいることは知っておられるな?」

 突然の言葉で、征士郎と志之助は揃って宗方に視線を送る。

「一心流流派の中でも、荒っぽいことで知られる一派の道場を紹介しよう。後日、彦十郎に案内させる。実力は保証するぞ」

 言われて、はっと目を見張り、それから深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 うむ。宗方の反応は短いが、それが征士郎の思いを受け取った一言であることは、痛いほどに伝わってきた。

 それから、宗方の表情が一転して柔らかくなる。

「ところで、中村殿」

 口調ががらりと変わったのに、征士郎は首を傾げた。変調に、若干ついていけていない風でもあるが。

「今はどこで何を?」

 そう続いたので、もう一つの目的を思い出した。先日内々に執り行われたばかりの、結婚の報告と、寺子屋の先生を探しに来たのである。思い出して、ちょいちょい、と志之助に手招きし、その彼を示しながら、こう答えた。

「神田の明神下に、この志之助と暮らしております。近くにお越しの際は、是非寄っていらしてください。明神下で小間物屋『中村屋』の先生といえば、知らない人もおりますまい」

「小間物屋とな? 武士は辞めたか?」

「いえ。小間物屋はこの志之助が。私は、近くの寺で子供たちに読み書きを教えております」

 ほう。そう相槌を打つ。そうしながらも、宗方はやはり、実に不思議そうである。それもそうだ。嫡子でないとはいえ、武士の、それも旗本の子と、町人が同居しているのである。仕事もそれぞれ別々だ。一体どういう縁なのか、気になるところだろう。

 そこへ、征士郎はなるべく平静を装って、さらにとんでもない一石を投じる。

「実は、私、ようやく生涯の伴侶というべき人を見つけまして。つい先ごろ、結婚したばかりなのです。この志之助と」

 言われた途端、志之助がぱっと顔を背けたのは、どうやら照れたせいらしい。何か大変なことを言われたのはわかったのだろうが、その意味を掴みきれずに、宗方は困った顔をする。

「志之助殿は、そう見えて、実は女だとか?」

「男ですよ。見ての通り。とはいっても、初対面の男はほとんどが、一瞬性別を迷うそうですが」

 言われて、それはそうだろう、と宗方も頷いた。それだけの体格と美貌を持ち合わせているのだ。当然といえば当然の話である。だからといって、それが原因で征士郎がやきもちを焼くような事態には、なったことがない。志之助の人となりが、他の人を寄せ付けないのだ。大体、技術的にも、志之助を平気で押し倒せる人間など、征士郎以外にはありえない。

「というと、中村殿。そなた、男色の趣味があったか」

 世間一般では、この反応が普通である。だが、征士郎も志之助も、きょとん、とした顔になった。何を言われたのか、一瞬理解できなかったらしい。

「男色、ですか?」

「いやだ、せいさん。そんな趣味があったの?」

「……いや、俺としのさんの話だろう?」

「……ああ、そうか。そういえば」

 顔を見合わせて、そんな風に言い合う。ということは、先に理解できたのは征士郎のほうだったらしい。こんな二人の反応に、宗方は改めて、不思議そうに首を傾げる。第三者から見れば、おかしな反応だった。

「自覚がなかったか?」

「俺たちにとっては、実に自然なことでしたので」

 いや、もちろん、男同士だという自覚はある。征士郎は男であるし、志之助も当然男だ。志之助が女だったりしても、征士郎には気味が悪いだけである。しかし、その事実から、男色、という考えまでは辿り着けなかった。二人にとっては、せいさんだから、しのさんだから、といった意識しかなく、同性である障害など些細な問題だったのだ。

 それに。

「兄に後で聞いたところによれば、もう、一年も前から、いつになったら一緒になるのか、と焦れていたそうですし」

「長屋のみんなにも、いつの間にか知れ渡ってましたよ。おはるさんに、子供が欲しかったら代わりに産んであげるよ、なんて言われちゃった」

「そりゃ……欲しいな」

「だから、産めないって。女じゃないんだから」

 くすくす、と楽しそうに志之助が笑う。征士郎もふざけて返しただけで、本気ではないらしい。聞いていた宗方だけが、怪訝な様子で眉をひそめる。

「それだけの人に知られていながら、誰もおかしいことを指摘せんのか?」

 問われて、征士郎は反対に、軽く肩をすくめて見せる。

「今後も、あまりないでしょうね。師匠には、師匠ですからお話しましたが、別に言いふらすつもりもないですし」

 察する人は勝手に察してくれれば良いし、気づかなければそれに越したことはない。それだけのことなのだ。

「それに、まぁ、知れたからといって、そう大きな問題にもなりますまい。上様御公認ですから」

「はっ? 上様っ?」

「あれ? ご公認なの? いつの間に……」

 宗方の、まぁ当然の驚いた反応と、志之助のとぼけた反応が、同時だった。あまりに息がピッタリなので、どうやらツボにはまったらしく、征士郎がくっくっと笑っている。

「昨日な。しのさん、結界を張りなおすからって、中座したろう? あの時にな。ああ見えてもろそうなところがあるから、大事にしてやれ、だと」

「やだなぁ、もう。上様ったら、そんなそぶり見せないんだもの」

 恥ずかしいったら、と本当に頬を染めている。対する征士郎は平気なものだ。直接言われたときには大いに照れたのかもしれないが、今となってはどうということもないらしい。志之助の反応に嬉しそうに笑っている。

 征士郎が自然に志之助の反応を優先したことから、その思いを見て取った宗方だったが、それにしても無視されっぱなしはおもしろくない。二人の注目を引き戻すためにも割って入って言う。

「今、上様と言ったな? それは、あの、将軍家斉公のことか?」

 問われて、ようやっと師匠の存在を意識に引き戻したらしい。そうです、と頷いて、師に向き直り、意地の悪そうな笑みを見せた。

「聞いて驚いてください、師匠。この志之助、上様のお友達なんですよ」

「それを言ったら、せいさんもでしょ? 仕方ないじゃない。今の俺は、肩書きのないただの町人なんだもの」

「お抱えにはなれないもんなぁ」

 言って、くっくっと楽しそうに笑っている。能力で考えれば、志之助は、お抱え陰陽師でも、お抱え法力僧でも、肩書きなど選び放題だ。だが、正式な陰陽師ではないし、元修行僧であって敵前逃亡した身では、僧とも名乗れない。というよりは、家斉の許しは出ているにもかかわらず、志之助が突っぱねているのである。そんな肩書きは重苦しいだけで、自分には必要ない、と。

「お抱え?」

 征士郎と志之助の言葉の端を捉え、理解しようとしていた宗方だったが、ここまで固有名詞が省略されてしまうと、何も事情を知らない宗方には想像のしようもない。言葉の端で物事を捉えるには、予備知識が不可欠なのである。

 呟いた宗方の声で、先ほどから無視していた師の疑問に、ようやく答える気になったらしい。

「実はですね」

 そう、前置きして、征士郎はやっと、志之助と出会ってからの波乱万丈な二年間を話し始めた。それは、同じこの二年を道場で毎日代わり映えなく生活して、それで良しとしていた宗方にとっては、とても信じられないような物語だった。





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