神の国の吸血鬼 序




 これもやはり、よくある叫び声から物語は始まる。

「てぇへんだ、てぇへんだぁ!!」

 場所は江戸の下町、浅草に程近い、大川の畔。このあたりじゃ名の知れた十手持ち、赤足の助六親分の手下の声だった。麻の着物の裾を手繰り上げ、破れかけた股引丸出しで、良くその走り方で転ばないなぁと感心するような、それこそ転がるように走っていく。

 長屋の木戸番も兼ねる助六親分の家は、その長屋の一番入り口側にあった。障子戸には大きく「番」の文字が書かれている。自宅兼番所なのだ。だから、そこには当然、おかみさんもいる。

 バンッと突然障子戸を開けた、権八との名を持つ若い手下に、開口一番の決め台詞を言わせる前に、おかみさんの怒鳴り声がとんだ。

「なんだってんだい、騒々しいね。静かにおし」

「てぇへんだよぅ。大川に仏があがった」

「なにぃ」

 仏といえば、もちろん仏像のことではなく、死体のことだ。そうと聞けば、助六親分の行動も早い。今飛び込んできた権八を連れて、番所を飛び出していく。見送るおかみさんは、落ち着いた様子で茶を啜っていた。慣れとは実に恐ろしいものである。

 そこには、すでに人だかりが出来ていた。すぐ近くに番所を持つ彦兵衛が先に着いていて、手下たちに遺体の引き上げをさせていた。引上げ作業をする者の中には、助六の手下も混ざっている。上司に当たる同心の旦那同士が仲が良いおかげか、お互いに助け合う仲なのである。

 助六は彦兵衛の横に自分の居場所を決めると、引上げ作業に目を配りながら話しかけた。

「で、どうなんでぃ? 仏さんの様子は」

「ああ。助六親分かい。さぁてねぇ。ドザエモンにしちゃあ、様子がおかしいんだが、今のところ漠然としたもんだ」

 実際のところ、水に浮かんだ状態ではそうわかることもない。反対に、一目見てわかる違和感、だけは報告が出来たので、素直にそう告げたものであるらしい。

 やがて、手下たちが引き上げた遺体が、川岸に敷いた藁布の上に置かれた。待ってましたとばかりに、二人の親分が寄っていく。

 その遺体は、身なりは大店の若旦那然として、年の頃は20代前半ほど。見た目にわかる傷は腹を割かれた一文字と、首筋に開けられた二つ穴。死因はこのどちらかの傷であろう。ということは、明らかに殺しだ。

 だが、一点、確かに違和感を覚える。川から引き上げられた遺体の割に、むくみがほとんどないのである。むしろ、干からびている、と言った方が正しいかもしれない。そんな様子であった。彦兵衛が感じた違和感が、まさにこの点である。

 懐を探ってみると、こんなに裕福な身なりの若い男であるにもかかわらず、財布がないことがわかる。殺しの下手人に取られたか、川に流されたか、その辺りが妥当ではあるが。

「おかしいなぁ」

 死体にもすでに慣れっこになっているのか、彦兵衛がその腹の傷口に触っていたが、やがて首を傾げた。もう一つの気になる首の傷を見ていた助六が、その声に促されて顔を上げる。

「何でぇ?」

「この仏さん、血が残ってねぇよ」

「血ぃ?」

 それがどうしたのだ、というように怪訝な様子を隠しもせずに聞き返し、助六がそちらへ寄っていく。近くまで来るのを待って、ほら、と言いながら傷口を軽く押して見せる。中から出てくるのは、どうやら川の水らしい、透明な液体ばかりだ。確かに、血が出てこないらしいが。

「川の水で洗われちまっただけじゃぁねぇのかい?」

「いや、この辺はそうかも知れねぇが、それにしてもこの仏さん、血の気がなさ過ぎる」

 まぁ、確かに。顔色を見ても足先指先など傷のない場所を見ても、青白さを通り越して、真っ白だ。それは確かに、変かもしれない。人の身体は、縦横無尽に血管が走っていて、常に血液で満たされている。腹を割かれたからといって、傷から遠い足先指先まで血の陰が見えなくなるのは、どうも腑に落ちない。

「とりあえず、旦那に連絡だな」

「あぁ。おう、長次」

「へい」

「ひとっ走り行って、旦那呼んで来てくんな」

「権八、お前ぇもだ」

「へい」

 二人が揃って走り出す。残った助六と彦兵衛は、もう一度仏を見下ろすと、顔を見合わせた。





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