壱の2




「何だ。突然呼び出すから何事かと思ったら、愚痴の聞き役ですか、俺は」

 そう、いかにも呆れたように吐き出したのは、そろそろ三十路くらいの、なかなかの色男だった。清楚な十徳姿で、きっちり髷を結い、一部の隙もない。少したれ目なのが、愛嬌があって良かった。そんな、女には老いも若きも大人気の、赤坂でも下町に近い剣術道場が立ち並ぶ通りにある診療所の若先生が、実父の前で首を振る。

「そうは言うが、忍び者に陰陽師だぞ。まったく、上様も何を考えておられるのか」

「と言いますかですね、父上。そんなに言うなら、彼らより先に奉行所で下手人を捕らえてしまえばよろしいのでしょう?」

 息子にあっさりとそう言われて、正論なだけに反論も出来ず、父は黙り込む。この父、これでも江戸の平和を託された最高責任者の片割れ、南町奉行の職にある。高遠善隆、五十四歳。顔のしわも深く、白髪だらけの髪をそれでもちゃんと結い上げて、貫禄は十分だ。息子にそっくりなたれ目が、優しいおじいちゃん風に見せている。

「それで、だから、お前を呼んだのだよ、松安」

「私はただの町医者ですよ」

 微妙に他人任せな口ぶりの父に、彼は呆れて見せる。片瀬松安。今は亡き片瀬医師の養子として後を継いだ。養父に妻子がなかったせいだが、才能も気力も十分で、今や能力も、片瀬医師の力をそっくり受け継いでいた。それこそ、瓶の水を移すがごとく。

 だが、松安の才能は医術だけにとどまらない。町奉行として、有能な同心与力を多く抱える立場であるにもかかわらず、難事件の時には必ず息子を呼び出すことからも、それはうかがえる。高遠には、血の繋がった息子が三人いるのだが、中でもこの末っ子を、いつでも最も頼りにしているのだ。なぜなら。

「何を謙遜しておる。そなたならば、どんな難事件でも解決できように」

「何を、息子を買いかぶっているんですか。しかも、本人の目の前で。普通、実の父親から見る息子なんて、不肖の者なんじゃないんですか?」

「しかし、事実なのだ。仕方がなかろう」

 そうなのである。この松安、奉行所で匙を投げたほどの難事件を、いともあっさり解決したことが、もう何十回とあるのだ。中には、同心与力全員が集まってもまったく解決の糸口が見つけられなかったような奇怪極まる事件を、調書に目を通しただけで解いてしまったことすらある。これはもう、身内の欲目とか、そういう問題ではない。

「で? どんな事件なんですか?」

「おう。聞いてくれるか」

「……聞くだけですよ」

 う、と父が言葉に詰まる。しかし、悩んでいる場合ではない。ここは、行動あるのみである。

「それがな……」

 この屋敷の中では、声の大小で秘密が漏れるとか、そういう心配はないのだが、高遠は出来る限りに声を潜めて、話し出した。今、巷を騒がせている怪事件の、奉行所で掴んでいる全貌を。





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