壱の3




 その事件、志之助にお鉢が回ってくる程度には、奇怪な事件だった。ばかばかしい話だが、妖怪が下手人なのでは、といった噂が、まことしやかに囁かれるほどだ。よほどの事である。

 遺体が川から上がること、腹が割かれていること、首筋に必ず二つの穴が開いていることなど、共通点が多いことから、同一犯による連続殺人事件であることは間違いない。だが、死体が見つかる場所は川だというだけで特定されないし、被害者の職業も交友関係も外見的特徴もまるで違うので、辻斬りの線が有力だった。

 何にせよ、人の身体に血が残っていないというのは、かなり不気味だ。おかげで、捜査に当たる与力同心十手持ちの誰もが、気味悪がってしまっていて、捜査がさっぱり前進しないのである。困ったものだ。

「それで、志之助さんは、実際どうだと思ってるんです?」

 お城に呼ばれて正式に依頼を受けた話を、ちょうど彼女にしているところだった。おつね、という、少々行き遅れの年齢の独身女性だ。同じ長屋に住んでおり、髪結いとしてはこの界隈で一番の腕前で、大人の色気を兼ね備えた美貌もあいまって、かなりの人気者である。本人は、嫁に行く気はあるのかどうか、時折食材を持参して二人の家に遊びに来ては、夕飯を作ってくれている。もちろん、二人が夫婦であることは知っていて、表立って応援している人間の一人だ。

 すでに親友の立場を確立している彼女の問いに、志之助は軽く考え込んで見せる。

「今はまだ、何とも言えないねぇ。妖怪の仕業なのか、人間の仕業なのか」

 場所は志之助の店の中。つまりは、自宅である。二階長屋の端の家で、ちょうど道に面していて、商売がやりやすい部屋だった。道に面しているおかげで木戸番も兼ねているが、式神を自由に扱う志之助のこと、特にたいした苦労もないらしい。

 ちょうど今日も、おつねは夕飯を作りにやってきていた。客先から山芋をもらったから、と持ってきて、味噌汁ととろろを作っている。

「妖怪といっても、人の血を奪うような、恐ろしい妖怪がいるものなんですか?」

「おう、それだ。俺も心当たりがないぞ」

 炊けた麦飯を小櫃に移しながら、おつねがそう問いかけるのに、征士郎も賛同する。志之助は腕を組むと、うーん、と唸った。

「いないこともないけど……」

 そう濁しながら挙げた例は、次の通りだ。ヒルの化け物、蝙蝠、蚊の怪物。海を渡れば、キョンシー、ゾンビ、ドラキュラなどといった、人形の妖怪もいる。だが、いずれにしても、決定力にいまいち欠けるのだ。鎖国を始めて早百年以上。海の向こうの妖怪が入り込むには、前兆がなさ過ぎる。志之助も知らない妖怪もいるのかも知れないが。

「どらきゅら?」

 挙げた例の中で、それがおつねには引っかかったらしい。そう聞き返されて、うん、と志之助が頷いた。

「伝え聞いた話だから、正しいかどうかもわからないけど。若い男の姿をした妖怪でね。夜な夜な街を徘徊しては、若い娘の生き血を啜るんだって。蝙蝠をお供に連れていて、ニンニクとキリシタンとお天道様が大の苦手」

「ほう。そりゃあ、そのどらきゅらとかいう奴には、日本は天国だな」

 はは、と笑っているところを見ると、どうやらその心配をまったくしていないらしい。言っている志之助も、苦笑していた。おつねだけが、不安そうにしている。

「大丈夫なんですか? そのどらきゅらとかいうのだったら……」

「襲われるのは、若い娘だろう? 今回は、みんな男だ。気にすることはないさ」

「でも、そのどらきゅらとかいうのが、もしも女の妖怪だったら、女の血よりは男の方が良いんじゃないかしら」

 え? 言われて、はた、と顔を見合わせた征士郎と志之助。気づいていなかったようだ。そんなことも有り得るかも知れない。おつねは、黙ってしまった二人を交互に見やり、軽く息を吐く。

「大丈夫なんですか? ホントに」

「うーん?」

 おつねに思いもつかなかった事を指摘されて、少し自信をなくしたらしい志之助は、ポリポリと頭を掻く。反対に、立ち直りも早いのが征士郎だ。本人は、ただ霊力があるらしいだけの、ただの剣客である。考えてわからないことは、専門家でもないのだし、あっさりと諦める。その潔さが、江戸っ子のおつねには小気味良く感じる。

「まぁ、大丈夫だろうさ。結局は、調べてみないことには何もわからん。それより、おつねさん。そういったわけで物騒なのだから、十分に気をつけておくれよ」

「うん、そうそう。この長屋はうちの式神たちが目を光らせてるけど、おつねさんは外回りだしねぇ」

 時にとぼけたことも言うが、基本的に絶大の信頼を置いている、その二人に言われることだ。おつねは、えぇ、と頷いた。

 おつねが帰ってしまうと、部屋がなんとなく寂しくなるのは、やはり女性には華があるせいだろうか。

 征士郎は、食器を片付けている志之助を眺めていた。ただぼんやりと。それに気づいて、志之助が笑い出す。

「暇なのなら、布団敷いて来てよ、せいさん」

「おう。……なぁ、しのさん」

「ん?」

 征士郎に背を向けたまま、返事をする。少し待って、続きが聞こえてこないので、ようやく振り返った。征士郎が、何だかふくれっ面で志之助を見ているのに、首を傾げる。

「何?」

「聞かないのか? あの女は何者だ、とか」

 言われて、志之助はまた、首を傾げる。それから、あぁ、と思った。昼間会った、征士郎の古い知り合いらしい、くの一のことだ。思い当たって、うん、と頷いて返した。

「そうそう。何者?」

「昔の知り合いのお医者の先生の、イイ人だ。……何だ。少しも気になっていないのか」

 微妙に傷ついた口調だったので、志之助は征士郎を見つめ、それから肩をすくめる。

「気にならないわけじゃないんだよ。ただ、せいさんは、江戸の出身の人だから、昔の知り合いにばったり会ったとしてもおかしいことではないし、昔の恋人だとしても仕方のないことじゃない?」

 今の征士郎は志之助にぞっこんで、それこそ、志之助が征士郎の昔の知り合いに嫉妬もしてくれない、といった程度のことでもふくれてしまうほどなのだから、浮気の心配をする必要もない。

「それに、せいさんが浮気なんてしてたら、俺が気づかないわけがないでしょ?」

 それもそうだ。納得して、深く頷いてしまった。

 齢二十五にして、最高の幸せを手に入れた。その幸せは、一生傍にいると言ってくれているのだ。征士郎に何の不満があろうか。二年もかけてやっと手に入れたのである。手放すつもりは毛頭ない。

 と、最後の一枚の茶碗を仕舞って振り返った志之助が、何の前触れもなく、軽く肩をすくめる。

「はいはい。そこで自分一人で惚気てないで。恥ずかしいでしょ?」

「お? 久しぶりではないか? 俺を読むなど」

 口に出さなかったのだから、そういうことなのだろう、という推測の元、答えてにんまり笑う。途端に、志之助がかあっと顔を赤らめた。

 こういう関係になってはじめて知ったのだが、志之助は案外、純粋なところがある。まだまだ反応が初心なのだ。反対に、征士郎は俗に言うムッツリ助平というやつだった。頭の中の妄想が、とんでもないところへ発展している。

「してもいいか?」

 そう聞いたのは、妄想を志之助に対して実現させても良いか、ということだ。えっ、と聞き返し、それから小さく頷く。何だかんだ言っても、志之助も嫌いではないのだ。自分から主張しないだけの話で。

 志之助の了解を得て、嬉しそうににんまり笑うと、征士郎は志之助を横抱きに抱き上げて、狭い階段を器用に上がっていった。

 志之助には、本人も困っている、特殊能力が生まれつき備わっている。千里眼、というのが正しいだろうか。遠く離れた景色が見える。壁で仕切られた向こうが見える。そして、他人の心の中が垣間見えてしまうのだ。しかも、その能力の発生は、自分では完璧に制御できるものでもなく、意識的にその目を塞ぐしかないのが現状であった。

 その特殊能力を、征士郎はもちろん知っていて、いつ心の中が覗かれているかもわからないのに、それでも好きだと言う。そんな所もひっくるめて、志之助を愛してくれている。それが、志之助には何事にも変えがたい幸せで、感謝してもしきれないくらいで。おかげで、この能力でふざけられるようにもなったのだから、本人にとってはすごい進歩だ。

 志之助がその能力を発揮してしまうのは、目を塞ぐ意識が弱くなっている時であり、大体は何も考えずにぼんやりしている時か、本当に疲れているときに限られる。今のはおそらく、前者だろう。疲れているときの志之助は、こんなに積極的ではない。

「んっ……ああんっ!」

「イイか? こんな格好で、気持ち良さそうにしちゃって。しのさんも好きなんだから」

「いやぁん。言わないでぇ」

 そう。つまり、この二人はこういう関係だ。男同士でも違和感なく絵になってしまう二人は、正常な男女の関係とは別の次元で、最高の幸せを手に入れていたのだった。





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